宇宙の果てとも言うべき辺境の基地で熱病が発生した。死にいたるその病の血清を届けるために一隻の緊急発進艇がその基地へ向かう。乗員はただ一人、燃料は片道分しかない。だが操縦室の計器パネルは艇内にもう一人の存在を告げている。トム・ゴドウィン作「冷たい方程式」はここから始まる。

 宇宙は非情である。限られた燃料の下で運ぶことのできる質量は厳密に方程式で決められる。そしてその方程式を翻訳するなら、その内容はこんなにも単純で明解である。

 「必要最低限の片道燃料しか積んでいない宇宙艇で発見された密航者は、直ちに艇外に遺棄されなければならない」。

 密航者は、この宇宙艇の目的地である基地に勤務する兄に会いたいと思っただけの、そして自分の行動がどういう結果を招くかなど考えもしなかった十八歳の少女だった。宇宙空間を支配するこの冷たい方程式を、この少女のために優しい方程式に変えることはできないのか。

 「どうして彼女でなく、何かいうにいわれぬ動機のある男が来なかったのか?、未開の新天地で生きのびようとする逃亡者、金の羊毛を一人占めにしようと新しい植民地への輸送機関を捜していた日和見主義者、使命感にとりつかれた狂人・・・・、心のひずんだ男、卑劣で利己的な男、凶暴で危険な男」

 だが目の前にいるのは、身長5フィート(152cm)、体重110ポンド(50kg弱)、茶色の巻き毛の素直な少女であった。安物のサンダルを履いた、これまで悪いことなんてこれっぽっちもしたことなどない普通の女の子であった。
 救助可能な40光年内にほかの宇宙艇の存在はなく、燃料はぎりぎり一人分しかない。基地で血清を待つ6人の命を、この体重50キロの少女は好むと好まざるとにかかわらず握ってしまうことになったのである。いやいや、6人の命ではない、乗員と少女を含めた8人の命である。少女が艇内に残るということは、とりもなおさず宇宙艇そのものの着陸不能を意味するのだから・・・。

 限られた時間の中で、少女は話し出す。予想もしなかった不注意のために傷つけてしまうだろう両親への身を切るような想い、死んでしまった猫の身代わりを必死に探してくれた兄との遠い思い出、僅か数分の兄との会話・・・・、やがて少女は「冷たい方程式の中の余分な因数」としての役目を果たさなければならない時を迎える。

 「彼女はエアロックに入り、こちらを向いた。喉元の震えが、狂ったように心臓の動悸を隠そうとする努力を裏切っていた。
 『用意できたわ』
 彼はレバーを上げた。ドアがするすると閉じて、二人のあいだをさえぎり、人生の最後の瞬間にある彼女を圧倒的な暗闇の中に閉じ込めた。それが小さな音をたてて元の位置にしっかりとおさまると、彼は赤いレバーを押し下げた。エアロックから空気がとびだすさい、船はかすかにゆらいだ。」


 わたしはこの短編が大好きである。何度読み返しても新たな涙を誘うくらいに大好きである。

 だからこそ作者の意図に反して、何とかこの少女を救えないものかと考えるのである。なりふり構わずにこの少女を救う方法がないものかと悩むのである。この冷たい方程式に真正面からぶつかっていく方法がどこかに見つからないものかと、ひたすら考えているのである。

 「21グラム」という映画がある。「人は死んだ時、21グラムだけ軽くなる」がこの映画のキャッチコピーであり、それが魂の重さだと言っているのだが、少なくとも現実に命に重さがあることは証明されていない。
 しかも、この冷たい方程式が要求しているのは、殺人犯に科せられた死刑の執行のような命そのものではない。体重計に刻まれた目盛り50キログラムの放棄だけである。どんな方法でもいい、50キログラムの質量を艇外に捨てることで、この方程式はあっさりと解けるのである。それならば、なんとかしなければ・・・・・、私はそう思うのである。

 @ まず第一に考える必要があるのは時間である。密航者の艇外への遺棄という言葉が示していることは、余分な質量のまま発進したことだけではまだ手遅れになっていないということである。遺棄までの時間はどのくらいあるのか。
 作品の中で乗員は彼女にこれらの事実を伝え、母船である本部に救済方法がないかを尋ねる。救助は不可能との回答が入ったのは18時10分、そして指示された減速開始時刻は19時10分である。発見と同時ならもう少し余裕があったはずだけれど、それでもあと一時間はある。残された一時間で何ができるのか。

 A 次に考えるべきは許容範囲である。方程式は少女一人の重量オーバーを告げているけれど、少なくともその50キログラムは上限である。この緊急発進艇の総重量がどの程度かは明らかではないけれど、数トンはあるだろう。それに乗員一名を加えた重量である。乗員の体重が予定した設計重量ぎりぎりの肥満体だとすれば、乗員の体重からの余裕は望めないけれど、一般的にはここで数キロは稼げるだろう。
 このことは、例えば乗員が水一杯を多く飲んで乗船したために任務が失敗するなどと考えることは不自然だからである。
 次は燃料消費の計算における許容範囲である。いかに片道飛行だとしても、着陸と同時に燃料がスッカラカンのゼロになってしまうような設計なり飛行計画なんてあるはずがない。コースのゆらぎ、着陸時の気象状況、着陸地点の変更などなどを考えるなら、ある程度の燃料の余裕は、余裕ではなく必然である。そして燃料の余裕はまさに彼女の命の一部でもある。

