三月になると、札幌の雪もさすがに穏やかになる。北国の雪は風を巻き、地面を這い駆け上り、肌を突き刺すとげを含んでいるが、それもいつの間にかふんわりとどこか暖かさを秘めて落ちてくるようになる。
雪は春の序奏のためにあるのではないけれど、姿かたちを変えてゆく雪にはそれぞれの思いがこもっている。
太宰治は小説「津軽」をこんなふうに書き始めた。
津軽の雪
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
(東奥年鑑より)
また、三好達治は僅か二行の詩にあふれるような情感を込めた。
雪
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
もがり笛を吹き鳴らし、道を閉ざし、どんな隙間からも襲いかかってくる、音を引き連れた北国の吹雪から比べるならば、こんな静かな降り積む雪にはどこか我々の知らない優しさが含まれているような気がする。
三好達治の雪は、恐らく北海道の雪ではあるまい。新潟か北陸か、無音の中に降り積む雪は、ひっそりと子供の眠りを見守っている。
風の音も、川の流れも、木立から落ちる雪の音も、ただ降りしきるだけの雪はあらゆる音を吸い込み、ひたすらに降り積むのみである。
新聞配達の足音も、牛乳配達の瓶の触れる音も、降り積む雪はそうした生活の音すらも閉ざしてしまい、畑にも、川面にも、橋の上にも、眠り続ける人々の屋根の上にも絶え間なく降り続ける。
北国の雪は荒れ狂う雪である。少ない雪が逆に地面を凍らせる。そんな「叫ぶ雪」から、降り積むだけの「見える雪」へと変わるのが北国の三月である。
しかし降り積む雪といえども優しさだけではない。今年の雪は例年になく多いという。青森の積雪は180センチに近く、昨年の新潟県中越地震で被害を受けた建物のいくつかは降り積む雪に倒壊したと聞いた。
そしてまた、降り積む雪にはこんな話もある。
旅人がとある山奥の民家に一晩の宿を乞う。主人は夜空を見上げ、「食うものがない、夜を徹してでも町へ出ろ」と強く勧める。旅人は寝るだけでいいからと無理に頼み込む。そして・・・・・、
夜ふけに外へ小便に出ていった女房が戻ってきて「雪になった」と一言いった。亭主は「とうとうきたか」と重苦しい声で言った。旅人はいろりのそばでねた。
そのあくる日、旅人が外へ出ようとすると、「そこから外へは出られぬ」と亭主が叱るようにいった。その凄い目つきに旅人は一瞬ギョッとして殺されるのではあるまいかと思ったが、理由は別にあった。戸外は完全に雪で埋って、戸をあけても出られるようなものではなかった。・・・・・旅人は雪が少しとけたら出てゆこうと思った。が、雪は降るばかりでとける事はなかった。(日本残酷物語 第四部 保障なき社会P135)
それから四ヶ月、この夫婦と旅人の三人は壮絶な飢えとの戦いを経験しなければならなかった。「食うものがない」とはこういうことだったのである。降り積む雪は、時にかくもの過酷を強いることすらあったのである。琵琶湖の北、高時川の上流にある奥川並(おくこうなみ)と呼ばれる在所での、昔々の話である。
雪はまさしく生活であり、降り積む雪はそのまま巨大な貯水ダムとして我々を支えている。川とはまさに降り積む雪と同義なのであり、飲用や農業工業用水のみならず、緑そのものを育んでいるのである。
札幌も三月になった。昼間の暖かさに誘われるように、踏み固められた通路の「雪割り」を始める人の姿をそこここに見かけるようになった。
津軽の雪は六つに区別されるけれど、言葉は数はその分だけそれぞれが人とのかかわりを示しているのかも知れない。エスキモー語には雪を表す言葉が二十種以上もあると聞いたことがある。彼らはどんなふうに雪とかかわっていたのだろうか。
春まだきの札幌の、夜明けの少し早くなってきた札幌の、心なし迫力に欠けてきたオリオンの瞬きの札幌の、まだまだこれからも来るぞ大雪が・・・の札幌の、チラチラと静かに降り出してきた雪にふと思い起こされた、これは私の春へと向かう雪にまつわる小さな記憶です。
2005.03.05 佐々木利夫
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