18万人が死んだ。日本時間2004年12月26日未明に発生したマグニチュード9.0のスマトラ島沖の地震及びその津波による死者数である。この地震の影響で赤道方向の地球の周囲が短くなり、それに伴って自転速度が変化して、一日の時間が100万分の2.68秒だけ短くなったとの報告がある。
それほどの巨大地震であった。
地震でも、洪水でも、噴火でも、人はこれから起きる災害を予測し、そのために何をすべきかを考えろと言う。予測し対策し、危機管理の充実こそが社会の責任だと言う。そのことは正しい。
この津波だって、チリ地震の教訓から太平洋沿岸には関係各国による地震観測網が整備されており、そのハワイの観測センターから一部の被害地域には、観測網関係国(つまり資金提供国)でないにもかかわらず、「津波の恐れあり」の情報が伝えられたと言う。
結局は受入国側にそうした情報を国民に伝えるシステムが整備されていなかったことから、その警告はなんらの効果も発揮しなかった。地震から数時間かかって津波が押し寄せた国や地域も多い。そうした地域では、情報が即座に伝わりさえすれば被害者数を確実に減らせたであろうことは容易に想像できる。
100人が死に、1000人が死に、その延長に10万人がいる。
でも考えて欲しい、と私はつい思ってしまう。どんな場合だって、「死ぬのはたった一人だ」ということを。警報システムや避難誘導が功を奏して、死者数が予想よりも一割減少した、半分で済んだ、よかった、よかった・・・これでいいのだろうか。
死は、生命保険会社の支払う保険金額の多寡で評価するものではない。
「私が助かるなら地球が滅んだってかまわない」。こんな言葉を何かの本で読んだ。こうした直裁的な表現はあまりにも傲慢だとは思うけれど、それでも「私の命」は「たった一つの命」なのであり、誤解を恐れずに言うならば地球よりも重く、何ものにも増してかけがいのない命であることに変わりはない。
ただしかし、18万人というとてつもない命の数もまた我々を圧倒する。命は数ではないと、私の頭はどこかで囁いているけれど、でもやっぱり「一つの命」と「18万人が死んだ」こととは、どこかで折り合いをつけていかなければならないのだとも思う。
折りしも今日17日は阪神淡路大震災から10年目に当たる。各地で追悼集会が開かれ、当時の思いを新たにさせてくれる。この震災の被害者は6,433人だと伝えられており、テレビは数日前からこのための特集番組を組み、今日も朝からほとんどのチャンネルがこの報道で埋め尽くされている。
恐らくここでも死は数の問題なのだろう。1.17という形に作られた死者の数だけのロウソクの灯りが、未明の神戸の雨にゆらめいている。
死者を数で評価することは誤りではないだろう。ただ、航空機事故で何十人、地下鉄爆破で何百人、交通事故で何千人、そうした数を基礎とした報道が広がってくると、いつの間にかそれに慣らされ小さな死に鈍磨していっている自分を感じ怖くなる。
新聞やテレビを賑わすような猟奇的な死ではなく、当たり前の一人や二人の死が、どこか遠くに追いやられ、無視され、忘れられていき、あたかも死そのものが存在しなかったかのように感じていく自分が、どこか許せないような気がしてならない。
人の死と自分の死とを重ねて考えるのは老いの特徴かも知れないけれど、でもどこかで「ひとりの死」という一番基本となるテーマを、私自身がどこかへ置き忘れつつあるような気がしてならないのである。
「夜と霧」は、ナチスに捕らえられ収容所へ送られた一人のユダヤ人の「自分の記録」である。この本を読んだのはもう10年以上も前になるが、この本を著者が改訂した新版が最近発行されたのを機会にもう一度読みなおしてみた。
生き残った、「被収容者 No119104」たった一人の記録である。「死」ではなく生き残ったひとりの記録である。彼は生きることをこんなふうに考える。
「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」(E.フランクル、新版「夜と霧」p129)
重い言葉である。ナチスによるユダヤ人虐殺は600万人にも及んだとされているが、この書は600万を糾弾するのではなく、たったひとつの命、己の命の書である。「生きる」とは、死そのものを包含した「命そのもの」の問題なのかも知れない。
追記。今日(17.1.20)の朝のNHKテレビでの報道である。「スマトラ島沖巨大地震と津波の被害者は、213,600人」。・・・・被害者とは死者のことである。
そしてまた、30日の選挙を控えたイラクでは、これを妨害するテロにより、昨日一日だけで25人が犠牲になったという。
世界には理不尽な死が、それこそとめどなく続いている。
2005.01.17 佐々木利夫
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