朝三暮四

 時は中国の春秋時代(BC770〜BC403年)、ある男が猿を可愛がって群れをなすほど養っていた。ところが急に貧しくなったので、猿に与える餌のどんぐりを減らすことにした」。そこで猿たちを集めてこう言った。「お前たちにやるどんぐりを朝は三つで暮は四つにする」。すると猿たちは皆起ち上がって怒りだした。そこでその男が「それじゃ、朝は四つで暮は三つにしよう」と言うと、猿たちは皆平伏して喜んだ。

 これは、目先の利害とらわれて、結果が同じになるのを見抜けないことであるとか、また、人を口先でうまくだますことを表わしたことわざだと理解されており、そうした目先の利害にとらわれた人々を揶揄した言葉だと解釈されている。

 でも本当にそうなのだろうか。この理解のしかたは正しいのだろうか。愚かな猿と笑うことができるのだろうか。

 もしかすると猿の選択は正しかったのではないだろうか。世は挙げて不況である。そんなとき、朝貰えたどんぐりが夕方も確実に貰えるとどうして保証できるだろうか。いや、不況に関係しなくても、いつ貰えなくなる状況が発生しないとも限らないのが現実社会である。会社の倒産ばかりではない、貰う当人の事故だって起こりうるのである。

 考えてもみよう、朝四つ貰って損するということは決してないのである。朝に多く貰うということは、決して目先の利害なのではなく、現実的な利益なのである。朝四つを喜んだ猿は、結果が同じという事実を見抜けなかった愚かな猿なのではなく、損得を十分に理解した利口な猿だったと言うことができるのである。