雨は愛のやうなものだ
「雨は愛のやうなものだ」というフレーズが、中野重治の詩の一節だと書いてあるホームページを読んだ。ただ、この素晴らしいフレーズとプロレタリア作家だと思っていた中野重治のイメージがどうしても重ならないものだから、少し探ってみることにした。
さいわい事務所と図書館とは数分の距離にある。図書館の良さは、もちろん無料で借りられるというところが一番なのだけれど、開放された書架の中を歩きながら背表紙を眺めることそのものにもそれなりの楽しみがあるし、時に目的外の本を見つけて道草を食うのもけっこう楽しいものである。
ところが中野重治の詩集をいくらさがしてもこのフレーズは見当たらない。半ば諦めかけた頃、彼の小説「歌のわかれ」(1939年発表)の中にその詩を見付けた。
この作品は自伝の要素が強いと彼自身も認めているのであるが、この詩が書かれているのは、以前、下宿として住んでいた寺の自分の部屋を訪ねた主人公が、その当時雨の降る日はこんな詩を音読していたと、回顧する場面である。そしてそこに書かれた題名もない詩がこれである。
雨は愛のやうなものだ
それがひもすがら降り注いでゐた
人はこの雨を悲しさうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しい降りやうを
そのまま人の心にうつしてゐた
人人の優秀なたましひ等は
悲しさうに少しつかれて
いつまでも永い間うち沈んでゐた
永い間雨をしみじみと眺めてゐた
ところで、書いてある場所を見つけることはできたものの、それにしてもこんな詩は彼の作品としてどうにも似つかわしくない。しかも彼自身、作中でこの詩を自分が作ったようには書いておらず、単に音読したと回顧しているのみである。それに彼の詩はどこをとっても反戦一色に塗りこめられており、こんなにも静かで甘い叙情的な詩が、当時施行されていた治安維持法で内務省から執筆禁止の命令まで受けていた彼の作品とはどうしても思えない。
この点、インターネットは便利である。いくつかキーワードを追加し、削除し、とうとう同じ詩を見付けることができた。
なんとこの詩の作者は、室生犀星だったのである。犀星の「雨の詩」だったのである。
中野重治は犀星より遅れること13年、明治35年に福井県丸岡町に生まれ、大正8年17歳で金沢に出てきている。犀星と中野重治に交流があったかどうかを確かめることはできなかった。しかし、隣の県で生まれた重治が、金沢生まれの犀星を知っていたであろうことは想像に難くない。恐らく大学生の重治は下宿での無聊を慰めるために犀星の詩を読んでいたのではなかろうか。
重治が作者を明示しないまま作中にこの詩を引用したために、「歌のわかれ」の読者がこの詩を彼の作品だと誤解し、そのまま自分のホームページに発表してしまったのであろう。
こうした誤りは、例えば論文を書いたり作品を作ったりするときに、例えばつい横着して孫引きしてしまう場合などによく発生するから、自戒しなければならないと、我が身に置き換えて思ってしまった。
それにしても、こうした間違いが原因で、そしてこうしたことがなければ恐らく訪ねることなどなかったであろう中野重治の世界を覗くことができたのは、望外の幸せであった。
ひとりの事務所は、気楽過ぎると笑われてしまいそうだけれど、好きな時に回り道のできる気楽な場所でもある。コーヒーのいい香りがしてきた。もちろん自分で煎れた一人分のドリップの香りである。さて、ここで少し休憩である……。
2004.1.20 佐々木利夫
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