テレビでプロの声優を目指す21歳の女性のドキュメント番組を見た。なんだかとっても暖かな番組だった。一生懸命な姿の映像からは、努力している本人のひたむきな思いがストレートに伝わってきて、とてつもなく暖かで心にしみるものがあった。
他人に頭を下げるばかりが良いことだとは思わないけれど、自分の能力がまだまだであることを自覚し、相手を尊敬し、対人関係を大事にする、そんなことをきちんとわきまえて人と接する姿は、見ていてとても気持ちのいいものだった。
なんといっても明るさが良かった。恐らく頭を下げつつも、時にはムカッとくることもあるだろうと思う。どうして理解してもらえないのかと口惜しく感じたことも幾度となくあっただろう。それでも彼女は、あたかもそれが天性の明るさでもあるかのように元気に振舞っていた。
「あぁ、こんな人がまだいるんだ」と思った。世の中捨てたもんじゃないなとも思った。「ひたむき」な思いをまともに伝わってきて、そのことに素直に感動した。
ついこの前のラジオ番組で、現代では「門限」が死語になっているという話しを聞いた。そしてこれも最近(6月24日)の読売朝刊はコラム欄で、「家出」もまた若者の選択肢の中から消えていっていることを指摘していた。
門限は、親が子をコントロールするためのギリギリの約束、つまり子の外での行動についての自由を保証することへの代償であったし、家出は、それを実行するかどうかはともかく、子が親に逆らって自立していくための真剣に考えた末の選択肢であり、場合によっては野宿、空腹を覚悟して決断する意思でもあった。
今や子はパラサイト(寄生)することになんの抵抗も感じなくなった。携帯電話で「友達の家にいるから」の一言で親は子を監督しているのだと思い込んでいる。
そうした中で、このドラエモンの声を担当することのできた若い女性の生き方は、とても当たり前の、自立していくためには至極当然の、だから特別ほめることなんて少しもない姿だと思うのだけれど、それにもかかわらずその素直さがとても嬉しかった。
ドラエモンの声に選ばれたのだから、恐らく彼女は成功者の部類に入るのだろう。努力してもなかなか報われることのない多くの仲間の中から、やっと認められたのだから、やっぱり勝利者と言ってもいいのかも知れない。
でも、今の姿がゴールではないと理解していることを彼女の行動は示していた。さりげない仕草のなかに、謙虚でいやみのない表現で、自分がまだまだひよこであることを素直に認めていた。
酔った頭の、零時を過ぎた、ほとんどの人が眠っている、真夜中の番組だった。
なぜか、とても嬉しくてそんな彼女を応援したいと思いながらそのままぐっすりと眠ってしまった。目覚めてもさわやかさだけは依然残っている、そんな番組の、そんな彼女だった。
2005.06.30 佐々木利夫
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