外交と契約書
  
 北朝鮮との拉致問題で、なるほど国と国との外交と言うのはとてつもなく複雑で難しいのだと考えさせられることしきりである。常識が常識として通じないという現実は、実に歯がゆいものがあり、即刻実力行使(経済制裁発動)だという主張もあながち理解できないことではない。

 そんな中での最近の話題である。拉致された横田めぐみさんの「遺骨」と称するものが北朝鮮から日本に引き渡され、それが日本に残されていた本人のへその緒のDNAと比較検討された結果、偽物だと判定されたことが両親や拉致被害者家族のみならずマスコミ一般にも公表された。

 ところで、この遺骨が日本に引き渡されたとき、日本と北朝鮮との間で、「遺骨のことは公表しない」とする契約を文書で交わしたとされ、北朝鮮は日本がDNA鑑定結果を公表したのはこうした契約に違反していると抗議し非難している。

 これに対する日本の言い分はこうである。

 公表しないとの文書を交わしたことは事実である。しかしながら、その契約の際、「遺族の意向によっては公表することもあり得る」と口頭で伝え、これに対して北朝鮮側は何の異議もとなえなかった。従って公表したことに何の違反もない。

 なんだか変である。この日本側の言い分はどこか変である。こんな日本の言い分を認めてしまったら、契約書なんて一体なんの意味があるのだと言いたくなってしまう。

 北朝鮮の拉致問題に対する様々な対応は、そのほとんどが自分勝手で理屈に合わない行動だと思う。不誠実な対応だとも感じている。言語道断だと思うケースだって存在している。
 しかし、この契約に関する点だけはどうしても日本の言い分が変だと思うのである。相手が99パーセント不誠実なのだから、残る1パーセントも不誠実の中に押し込めてしまえというなら、それはそういう理屈で対応すべきだろうが、それでは国際間で筋が通らないだろう。

 私は、文書でなく口頭によるものだから、それを根拠にした日本の主張が変だと言っているのではない。言った言わないの場合に文書のほうにより強い証明力を求めるのは当然だとは思うけれど、だからといって口頭によるものだって正当な契約であり、守らなければならない契約であるはずである。

 そうではなくて、同じ場所で同時に、文書と口頭とで異なった契約をしたということが明らかな矛盾ではないかと、私は思っているのである。文書による契約と矛盾した内容を口頭で述べ、その言い分に相手が異議を唱えなかったからそのことも有効だというのなら、文書で交わした契約というのは一体なんだったのだろうか。

 もちろん本体の契約ではつめ切れなかった事項であるとか、具体的な細かな約束、更には本則適用を除外するために例外規定などを別に定めると言うのならそれはそれで分からなくはない。
 ただそうした場合であっても、本体の契約書に「別段の定め」を置くことを明記するのが常識ではないだろうか。

 にもかかわらず本件の場合は、本体の契約内容を真っ向から否定するような発言を当事者の一方が口頭で述べ、これに相手が異を唱えなかったからと言って、それが相手の同意の意思表示なのだと決めつけることにはどうしも理解が及ばないのである。相手が日本側の口頭発言を無視したのではなく了解したのだということを、どのようにして確認したというのだろうか。

 銀行から金を借り、金銭消費貸借契約書(借用書)を交わす。文書には金額や弁済方法、利率、担保などが書かれており、貸す側、借りる側それぞれが署名する。
 借りた人間が現金を受け取ってから帰り際に銀行に向かって、「この金は私が借りるのではなく本当の債務者は弟です」とか、「場合によっては返せませんが担保は処分しないでください」とか、「担保の土地は弁済前に私が勝手に処分するかも知れません」などと一方的に言ったとしよう。

 そのことが文書で交わした金銭消費貸借契約書の内容を変更するだけの効力を持つだなんて、一体どこからそんな理屈が出てくるのだろう。銀行が相手の話を荒唐無稽のひとり言と解して無視したとしたら、それで「異をとなえなかった」として契約内容が変更されるとでもいうのだろうか。

 私は遺骨引渡しの現場にいたわけではないし、そのときの状況が逐一私たちに報道されているわけでもないから詳細は分からない。だからその時相手のとった「異を唱えなかった」という態度が、黙示の了解の意味なのか、無視なのか、文書に書かれた以外のことなど聞く耳持たずの意味だったのか、見当もつかない。

 もちろん私には外交のことなど皆目分かっていないから、契約違反もまた外交の中で評価しなければならないものなのかも知れない。

 私人間の契約には「法律」という裁判規範があり、紛争は最終的には裁判の場で解決され、必要に応じ国がその執行を担保する。
 しかし、国家間には一部の例外を除いて裁判制度がないから(と言うよりは、裁判の結果に伴う強制執行のための制度がないと言うべきか)、契約に関するトラブルもまた外交の問題として評価しなければならないのかも知れない。

 だから、そうした契約違反に伴う結果の予想さえ読み誤らなければ、「嘘もあり」であり、場合によっては「なんでもあり」なのかも知れず、世界はそうした一切合財をひっくるめて「外交」と呼んでいるのかも知れない。そしてそれを支えるのが一国の政治なのだとも・・・・・。

 でも私は外交を知らない素人だから思うのである。国と国だつて嘘はだめだよな、約束は守るのが当たり前だよな、言ったことには責任とらなくっちゃな、イエスはイエスだし、ノーはノーだよな。

 北朝鮮のやり方はそのことごとくが姑息だとは思っている。しかしながら私は、少なくとも遺骨引渡しおける「公表しない」という約束に関してだけは本来約束すべきでなかったし、約束した以上はそれを守るのが相手がどんな国であろうとも国際間のルールではないのかと思っているのである。

 「秘密の覚書」という言葉を読んだことがある。

 「・・・しかしこれ(日米半導体協定)には秘密の覚書(サイドレター)がついていた。秘密の覚書というのは日本官僚の十八番の手で、何も譲歩がない形を表向きは装いながら、アメリカ側当局者には譲歩したように思わせることができるというたぐいのものである。・・・・・・・」(プレストウィッツ著、日米逆転・成功と衰退の軌跡〜内橋克人著、同時代の読み方p110からの孫引き)


 もしかしたらこの交渉でも、表向きとはまるで別の内容を持つ秘密の覚書(サイドレター)みたいなものが密かに交されていたとでもいうのだろうか。

                     2005.01.27    佐々木利夫



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