なんと大ニュースである。私のなじみの小さなスナックに、突然著名な芸能人がやってくるのだという。札幌の繁華街は、天下に知らぬ者なしの「すすきの」だが、私の事務所はそこから4キロ以上も離れた「琴似」という場末にあり、したがってなじみのスナックも事務所から歩いて5分ほどのところにある。

 なじみとは言っても月に1〜2度、同じ税理士仲間の友人と一緒にカウンターで過ごす気の置けない店である。愛想のいい、どちらかという鉄火を秘めた美人のママさん、そして娘よりも若いホステス相手に決まりきったカラオケ曲にうつつを抜かす、それこそ人畜無害の「恐らく、いい客」だろうと勝手に自認している、15人も入ればあふれてしまうような小さなスナックである。

 そんなスナックに、今晩芸能人が来るとの突然の大ニュースが飛び込んできた。誰だ、一体誰が来るというんだ。

 話の発端は、そのいつもの飲み仲間からの電話である。少し興奮しているようで始めはなんの話なのか分からなかった。
 要は、ママから、今晩9時、店に「堀内孝雄」がくるので寄りませんかとの携帯メールが入ったというのである。そして是可否でも行こうとの誘いである。ネットにつないでいなかったので着信音が鳴らなかったらしく、確かめてみたら私のパソコンにも同じようにママからのメールが入っていた。

 彼には今日は別の会合があり、私はヨサコイソーラン祭りの夜の写真を撮りたいと考えていたので、お互いに用事があって普通なら飲み会の設営などしないのだが、ことは天下の一大事である。自分の会合の予定は早めに切り上げてても絶対行きたいという仲間の覚悟に、「よし、分かった。俺も撮影を早めに切り上げて8時半には事務所で待っている」と早速乗っかる。飲む話はすぐに決まるのが飲兵衛仲間のいいところである。

 出かけたスナックは既に7〜8人の客で盛り上がっていて、いつもの我らが定番席のカウンターも先んじた客でふさがっている。歌う人もいないのにカラオケは堀内孝雄の曲が切れ目なく流れており、ママもホステスもいささか興奮気味である。
 もちろん、カメラ、テープレコーダーの用意も万端であるし、ホステスの話では少し調子の悪かったカラオケのマシンも業者に頼んで今日は完璧に調整済みとのことである。
 堀内孝雄が谷村新司と「アリス」というグループを作っていたこと、その頃はピンク・レディ全盛だったこと、テレビのはぐれ刑事のエンディングテーマ曲を毎回歌っていること、紅白歌合戦にも出ていること、最近はヒット曲があんまりないなどなど、余計な話しまで含めて、この小さなスナックは宵の口から盛り上がるばかりである。

 用意は整った。堀内孝雄の入り込む余地もないほどに満員盛況の客も集まった。時は9時を少し過ぎた。店への滞在予定は50分くらいとのことである。札幌へ来るようなニュースは聞いていなかったが、恐らくヨサコイソーランにでも出演した残り時間を使ってのアルバイトじゃないのかなどと、したり顔の解説もあって、この小さなスナックにも久し振りの活気である。上気したママの顔がひときわである。

 10分が過ぎ、15分が過ぎた。・・・・と、突然、度派手な衣装をつけた男二人が飛び込んできた。私はあんまり堀内孝雄の顔を知らないので仲間に聞いてみる。仲間もそれほどの自信はなさそうだが、それでも「少しは似ているところもあるかも知れないが丸っきりの別人だ」という。

 さてさて、やってきた男二人はカウンターの近くで、いきなりトランプを取り出してカードマジックを始めたものさ。やがてそのうちの一人はボックス席へもやって来て、これまたカードや小さなスポンジボールなどを使った手品を始めだした。

