中越地方も今年は大雪が降って、特にこの地方には老人が多いから除雪も大変である。そこで善意の使者たるボランティアの登場となる。
 しかし、善意はその善意を行う側の意識ばかりが強調されて、どうも後始末がついていかないような気がしてならない。

 本来、屋根の雪下ろしはこれまでその地域も含めた自分たちでやってきたはずである。それが今度は「地震で大変だったからお手伝いします」ということになり、雪下ろしをする人もやってもらう人も互いに満足している。

 それはそうだろう。ボランティアは人に奉仕すること自体に喜びを感じ善意の自分に誇りを持っているのだし、受ける側だって自分がしなければならない苦労を無料で他人が背負ってくれるのだから大助かりである。

 でもボランティアはここまでで止まってしまう。大雪で屋根の雪下ろしが大変なのは、豪雪地帯共通の出来事であり、特にこの冬は日本列島いたるところが豪雪だった。
 いやいや、除雪の大変さは豪雪地帯だけではない。北海道は中越地方から比べるならずっと雪の少ない地方だし、屋根の雪下ろしなんぞは数年に一度かもっと長いかも知れない。それでも通路の除雪は年寄りには困難を極める作業である。

 それがなぜ中越地方なのか。昨年10月23日に起きた震度6強の地震のせいである。全村避難という地域まで発生した地震があったからこそ、ボランティアは中越地方に来たのである。青森もこの冬は記録的な豪雪だった。しかし青森には屋根の雪下ろしのボランティアは来ない。

 だから私は思うのである。来年はどうなるのだろう、再来年はどうなるのだろうと・・・・・。雪下ろしをしてもらった人は、来年はどうするのだろう。来年も地震がくるなんてのは聞きたくもないジョークである。そして豪雪と地震とはまったく無関係である。地震があってもなくても、新潟や長野が豪雪に見舞われるのは地球上における日本の位置とこの地方の地形からくる必然である。それはもう繰り返される避けられない歴史なのである。

 今年雪下ろしを助けてもらった老人は、そのことに馴れてしまうのではないかと心配なのである。
 老人と言ったって、矢張り自立して生きて欲しいのだし、それが「生きること」なのだと思う。現在の介護保険でも問題となっているように、オンブにダッコの支援が依存する老人や寝たきり老人を逆に増やしているケースも多いと聞いた。

 役場がどこまでやれるか分からない。しかしながら、現在の地方自治体の財政状況や高齢化社会へ入ろうとしている現状を見る限り、そして現実の道路の除雪状況や過疎化の状況などを見る限り、自治体がボランティアに代われるかどうかは疑問である。恐らく無理だろう。

 そうした時、去年は受けられたサービスを今年受けられなかった老人は、どうしたってどこかで不満が残ることになる。去年のサービスは地震による例外措置だったと理屈では分かっていても、分かったところでこれからしなければならない雪下ろしの苦痛が和らぐ訳ではない。
 その結果、ボランティアの人は優しかったけれど役場は冷たいなんて言われてしまうのだとしたら、ボランティアは逆に老人を甘やかしただけにしか過ぎないことになってしまうのではないか。

 ボランティアの中には、フリーターまがいに突然に役場やNP0などに押しかけ、「宿無し、食い物なしだけど手伝う気持ちだけある。なんとかしろ」と善意だけを押し売りする例も多いと聞いているから、こうした善意を提供する個人の意思にも問題は多々あるけれど、システムとしても考えなければならないことが多いと思う。

 とことん面倒を見るのか、どこで善意を切り上げるのか、その切り上げに伴うアフターはどうすればいいのか。
 善意は思いつきだけではだめだと思う。善意は与える側の自己満足だけのものではない。善意には「きちんとした終わらせ方」まで考えた上で行なわなければならないという、重い責任が伴っていると思うのである。
 そして、もっと言うなら、そこまで考えない善意は、善意とは呼ばない、呼んではいけないとまで思っているのである。

 だからという訳ではないけれどそんなこんなで私は身動きがとれず、言い訳がましい混乱そのままに場末のスナックでこんなカラオケ歌いながら、密かに自分をごまかしている。
 しかも、この歌の最後の一行に、「どうしてこんな中途半端な俺のことが分かってしまったんだろう」と見知らぬ歌手の超能力に驚いているのである。

自 分   作詞・作曲/小谷美沙子(おだにみさこ)

自分よりバカな人を見て安心した
自分の罪を人に着せて楽をした
私の弱さを認められずに
最後の最後には世の中のせいにした

成功する人をねたみ 短所をさぐった
見つかったのはみにくいみじめな自分だった
誰もがそうだと結論づけて
最後の最後には世の中のせいにした

悲しいNEWSを見て涙を流して
自分は温かいやつだと満足してる
大事なのはNEWSの中身なのに
涙にひたって泣けたことを自慢する

救急車が走ってる どこかで誰かが
苦しんでいるのに ahわたしは…。
その人の家族は心配だろう
今頃、家を飛ぴ出してたいへんだろう
こんなことを気にしていても
きりがないよ とかたづけた

悲しいNEWSを見て涙を流して
自分は優しいやつだと満足してる
悲しいNEWSの主人公たちを
たすけたいなんて気持ちはもう忘れてる

自分がすごいやつだと思わせるために
世界の問題について真剣に語る
そんな姿に酔っているだけで
語るのは簡単だ 言うだけなら私にもできる




                            2005.04.13    佐々木利夫


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