インターネットの楽しみの一つにメールマガジン(メルマガ)がある。色々な人が色々なテーマで自分を主張するこの世界は、めったやたら数も多いし、とても付き合いきれない内容のものも多いから、興味のある分野数本でしか関わりを持つことはないのが実情ではあるけれど・・・・。

 そんな中に、もう3年以上も付き合っているメルマガがある。自殺をテーマにしたもので、投稿者のメールでのやりとりを載せ、主催者が小さなコメントをつけるだけのものだが、死にたいと思う者、死に損なった者、同情しつつももう少しがんばろうと励ます者、死後にこのメルマガとの関わりを知った親族や友人からの嘆きや怒りの声などなど、それぞれの思いには「ネットの楽しみ」なんぞという軽薄な言葉などすっ飛んでしまうほどの重さがある。

 最近の投稿である。はじめての投稿らしい。彼との婚約が破れ死にたいと叫ぶ女性の声である。なんだか身につまされるというか、私のように穏やかな生活を送っている者にはその穏やかさそのものをぐさりと責めたてられるような、そんな感じの投稿だった。

 彼女の投稿はこんな言葉で始まる。
 「彼の綺麗な彼女で居るために・・・と思って伸ばしていた爪で苦難しながら今このメールをうっています」

 なんかすごいと思った。綺麗になりたいと思ったことに違和感はない。爪を伸ばすことで彼に好かれると思ったというならそれだって別になんとも思わない。
 でも彼女はその伸ばした爪の指で今、他人に向かって「死にたい」と発信しているのである。おそらくその爪にはきれいにマニキュアが塗られていることだろう。ネイルアートが盛んな昨今だから、さまざまなデザインが描かれているかも知れない。その爪を少し煩わしく感じながら彼女はメールを打っているのである。
 彼との破局を迎えた今となっては、恐らく爪の手入れは少しずさんになっていることだろう。手入れするエネルギーが欠乏し、投げやりになっているだろう爪先の状況は、まさに彼女のこころそのものである。かつて綺麗に磨いた分だけ薄汚れていて、派手なデザインの分だけ嘘寒さも目立つようだ。

 だいいち、彼に綺麗な彼女だと思われたいために爪を伸ばすなんてこと自体、なぜかとても悲しい思いが伝わってくるではないか。「そんなことで人の心はつなぎとめられないよ」と言うのは簡単だ。真っ赤な爪だけで二人の絆が確認できるものでもない。
 でもこの彼女の一言からは、薄っぺらかもしれないけれど彼へのひたむきな思いが真っ直ぐに伝わってくる。おそらく伸ばした爪を彼はほめたのだろう。綺麗だと言ったのだろう。その言葉に彼女はすがりつき、思いのたけを込めた。軽薄と呼ぼうが思慮が足りないと言われようが、そのひたすらに何の罪があろうか。

 そして彼女は、「今は、1.8L入りの安いパックの酒を飲み、タバコを吸いながら」メルマガへのメールを打っている。きっと若くはないのだろう。二十歳前後の純愛のイメージからは少し遠く感じるから、もう三十歳に近いのかも知れない。恐らくこの彼との恋が始めての恋ではないだろう。だからこそ、この行き場のない恋の終わりは残酷である。

 紙パックの安酒をグラスに注ぎ、くわえタバコの煙に少し顔しかめながらパソコンに向かう。悲しくて悲しくてたまらないのに、それでも涙は出ない。こんなスタイル、投げやりな態度だと自分でも分かっているのだろうが、悲しみに絶望が加わると、涙なんぞという世俗の小道具の出番などあっさりとなくなってしまう。

 彼の心変わりの原因は、彼に「別の彼女」ができたからである。はんこで押したようにありふれた、どこにでもある当たり前の出来事である。だからと言ってそれが許せることではない。どんなにありふれていようと、この恋はその時の彼女にとってはたった一つの恋だったのだし、彼が綺麗だと思うのは私だけだと彼女は信じ、そのためにこそ努力を続けてきたのだから。

 確かに彼女だって、「過去に彼を数回裏切ったことがある」のだし、だから「自分の犯した罪が今回ってきたんだろう」とも思っている。しかしその度に「彼は私の裏切りに耐え、私を待った」のではなかったか。だからこそ今度も、彼を「責めれば泣きついてくると思った」のに・・・・・。「それ程その女が大事か」

 身勝手な女ではある。彼を信じていたのではない、どんなことをしても彼が私から離れることはないと思い上がっていた鼻持ちならない女である。
 しかし、たとえどんなに身勝手であろうとも、失った恋の現実に変わりはない。女が思い知らされたのは、失ったことで始めて分かった彼への思いである

 彼女は決心し、誰とも知らぬ匿名世界に向けてこの耐えられない悲しみを発信する。「私は弱いから、強く生きれないだから死を選びます」

 恋はいつも身勝手なものさ、なんて知ったか振りをするつもりはない。それでも人が人を好きになるというのはいつの世も厄介なものである。

 そして彼女はこんな風にメールを閉じる。「そしてその女を、姿形を変えても 呪ってやる」

 私はここで始めて分かったのである、女の恨みは女に向かうのだということを。裏切った男にではなく、彼を振り向かせてしまった相手の女に向かうのだということを。
 このメールには、相手の女のことは何も触れていない。どんな女なのか、どのようにして彼と付き合い始めたのか・・・・。彼がだまされてるとも、知ってる女なのか知らない女なのかも何一つとして触れられていない。

 それにもかかわらず女の恨みは男を飛び越えて真っ直ぐに相手の女に向かうのである。男には理解しにくい思いではあるが、女は好きな男を恨めないのかも知れない。どんなに裏切られても、女は好きな男を呪うことなどできないのかも知れない。
 女のひたすらな思いとは、こんなにも屈折した迷路の中に自分を追い込んでしまうものなのだろうか。

 彼女がその後どうなったのか知らない。でも、安酒をあおりながら彼が綺麗だといってくれた長い爪の思い出にすがり続け、短くすることもできないままメールで自殺を予告する彼女の姿が、私にはなぜかありありと見えるのである。相手の女を呪うことでしか男を振り向かせられないと思い込む女の悲しい姿が見えるのである。

 彼女の中ではきっと何かが死んだのかも知れない。そしてそのことを確かめるためにはそこに肉体の死を重ねなければならないと思ったのかも知れない。
 そんな彼女に、言葉のなんと空虚なことか。責めても、同情しても、理不尽だと説得しても、どれもみな無意味に思える。「自分で解決するしかない」などと言ったところで、それがなんになるだろうか。

 せめてでき得るならば、飲みかけのグラスそのままにいぎたなく寝入ってしまい、二日酔いの朝の目覚めの中で、陽光に目を細めながらのろのろと起き上がり、苦いインスタントコーヒーの中に終わった恋を溶かし込んで欲しいものだと、なんともできないと思い込んでいる意気地のない男は、ひとりでおろおろしているのみである。

                         2004.11.12    佐々木利夫


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女の恨み・・・