ドーテの「最後の授業」

 フランスは普仏戦争(1868年)に破れ、アルザス・ロレーヌの地はプロイセン(ドイツの内陸国)の手に渡ることになる。フランス語の教師アメル先生は、ドイツ語が国語と定められフランス語の教育が禁止された最後の授業でこんな風に子供たちに話す。

 「明日からはこの授業もドイツ語しか教えてはならない。だから今日は私のフランス語の最後の授業だ。諸君はこの美しい国語を決して忘れてはならない。たとい、この身が奴隷に落ちようとも、自分の言葉さえしっかり保っていれば、その民族は牢獄のかぎを握っているのにひとしいのだから」と説く。フランス語を話し、フランス語で考える限り、アルザスはフランスであり、人々はフランス人である。なんという力強い言葉、なんという国語愛、民族愛、祖国愛であろうか。

 国境をもたず侵略という概念からは程遠い日本ではあるが、それでも言葉と民族については日本でも標準語をめぐる明治時代からの様々な確執があり、民族性と言語とは分かちがたく結びついているから、このアメル先生の言葉は日本人にとっても十分な説得力をもって迫ってくる。
 ところが、ところがである。もう少しこの本を読んでいくと、次のような言葉にぶつかり、そこから混乱が始まる。

 アメル先生は言う。「ドイツ人たちにこう言われたらどうするのだ。『君たちはフランス人だと言い張っていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないじゃないか』と・・・・・」。

 これはいったいなんだろう。いったい、「自分の言葉が話せない」とはどういうことなのだろうか。そう、アメル先生が教えていたのはフランス語だけれど、それは我々が「国語」という形で日本語の授業を受けるというのとは違い、実はフランス語を話すことも書くこともできない子供たちにフランス語を教えるということだったのである。
 だからフランス語の授業が続けられなければ、その子供たちはフランス語を話すことも書くこともできなくなってしまうのであり、フランス語そのものが自分の言葉ではなく他人の言葉、つまり外国語だということなのである。

 この奇妙なレトリックは、アルザス地方にはアルザス語という固有の言葉があり、この地方がフランス領有という形の中でフランス語が国語と定められていたということを前提にしなければ理解できないのである。

 それなのにアメル先生は、アルザス語を話しそして書いているアルザスの子供たちに向かって、「君たちの自分の言葉」はフランス語だと言おうとしているのである。

 そうすると、この小説の名文句「たとい、この身が奴隷に落ちようとも・・・」も、アルザス地方の領有権が歴史的にどう形成されてきたのか、それについてアルザスの人々がどのように理解し納得してきたのかを解決してからでないと、まるで意味が異なってきてしまうのである。

 ドーテ(ドーデー、ドーデ)の「最後の授業」は、単なる「母国語愛」という見かけとは異なり複雑な内容を持っているように思える。と言って、これからプロイセン地方の歴史をひもとこうというだけの気力もないのであるが・・・・・。