私のペットと言えば、せいぜいがパソコンの中で熱帯魚を飼うくらいなもので、それとてもソフトが巧妙にできているせいか餌や照明や病気治療はもとより、産卵や孵化の管理、幼魚の命名などなど毎日の付き合いにいささか疲れてきて二年ほど前から生魚、卵ともども冷凍保存(なんのことはない管理放棄である)したままになっているという体たらくだから、そもそもペット飼育の資格自体が問われそうであり、もともと生き物との付き合いはそんなに好きではない。

 こちらが好きでないと相手も同じように反応するのかも知れないが、道路などで鉢合わせすると、いきなり吠えられたり、時には悪女の深情けの類なのか馴れ馴れしく足元に擦り寄られたりすることがある。
 今ではペットは様々な種類が飼われているらしいが、私の周りではニシキヘビだのトカゲだのなんていうのはまだお目にかかったことがなく、せいぜいが犬か猫であり、しかも我が身にダイレクトに差し障りのあるのはむしろ犬のほうだと言っていいだろう。

 まあ差し障りとは言っても、特別に実害のない限りそんなに目くじらを立てることもないと思ってはいるのだが、最近はそうした他人とかかわりのある場合の飼い主の対応にいささか気になることが多くなってきた。

 犬の内心が、警戒心にあるにしろはたまた勝手な親愛にあるにしろ、こちらがペットと接近する場合は路上にしろ玄関先にしろ不意打ちの場合が多いから、吠えられたり余りにも身近に接近されたりすると、どうしたって驚くし、時には逃げ腰になったりする。

 そんな時の飼い主の反応である。大体が犬を散歩させるのなら勝手に動き回らないように紐を結び付けてコントロール可能な状態にしておくのが普通だろうし、特に第三者が近づいてくるような場合にはその紐を短くして身近に犬を引き寄せ相手に迷惑のかからないようにするのがエチケットだろう。もちろん犬は自分の行動範囲を制限されることになるのだから迷惑だろうし、飼い主にしてみても可愛いペットの自由を束縛するなど不本意だとは思うけれど、そうすることが行きずりの見知らぬ相手とは言え人と人との暗黙のルールであろう。

 だがそうしたエチケット意識というのはこっちの勝手な思い込みなのかも知れない。最近の風潮なのかそれともペットを飼う人間が増えてきたことによる相対的な増加なのかどうか必ずしも良く分からないけれど、そうした配慮のない飼い主の多いことに驚く。

 だから犬は自らが主人でもあるように気まま、かつ、我が物顔に振舞うのである。ペットの飼い主には年配の方も多いが若い人もけっこう増えてきた。だが飼い犬が他人に対して吠えたり近づいていったりしたとき、飼い主の年齢を問わず一様にその反応は「犬を叱るだけ」なのである。

 「ダメって言ってるでしょう」、「何度言ったら分かるの・・・・・」・・・・。その言葉を犬がどこまで理解しているかどうか疑問だけれど、言っている目的も意味も良く分かる。でも、飼い主の発言の全部がそこで止まってしまうのは何か変だ。

 吠えられたり擦り寄られたりして相手が逃げ腰になったり驚いたりしているところを飼い主は見ているはずであるり、だからこそこうした叱るという言動を犬に発したのだろう。
 だとすれば、少し大げさかな表現になるかも知れないけれど、自分の飼い犬によって驚かされた被害者である相手に対して飼い主の責任として「ごめんなさい」とか「申し訳ありません」の一言がまず最初にあって然るべきではないかと私は思うのである。

 ほとんどの場合、私は単に驚いて身を多少よじって犬を避けるだけで、噛まれる訳でも傷を負うわけでもない。多少の驚きを別にすれば被害と言うほどのものを受けるわけではない。だからと言って「犬を叱る」という行為は、その犬が他者に対して良くないことをしたことを飼い主自身が理解していることを示しているのだから、まず第一にその迷惑をかけた他者に対して謝意を告げ、その後に犬のしつけという行動に向かうべきでないかと思うのである。

 咄嗟の場合だから場合によって順序は違ってもいい。思わず犬を叱ってしまう行為が最初に出てきたとしても、それはそれでいいと思う。でもその次に相手に謝意を告げるのが飼い主としての礼儀ではないかと思うのである。

 飼い主はそのまま何事もなかったかのように犬を引き連れて立ち去り、犬もまた当然に飼い主の後を慫慂と従っていく。相手に傷を負わせたわけではないのだから、それが現代の当たり前な日常なのかも知れないけれど、やっぱりこの日常はどこか変ではないかと感じてしまうのである。

 多くの場合私はその飼い主と個人的な付き合いはなく、初対面の場面が多い。だからこれから仕事にしろ友人としてにしろ新しい付き合いが始まる可能性などほとんどないだろう。場合によっては二度と会うことのない相手なのだから謝ってもらっても謝ってもらえなくてもその飼い主とのこれからの対人関係に影響を与えることはない。

 ただ私は思うのである。その飼い主が後からでもいいから、「しまった、あの時あの人にも謝っておけば良かったな」と思ってくれるのならそれはそれでいいのだが、そうした思いをなんにも感じないままに我がペットが人に向かって吠えたことすら忘れてしまうのだとしたら、世の中「エチケット」だの「礼儀」だのという他人との潤滑油とも言うべき基本的な習俗がどんどん風化していってしまうのではないだろうかと心配になるのである。

 えっ、あなたは私がその場で飼い主に対してそうした「人間として有り得べき姿」をきちんと伝えたかとお尋ねですか。とんでもない。ペット嫌いの私としては、ペットに嫌われている上に更に飼い主にまで嫌われることなど、とても恐ろしくて言えるはずなどないではないですか。



                            2005.10.20   佐々木利夫


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 最近では一般家庭だけでなくマンションでもペットを飼う人が多くなってきて、それにつれてペットを飼わない人も否応なく関わりを持たせられる場面が多くなってくる。