姦通罪

 昭和22年に廃止された刑法183条は、夫のある婦人が夫以外の男と性交したとき、その婦人及び相手の男を、夫の告訴を要件に処罰していた。

 これについてこんな意見を読んだ。
 「それまで女たちは、姦通があらわになると罰せられた。夫ある身の不道徳が犯罪として厳しく問われ、一生の汚点となった。しかし男たちは妻ある身で女を買い、人妻とことを起こしてもその夫が訴えないかぎり、罪に落ちることがまったくなかった。男には不倫が堂々と許され、女の恋愛は命がけであったともいえる」(永畑道子)。

 この刑法183条の廃止理由には男女間における不平等があげられていことからして、この評価に誤りはないだろう。

 しかし、なぜこのような法律が制定されたのであろうか。男尊女卑の風潮の中で、男の優位を保つためだとするならば何も姦通だけを取り上げる必然はない。殺人だって窃盗だって、さまざまな犯罪のすべてについて相対的に男女差を設けることだってできたはずである。

 刑法において性差が現れているのは、知る限りこの姦通罪のみである。男固有と考えられていた強姦罪についてさへ条文上に性差はなく、強姦を教唆した女性にこの罪を適用した例もあるなど、適用面、解釈面でも性差のないことは明かになっている。そうするとこの姦通罪における性差は姦通そのものに特別な意味を持たせていたと理解する必要がある。

 ここで考えなければならないのは、姦通罪は不倫そのものを犯罪と考えたのか、不倫による結果としての女性の妊娠、つまり産まれてくる子供の存在を問題と考えたのかということである。

 民法はその当時から772条において、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」と規定していから、不倫の子はそのまま夫の嫡出子となるのである。

 このように考えてくると、日本固有のものではないと思われるが、長子相続を基本とする「正統な家系維持」という側面を無視することはできないと思われる。
 つまり、社会的な背景として正統な家系とは「夫の子」が「家を継ぐ」ことに求められていたから、夫の子でさえあれば生む女性はだれでもよかったという現実があったということである。

 ここではそうした「夫つまり男を基本とした家系」という制度そのものの是非を論じているのではない。現実としてそうしたことが事実として存在し定着していたということを指摘したいのである。だからこそ、物語としてしか知らないのであるが、徳川時代の将軍の相続をはじめ各藩のお家争いの要因に、ご落胤騒動が含まれてくるのである。

 だから、産まれてくる子が「夫の子」なのかそうでないのかは、その「家」にとって非常に重大な事柄であり、場合によっては「家」そのものの存続にもかかわってくる事柄なのである。

 このように考えてくると、姦通罪とは女性蔑視による差別なのではなく、正統な家系維持という現実的、制度的な要請から生まれたものであり、その廃止は性の平等化とともに家制度そのものの見直しだったということも考慮すべきであるということなのである。