ベニスの商人

 シェークスピアの作品の中では比較的上演される機会が少ないらしいが、日本では結構人気の高い戯曲である。中心となる登場人物はユダヤ人の金貸しシャーロック(シャイロック)、ベニスの商人アントーニオ、そして友人パサーニオとその妻ポーシャである。

 パサーニオの借金の保証人になったアントーニオは、担保として自らの肉体1ポンドを提供すると約束し、やがて法廷の場においてその契約を履行しなければならない時を迎える。
 男装し裁判官として法廷に立ったポーシャは、周囲からの慈悲の求めにも弁済額の三倍を支払うという申し出にも応ぜす、頑なに弁済期限が切れていること、そして証文の担保の実行のみを主張するシャーロックに向かってこう宣言する。

 「この商人の肉1ポンドはお前のものである。当法廷はそれを許す。国法がそれを与えるのだ。ただし、その際血を一滴でも流したらお前の土地も財産もベニスの法律にしたがい国庫に没収する。さあ、肉を切り取るがよい。血を流してはならぬぞ。また、多少を問わず目方の狂いは許さぬ。きっかり1ポンドだ。たとえ僅かでも・・・たとえ髪の毛一本の違いで秤が傾いても、その場でお前の命はなく財産は没収と覚悟するがいい」

 神の再来である。契約を絶対視する社会の、しかもそれを担保する法廷の場でのなんという鮮やかな逆転劇であろうか。

 でも、ちょっと待ってくれ。これは絶対変だ。
 契約そのものが社会通念上認められないからだという理屈からではない。もちろん日本の法律では(恐らくは現在ではすべての国の法律がそうであろうが)、こうした契約は民法90条にいう公の秩序善良の風俗に反する法律行為(いわゆる公序良俗違反)として無効になるであろうことは明らかである。
 ただ、物語はこうした契約が公証人の下で有効に締結され、社会的にも法律的にも承認されているのであり、物語の中で裁判官たるポーシャも宣言しているように、法廷も国家も有効性を承認していることを前提として作られているのであるから、そうした前提を覆してしまっては議論にならないであろう。

 問題なのは、こうした契約が有効であるとして、裁判官たるポーシャの理由付けが絶対変なのである。
 肉1ポンドを肉体から切り取るという契約の適法性は裁判官も認めている。そうするとその契約が有効であるならば、その履行に伴い苦痛があることや出血することは肉を切り取ることの前提として当然にその契約に含まれていると考えるべきである。
 そうでないとするならば、完璧な痛み止めや止血する方法が技術的に完成しているという前提がなければならないはずである。

 また、その切り取った量が1ポンドより多い場合は、その多い部分の修復が不可能である(つまり元の肉体に戻せない)という意味において、その行為が違法となる可能性はあるかも知れないが、それより少ないこと若しくは少ない場合に補充して切り取っていくということは当然に契約の内容に包含されていると理解すべきである。
 そうでなければ、例えば重さや量目を単位とする商品の取引は事実上不可能になってしまうし、更には100gの商品について髪の毛一本の量目も異なってはいけないなどの完璧な商品以外の取引はできないという根源的な矛盾が生じてしまうことになる。

 法律は何人にも不可能を強いるものではないし、契約もまた不可能を内包するものであってはならないはずである。ポーシャの言い分は契約の有効性を認めつつ証文のレトリックをことさら歪曲してシャーロックに不可能を強いるものであると言えよう。

 もちろんこの物語の目的は、か弱い女性が契約の文言を逆用してシャーロックに制裁を加えるという逆転劇で観客の喝采を受けるというところにある。通常の裁判であればその当時だって肉1ポンドの切取りという部分のみが無効となるに過ぎないであろうから、借金は依然として残ることになってしまい何の面白さもないと言えばそれまでである。

 こうした物語は敵役を極端にまで悪役に仕立てないと成立しない。この物語ではアントーニオは借金の主体者ではなく友人の連帯保証人という善意の弱者であり、一方シャーロックは金貸しというそれだけで悪者であり、更にユダヤ人という人種的偏見を背景にどのような慈悲の要求や弁済の条件にも応じない極悪非道の人間として描かれている。

 論理を超えてまで弱者を守るためにはそうした設定が必要なのかもしれないが、忠臣蔵の吉良上野介、源義経の兄頼朝など理屈抜きに権力を悪と設定し、その上で弱い者を救おうとする気持ちが強い日本では、このベニスの商人の物語は結構人気が高い。

 ただやっぱりこの物語の理論構成は屁理屈であり、現実的でない。契約については非常に厳格といわれ、例えば宗教だって「神との契約」というような形でとらえる国で、ドラマとはいえこのような物語がどうして成立するのか、このあたりはもう少し勉強していく必要があるのかも知れない。