座席は塞がっているし私が降りるまで二駅だからつり革にぶらさがったままで揺られているが、なんにもすることのない二駅と言うのはそれなりけっこう手持ち無沙汰なものである。そうした手持ち無沙汰と言うのは乗客のそれぞれも同様なのだろうか。そう思って車両の中を眺め回して驚いた。

 もちろん遅い時間だから、中には眠っている人もいるし新聞や本を読んでいる人もいる。だが半分ほどの人が携帯電話を手にしているのである。

 電車の中での携帯の使用が、電源切断から通話禁止に移行したらしいとの話は聞いたことがあるけれど、既に携帯を手放してしまっている私にとってその辺のことをきちんと理解しているわけではない。だが事実としてこの車内には一人として通話している人がいないのである。つまり車内は沈黙の状態なのである。

 にもかかわらず私の周りは若い人年配の人、男女を問わず携帯の画面を眺めている人、せわしなくキーを押し続けている人で溢れているのである。眠ったり読んだりしている人以外のほとんど全員が携帯を開いていると言っても良いほどなのである。

 携帯電話はその名のとおり電話のはずである。電話だとするならその目的は会話することにあるはずである。だがこの車内の風景はそれとは全く違う。違うどころではない、車内の半数もの人が携帯電話を手にしているというのに、一人として会話をしている人がいないというのはどこか異様である。

 話をしているのなら「うるさいな」などと迷惑に思うかも知れないけれど、それはそれで違和感はないと思う。だが一人や二人ではない、携帯を開いている全員が通話ではなく沈黙のままで画面に対峙している姿というのはどう考えても異様である。

 これはいったいどうしたことなのだろうか。携帯がこれほど普及しているという驚きもさることながら、この車内は、使われていながらも沈黙のままという携帯であふれている異様な空間であり、まさにこの閉鎖された車両全体が世間とは隔絶された異空間、つまりはお化け屋敷になっているのである。

 携帯依存症と呼ばれる状況にある人も多いと聞いた。こうなると既に病気である。携帯はまるで自ら意思を持っていて、まるで薄暗闇に潜む幽霊のように「オイデ、オイデ」と手招きを繰り返しているかのようである。

 しかもどの乗客もそんな状況に無関心であり、そうした隔絶された空間が存在していることにすら気づいてはいない。電車はお化け屋敷を閉じ込めたまま午前零時の闇をひたすらに突っ切っていく。





                            2005.10.04    佐々木利夫


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携帯お化け屋敷
  
 少し酔っての帰り道、午前零時に近くなるとJRもそろそろ終わりに近いのだが、それでも札幌から小樽方面へと向かう車内には立っている客も結構多く、まあどちらかと言えば混んでいるほうである。酔客もいるのだろうがそんな気配は少なく、むしろ若い女性も多くてそれぞれ仕事帰りという感じがするのは今日が平日だからだろうか。