 堀内孝雄ともなると、回転を良くするため、自分の出番は少なくしてこうした前座を使った時間稼ぎをするのかと、少なくとも私は思っていた。まあ、こんなものだよなと納得もしていた。カウンターの少し陰になっているボックスに座っていた私には中にいたママの姿は見えなかったのだが、ママはどうやらこの時点でことの真相に気づいたらしい。

 男二人は手品の妙技に驚く客たちの前で40分ばかりの時間、小さなかばんからのいくつかの商売道具を使いながらゲームを披露し、簡単な手品の小道具を客にプレゼントしつつまるで豆台風のように足早に去っていった。

 これで話は全部終わりである。唖然としたママとホステスと大勢の客を残して、堀内孝雄ショーは幕を閉じたのである。堀内孝雄出演の話がいつ、どんな方法でママにあったのか、それは知らない。しかし、その時から多くの馴染みの客へ声をかけ、用意万端整えて待っていた世紀の一大イベント、将来とも語り草となり、この店の思い出ともなるであろう「当店にて堀内孝雄大熱唱」の歴史的ニュースは、赤いスポンジポールを指先から消してしまう手品同様に、静かに、そして実にあっけなく終わったのである。

 まあ、詐欺と言えば詐欺だろうし、ちゃんと出演してゲームを披露したといえばそれもまた嘘ではない。どんな契約だったのか、だれと契約したのか、いくらで契約したのか、それは分からないし、聞いてもせん無いことでもある。ママの落ち込んだ顔の前にはどんな言葉もないし、いつかは笑い話になるだろうけれど、今はそんな冗談すらはばかられる。

 堀内孝雄である。それなりの契約金であろうし、恐らく先払いであろう。それを客に請求するつもりなどなかったろうから、馴染みの客へのママからの一生懸命のプレゼントである。今後とも堀内孝雄の話が弾むつけ、馴染みの客は一層のリピーターとなって、足しげく店へ顔を出してくれることだろう。

 そうしたママの気持ちを裏切った相手を許すことはできないけれど、それでもこの事件はなぜかとても愉快なできごとだった。
 愉快さの背景には、私のほうにはなんの実害もなかったという無責任さもあるのだとは思うけれど、それでも、もし堀内孝雄が来店して仮に数曲歌ったとしても、私にとってのそれは単なる聞いたことのある歌手が来て歌ったということに過ぎないのだと思う。

 それに対し今回の事件は、改めてママの善意であるとか、詐欺の手口であるとか、芸能人が来るという情報の価値やそうした状況へのはしゃいだ気持ちと結果の落差などと言った人間ドラマや社会の姿をまざまざと見せてくれた。

 そして思ったのである。世の中、振り込め詐欺だのと言って、どうしてあんな単純な電話の応答に引っかかって大金を振り込んでしまう輩がいるのだろうかと思っていたけれど、少し距離を置いて眺められる状況にいる場合と当事者になってしまった場合とではまるで違うのだと。

 恐らくディナーショーで一人数万円も稼げる堀内孝雄が、こんな場末のスナックに来るはずがないではないかと言われれば、それはそれで反論の余地はない。でもそれは、結果である。
 ママは信じたのだし、当事者ではないと言いつつも、私もそしてその日集まった客の全部が堀内孝雄が店に来ることを信じたのである。あの店にいた全員がこの情報を信じて9時を待っていたのである。

 小さなママが、一段と小さくなって見送ってくれた店の外、いつもより少し酔っていたけれど仲間と二人はなんとなく今日の出来事を愉快に感じていた。・・・・・・酔った頬に吹く風に、JRの駅までの夜道はもう夏の気配である。

 そして翌日、ママから「昨日はごめんなさい、今度日本酒サービスするからね」とメールが入っていた。幼かったママの息子がいつの間にかガールフレンドを見つけ、そのガールフレンドが店に飲みに来ている・・・そんなにも昔からの馴染みの店である。
 そしてまたのこのこといつものように仲間と出かけていくであろう私である。



                            2005.06.13    佐々木利夫


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