もう50年以上も昔のことである。アインシュタインが死んだ。1955年4月18日、そのとき高校一年生になったばかりの少年は、彼の死を告げた新聞報道を今でも覚えている。少年はその顔写真入りの新聞記事を切り抜いて中学時代の親しい友人に送り、共にその死を悼んだ。

 アインシュタイン・・・、その名は少年にとって信仰と言ってもいいほどに憧れであった。ノーベル賞、相対性原理、宇宙、時間、光・・・、ただそうした言葉だけに幻惑されただけのものだったかも知れないが、幼い憧れとも言うべき大切な名であった。
 少年はその後もアインシュタインを追いかけ続けた。青年になり、大人になっても何とか相対性理論の片鱗でもいいから理解したいものだと解説書などをそれなり読み漁った。

 だが高校を卒業した若者は、理論物理とはまるで無縁の税務署と言う職業へと道を進めた。そしてやがてたっぷりの時間を経て少年は老いた。それでも老いてなお「アインシュタイン」、「相対性原理」の言葉は、少年時代の残された熾き火を掻きたてる数少ないキーワードの一つになったまま、身の裡のどこかに切ないまでの記憶として残されていた。

 光速度不変(光の速さは見る人の運動によって変らない)、動く物体は縮む、動く時計は遅れる、質量はエネルギーに変る、光は重力で曲がるなどなど・・・。日常感覚に合わない現象をこともなげに事実として提示してくる夢のような理論。言葉として覚えただけで何一つ理解できないままに、かつての本は書棚の埃の中にその記憶を埋めようとしている。

 だが、老いた少年にとって、その時に覚えたいくつかの方程式は、幼い頃の初恋の記憶のように今でも色あせることはない。

 「E=mc2、そうした方程式の一つにこのシンプルな式がある。この数式に出会ったとき、少年は身震いするほどにもこの記号に引きつけられた。Eはエネルギー(エルグ)、mは質量、そしてcは光の速度である。質量はエネルギーに変えることができるのである。しかもその時に創出されるエネルギーは秒速30万kmとも言われる光の速度という途方もなく大きな定数の二乗倍にもなるのだと言う。

 なんと単純で、なんと分かりやすい数式だろう。それにもかかわらず、どうしてこんなエネルギー変換の方程式の中に光速度なんぞというとんでもない因子が飛び込んでくるのだろうか、そんなことすらも少年の夢を掻き立てる因子の一つになってしまう。
 しかも、こんなにも単純な方程式が原爆のキーワードであり、あのすさまじい大量殺戮のエネルギーそのものを表していると言うのである。

 私にはこの方程式の正しさを理解することも証明することもできなかった。だが、なんと単純で美しい数式なのだろうか。光の速度は定数だから、この数式はエネルギーと質量とをあっさりとイコールで結んでいるのである。この数式は、Eとmを等号で結びつけ他の変数を一切加えることなく等価だと言い切っているのである。

 このほか、物体が光の速度に達するとその質量は無限大になってしまうことを示す方程式、光速度に達すると時間の流れが停まってしまうと告げている方程式・・・・。
 こうした方程式は、少なくとも数式としては高校生の頭でもその意味が分かるほどにも単純なものであった。そしてその数式の中には、常に光速度を表すcの記号が燦然と輝いていたのである。

 速度vが光速度cに一致すれば、それら数式の結果が無限大となり、もしくはゼロとなることの理解は容易にできた。永遠かつ絶対と思われる時間でさえ、流動的なものなのだと目の前の数式は語っている。
 数式がどんな現実を語ろうとしているのかは理解できなくとも、答が出せたことに少年は有頂天になった。そんなにも単純な方程式であったこと、しかもそれは言葉ではなく数式の解として自分の能力で導き出せる現実に少年は狂喜した。
 アインシュタインに近づくことができるのではないか。少年の憧れが白昼夢の世界を漂うのにそれほどの時間は必要としなかった。

 そうした夢は数十年を経ても私の中に実ることはなかった。ノーベル賞を狙うとか、アインシュタインに肩を並べようとか、そこまでの大それた思いにまで至たらなかったこと自体が、結局少年の他愛無い幻想だったのだと言っていいのかも知れない。夢に見合うような努力すらしなかったのだから、つまりはそれしきの夢でしかなかったということでもあろう。

 アインシュタインを理解できなかった少年の夢は、その夢を残したままSFの世界へと移っていった。宇宙旅行もパラレルワールドも時間旅行さへものが自在の世界は、アインシュタインの方程式を超えて少年の夢を更に膨らませることになった。
 そうした世界は、例えば光速ワープ航法などアインシュタインの数式とは真っ向から対立し、まさにフィクションではあるけれど、それでも辺境を含む夢には果てないものがある。

 ところで最近、SFではおなじみの転送装置の現実の可能性について研究している人がいると聞いた。物質の転送は難しくとも情報なら瞬間移動が可能ではないかと考えている人の話も聞いた。そして、そして、タイムマシーンでさへ分子・原子のレベルにしろ荒唐無稽ではないとの意見さへあるのである。

 アインシュタインになれなかった少年は、税理士なんぞと言う世俗にどっぷりと漬かったような仕事を続けながらも、時にそんな思いに胸をときめかせているのである。



                          2006.11.10    佐々木利夫


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