 これらはコンピュータで計算可能であろう。そうした計算のかたわら、具体的な廃棄すべき重量を積み上げていく必要がある。これこそは、「チリも積もれば山となる」の実践である。

 B 水と食料〜この話はSFだし、距離は「光年」を単位としてるし、宇宙艇の速度も明らかでないから、救助のための飛行日数も定かではない。しかしだからといって数日分の食料も一滴の飲料水も積んでいないことなど考えられない。この二つはこれからの飛行日数にもよるけれど、ギリギリ投棄対象に加えてもいいだろう。数日の飲まず食わずでは死に至ることなどないからである。

 C 休養娯楽衛生〜孤独な宇宙空間である。恐らくマイクロ化されているものが多いだろうけれど、それでも映画、音楽、読書などの資料が備えられ、もしくは重量制限はあるだろうけれど、乗員の希望で数冊の本などの持込も認められているはずである。それに彼女は両親と兄に手紙を書いているのだから、紙や筆記具も捨てよう。乗員は操縦席でそのまま眠るのかも知れないが、もしベッドや寝具があるならそれも廃棄できる。救急用の医療品などが用意してあるのならそれもである。

 D 私物〜制限はあるだろうが持ち込みは必ず認められているはずである。家族の写真、手帳、ハーモニカ、櫛、シェーバー、歯ブラシ、化粧品、自宅の鍵、カメラなどなんでもいい、それらはいずれも大切なものだろうけれど、ことは緊急事態の最中である。
 このことは彼女にも言える。ハンドバック、イヤリング、財布、携帯電話、口紅、鏡、もしかしたら両親や兄さんへの小さな土産・・・・・。

 E 着衣など〜着ている物だって一人2〜3キロにはなる。着替えもあるかも知れない。下着、靴下、履物、腕時計、なんとかなるなら眼鏡もだ。これで二人ともスッポンポンになってしまうし、寒さに震えるその姿ではドラマも何もあったものではないかも知れないが、ことは命の問題である。きれいごとなど言ってる場合ではない。

 F 宇宙艇設備、装備〜ここからは少し技術的になる。宇宙艇の各種設備から、航行と着陸に関係がないと思われるものの分離と廃棄である。発進のための機器、通信、映像パネルのスイッチやボタン、操縦席の椅子、照明や空調設備、保管庫やトイレや寝室などの備品・ドア・間仕切りなど、緊急事態用のマニュアル本などなんでもいい。ここは時間との戦いである。
 アポロ13号の例もある。三人の宇宙飛行士を救うために果たしたNASA職員の努力の物語はここにも通じるものがあるだろう。今こそ母船も含めて総力をあげて50キロをひねり出す努力をなすべき時である。
 宇宙艇のドアや仕切りがドライバー一本で簡単に外せるとは思えないが、それでもこうした方法が可能ならば確実に50キロを稼ぐことができると、私は真剣に思っているのである。

 G それでもまだ足りなかったらどうしようか。これからの話はもう映像にはできないかも知れない。僅か数グラム、数百グラムを重ねていくしかない。頭髪、陰毛、腋毛も剃ってしまおう。爪も切り入れ歯も外そう。体内からの排泄も重要である。喉の奥に指を差し込んでの嘔吐も止むを得ない手段だ。献血のパンフレットによれば、人は400グラムの血液を抜いても命どころか生活にさへ何の支障もないという。だとすれば、二人で1キロは確実にひねり出すことができるだろう。

 ・・・・・・。一人の少女を救うために果たしてこれだけのことをすべきなのかどうか、少女の命と凶暴で卑劣な男の命を区別していいのだろうか、こうした疑問はいつの世にも存在する。少女は純粋で何の罪も犯していないかのように見えるけれど、少なくともこうした場面では死刑に値する密航者である。その死は方程式の結果として導き出されたものではあるけれど、そうした結果を承認したのは法律である。法律は少女と凶暴な男とを区別してはいない。だから彼は赤いレバーを押し下げねばならず、そして現実に押し下げたのである。

 さて、私の提案のような作業を行って、仮に彼女が助かったとしても、宇宙艇を部分的にしろ破壊してしまうのだから、その損失は莫大なものになるだろう。恐らく彼女は一生かかっても支払いきれないほどの負担を負うことになるだろう。

 それでも人命は地球よりも重いと人はあっさりと言うかも知れないが、現実はどんな場合でも命は何かと比較して考えられている。そしてその比較における天秤の片方は決して地球ではない。
 命の問題はそう単純なものではないから、ここでそれを論じるつもりはない。ただ、この冷たい方程式に対する私の解決策には、例えば登山やカヌー遊びなどで起きた遭難の、身勝手とも思える救助要請などとどこか共通なものを感じてしまう。

 命とは、いつも、どこかとても厄介なものでもある・・・・・・・ん?。
 

                          2004.11.03    佐々木利夫


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冷たい方程式