私は北海道生まれの北海道育ちだから、いわゆる道産子である。道産子とは本来は北海道生まれ固有の農耕馬を指すのだけれど人間も同じように呼ばれている。昔から北海道は標準語(今は共通語と呼ぶらしいが)だと言われており、方言と標準語の差というのはそうした差そのものの中に田舎の言葉と都会の言葉みたいな差別を潜ませていたから北海道は都会だというような雰囲気があってなんとなく優越感みたいな意識があった。もっとも旅行などで日本中あちこち回っていると、列車や旅館などの行きずりの会話の中で、気づかずに北海道弁も出てきてしまい、必ずしも私の言葉は標準語ではないなと思い知らされる場面に出会うことも多かったのではあるのだが・・・。

 そのことはとも角、私が大阪弁と出会いそれなりなじんできたのは恐らくはラジオやテレビなどを通じた落語や漫才、それに関西系のドラマや劇場中継などで接する場合が多かったからであろう。そして同時に大阪弁を一つの方言と認識しつつ、聞いていてそんなに違和感はなかったような気がする。
 ただそうした違和感の少なさは、一方的な受身として聞いていたからだとやがて自ら体験することになるのである。

 税の職場にも中堅者を集めた全国的な研修制度がある。内部での試験を受けて合格して初めて行けるのだが、私も人並みにそうした機会にチャレンジした一人であった。

 本科と呼ばれる研修であり、約一年間、妻子を地元に残した東京新宿での単身寮生活である。入学式に集まった全国からの二百数十名は北海道からの十数名の仲間を除いて一人として知る者のない、勉学のためにだけ集められた集団である。

 何しろこれだけは言える。入校式、私を除いて全員が私より優秀な顔つきの男ばかりが講堂にずらりと並んでいる様は壮観である。「しまった、来るんじゃなかった」と思ったところで既に後の祭りである。
 「ここでの研修は懲役一年、罰金うん十万だ」と先輩から言われてきたことが早くも入校式で現実のものとして思い知らされる。

 東京在住以外の研修生を集めた一部屋二人の寮生活が始まった。見知らぬ他人とのコミュニケーションの第一歩は酒を酌み交わすことから始まるのが、平凡だが効果的な定番行事である。私の部屋の住人は大阪出身者であった。同じ階の住人かそれとも教室の仲間だったか、どんな組み合わせによるものだったかは忘れてしまったが、5−6人で自室での飲み会を開くことになった。

 近くの店から酒やつまみもそれぞれに手配した。ところが肝心の酒酌み交わす入れ物がない。各人自分なりの湯飲みや歯磨きコップなどは持参してきているのだろうがグラスまでは用意していない。
 そこへ私に向かって名すらまだきっちりと覚えていない仲間の一人から大阪弁が発せられた。「コップカッテコイ」。みんな新人だしスタートラインに並んだ仲間だけれど、少し遅く合格した私である。この中では最長老とまでは言えないまでも長幼の序をつければ上のほうである。その私に向かって「コップ買ってこい」はないだろう・・・・と、少しムッとする。

 さりながらグラスがないことには酒盛りは始まらない。それに買ってきたグラスは私のものになるのだし、これから一年間それなり出番もあるだろう。しぶしぶながら近くの酒屋まで出かけ急いでグラスを10個ばかり仕入れてきてどうやら酒盛りは始まり、それなり盛り上がった。

 ところが話はこれだけではなかった。飲んでいる最中にかの大阪弁が言ったものさ。「あれ先輩、このコップお金出して買ってきたんですか」と。「何を抜かす、買ってこいと言ったのはお前じゃないか」との思いを酒とともにぐっと飲み込みつつ「そうだよ」と答えたのだが、なんとこれが我が東京生活での大阪弁との食い違いの始まりだった。

 間もなく分かったのだが、大阪弁で「カッテコイ」と言うのは実は「借りて来い」の意味だというのである。お金を出して買うのは「コウテコイ」と言うのであって、彼としては近くの仲間かそれとも食堂のおばさんあたりから、グラスを借りてきて欲しいと私に伝えたのである。だがしかし私の記憶する語彙の中に「コウテコイ」はない。「カッテコイ」まさにその言葉どおりの意味として私に伝わったのである。

 話は私の勘違いが笑いの材料になったことで一件落着するのだし、グラスの代金まで割り勘にしようともするつもりもないまま飲み会は賑やかに終了した。

 しかし、この大阪弁事件に対する私の印象は必ずしもいいものではなかったから、私の気持ちの中にはいつの間にか「大阪弁には気をつけろ」みたいな意識が出来上がり、それはそのまま大阪人に対する一種の差別感にも似た偏見につながっていくのであった。

 二百数十名の研修生は学ぶべき税法の種類ごとに一クラス二十数名の小班に分かれ、ゼミを中心とした活動をするのであるが、私の所属する班にも東北から九州人まで25名が混在し、中に一人大阪弁が居た。
 しかも彼は優秀な論理家であり、議論すべきゼミの問題に対しても通達や裁判例、更には学者の説なども引用して滔々と自説を論ずるのである。しかもその弁舌たるや相手に一言半句も挟ませる余地のないほど流暢な大阪弁である。夕張、稚内、苫小牧、釧路と北海道内の地方ばかりの転勤暮らしで、酒の飲み方はともかく碌に勉強もしないで遊び暮らしていた私にとって、とてもじゃないが歯の立つ相手ではなかった。

 だが叶わぬまでもこのまま尻尾を巻いて引き下がるのは道産子の沽券にかかわると言うものだ。ましてやたとえ身勝手な偏見による思い込みだとしても、この生意気な大阪弁にこれからの一年、屈したまま過ごすなど断じて許されるものではない。

 かくて、はしなくも我が実力は最下位に位置しているであろうことを自認する一人の研修生は、つい数日前、この身に振りかかった「コップカッテコイ」の誤解に発奮したこと及び流暢で生意気に聞こえる大阪弁に対する身勝手な偏見から、この大阪弁男をターゲットとした最下位脱出の決意を密かに誓ったのである。

 もちろん彼をライバルとみなしたのはこちらの勝手であり、誰に宣言したものでもなかったから、密かな思いは私一人の胸の中にのみ存在する。だから当のライバル自身にもその思いを知られることはなかったのだが、それでも決して威張れるきっかけからではないにしても、結果として湧き上がった「ライバル意識の発生」は、一年間の寮生活にそれなりの刺激を与えてくれることとなった。

 そしてなんとその刺激の効果は、卒業時における自分でも驚くほどの満足すべき状況へと結びつくことになったのであった。めでたし、めでたし・・・・。



                        2005.10.15    佐々木利夫


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大阪弁とわたし