帯広税務署の管轄は、十勝支庁と呼ばれる北海道の行政区画を十勝池田税務署と分け合っていて、1市11町1村を抱える全国一の管内面積を誇っている。

 十勝平野のど真ん中に位置する帯広だから、自転車でもけっこうあちこち飛び回ることはできたけれど、それでもとてつもない面積は、せいぜいが帯広市内を回るのが精一杯である。
 仕事ではJRやバス、それに時に仲間や後輩の車に便乗することでなんとかなるけれど、休日の遠出には限界があろうというものである。

 そんなときに、こともあろうか、襟裳岬に行けないだろうかと、とんでもないことを思いついた。地図でも分かるように、襟裳岬は日高支庁管内であり管轄は浦河税務署である。しかし、我が帯広税務署の管内最南端の広尾町とは目と鼻の先である。

 もちろん帯広から襟裳岬までの距離は片道約130キロ、ゆったりしたサイクリングの速度は時速10キロ程度と聞いたことがあるから、とてもじゃないが土曜日と日曜日をかけたとしても二日で往復できる距離ではない。
 ならば鉄路と自転車の組み合わせがあるではないか。しかも、そうしたチャレンジはまだやったことがない。成功すれば自転車の活動範囲がこれでぐんと広がる道理である。

 ところが帯広駅へ照会したところ、折りたたみの自転車ならば手荷物として持込みを認められるが、普通の自転車は駄目だというのである。計画段階からの挫折である。諦めるか、それとも別の方法を考えるか。

 帯広駅からの自転車持込は無理と分かった。それなら途中の無人駅からならなんとかならないだろうか。通勤通学で混雑しているならまだしも、土曜日の早朝ならばそれほど他人に迷惑をかけることも少ないのではないか。
 この思いつきで頭が一杯になっている身には、「自転車は列車には持ち込めない」という駅から聞いた原則論はどこかへすっ飛んでしまっている。

 広尾線の帯広の次の駅は「依田」という無人駅である。しかも、我が宿舎は帯広寄りに近いけれどその途中に位置しているではないか。さて、快晴の8月も終わりの土曜日の早朝である。自転車で着いた依田の駅には一人の乗客も待ってはいない。一両だけのディーゼル車が入ってくる。駅舎の陰にかくれるように待っている。心臓が高鳴る。列車が停まる。ドアが開く。気持ちはパニック気味だけれど、さりげなさを装うように自転車と我が身を押し込む。ドアが閉まる。デッキから車内を覗く。数人の客しか乗っていない。列車が動き出す。まさかに緊急停車して放り出されることもあるまい。少しホッとする。

 車掌が車内を回っている。次の駅で強制下車させられるか、それとももっと別の何かが起きるのか。デッキへ車掌がやってくる。運命の時である。

 「どちらまで」。車掌が聞いてくる。一瞬意味が分からなくなる。デッキにいるのは私と自転車だけである。私が持ち込んだのは一目瞭然である。自転車の持ち込みができないという言葉が最初に出てくるはずではないか。「広尾までです」。しどろもどろの返答である。

 「自転車は手荷物として200円かかりますからね」。実は料金が200円だったのかどうかは忘れてしまっている。ただ、一体これまでの緊張はなんだったんだろうという気持ちのほうが先に出て、訳が分からないまま自分の運賃と自転車の運賃を払う。少なくともこの車掌の判断による限り、自転車の持ち込みは違法ではないのである。料金を払った以上、この自転車は誰に気兼ねすることもない正々堂々の乗客である。

 邪魔にならないよう、倒れないようにデッキにしっかりと自転車をひもで結びつけ、広尾までの一人旅が始まった。愛国駅を過ぎ幸福駅を過ぎる。流れる車窓の景色を土産に、この安心感との二人旅はなんとも言えない上気分を与えてくれる。

 実は広尾駅で自転車を降ろすことも心配だったのだが、手にした荷物料金の領収書はそんな心配を振り払って余りある神通力を持っている。午前9時少し前、広尾駅下車。方向を確かめて少し下り気味の道を襟裳へと向かう。ここからは50キロ弱である。

 すぐに海岸に出ることができて、襟裳岬までは一直線である。襟裳岬が崖の上にあることは何度か観光に来たことがあり知っているが、どうやらそこまでの道のりは平坦な海岸線が続いているらしい。快適である。黄金道路である。別に金ビカな道路でも景色が百万両というわけでもなく、単に道路工事に金を敷き詰めるくらいの金がかかったという意味らしいが、それでも快晴のサイクリングは一人天下である。向かいから来るツーリングのバイク集団に「こんにちは」と声をかけたくなるほどの嬉しさである。

 襟裳岬到着正午少し前、3時間弱での到着である。なんの問題もない。疲れすらない。郵便局ではがきを買い、記念スタンプを押して自分宛に投函する。
 岬の食堂で昼飯を食いながら考えた。自転車を列車に乗せることは可能だと分かった。今朝の起床は早かったけれど、今はまだ昼である。明日中に帰ればいいのだしその予定でもある。岬をかわして浦河まで行っても60キロ程度だ。4時間もあれば着くだろう。よし、今日は浦河泊まりにして、明日は同じコースを戻ることにしよう。ビールは今晩のお楽しみだ・・・・。

 予想が甘かった。ゆっくりと岬見物してから浦河方面へ向かい始めたとたん、急に自転車が重くなる。
 向かい風だ。どうやら広尾から襟裳岬までの快適さは、快晴や我が健脚もさることながら追い風によるところが多かったらしい。岬をかわしたとたんにそれが裏目に出た。
 襟裳は風の町である。襟裳岬は風の岬である。それが証拠に、後年完成した町営の岬の観光施設は「風の館」と名づけられているし、岬一帯には今では風力発電の風車が林立している。

 私の計画に風向きはまるで入っていなかった。岬の道の曲折だから、風の弱い場所もあるけれど、どうあがいても歩くより遅いと思われるほどのスピードしか出せない場所もある。だからと言って引き返すのは癪だ。風に負けたなどとは到底認めることはできないし、初志貫徹こそ男子の本懐である。

 だがしかし、与えられた試練は苛酷である。風に逆らうこと約2時間、おお、神様、後輪がパンクした。風何するものぞと張り切る足にもそろそろ疲れが出始めてきている。町並みはなく、ましてや自転車店などどこにも見当たらない岬からの一本道である。
 降りて歩く。自転車は片手で押せそうなものだが、やってみるとなかなかそうはいかない。両手で押しながら歩く道はどこまでも遠く、心細く、歩くだけよりもつらい。

 浦河まで行くのを断念する。浦河の手前7〜8キロに国鉄日高線の終点様似町がある。ここを今日の終点とすることに決める。もうダメだ。歩くのだけですらつらい。この調子だと、たとえパンクを直したところで浦河どころか明日の走行すらも無理である。
 帯広へ戻るルートはなんとかなるだろう。今はとりあえず自転車の始末と宿の手配である。宿は決まった。自転車は駅の日本通運で受け付けてくれた。疲れは既に極限である。とにかくビールが飲みたい。浴びるほど飲みたい。近くの酒屋で1リットルの缶ビールとカップ酒を買い込み宿へ持ち込む。風呂へ入って、飯を食って、持ち込んだビールを空け、気がつくと灯りのついたまま夜明けを迎えていた。

 昨日の予感が的中して、とてもじゃないが自転車を動かせるような足の状態ではない。さて、自転車は送ってしまったので手ぶらである。どうやって帰ろうか。昨日の道を逆に広尾までバスで帰る手もあるが、そのコースでは敗残の足跡をたどるようでなんとも気に喰わない。
 やけに天気がいい。様似駅から日高線で鵡川へ出て、そこからこれも今では既に廃線になってしまっているが富内線で日高町へと向かい、そこから日勝峠を通ってバスで帯広までというルートがあったはずである。これにしよう。

 かくて勇んで飛び始めた襟裳岬単独飛行であるが、無残にも貨物便で自転車を送り返すという予期せぬ結果となった。
 そしてこの話は、後日その自転車が職場に配達されてきたことで部下に知られるところとなり、しばらくは飲み会のたびに酒の肴にされたことは言うまでもない。

 そして更に後日談、このことが私の原付免許取得の誘引となり、改めて今度は同じコースを50ccバイクによる単独走破という快挙(?)へと結びついていくのである。もちろん原付といえどもバイクである。日帰りである。こうして私はエンジン付きの翼を得たのである。



                            2005.04.26    佐々木利夫


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襟裳岬自転車行
  

 「ふるさと銀河線」のエッセイを書いている中で、国鉄広尾線の廃線に触れた。
 そしてそれがきっかけで、愚にもつかない昔のことを思い出してしまった。

 私が運転免許を取得したのは、帯広の勤務も2年を終わろうとする頃の50ccの原付バイクが最初である。46歳のそれまではもっぱら人力自転車が私の足だった。