自宅から事務所までの片道約4キロ、行きも帰りもひたすら歩いていることはこれまでに何度も書いた。片道約5千歩50分、往復と途中の買い物や図書館通い、更には事務室内のウロウロ歩きなどを加えると毎日一万数千歩、健康管理とは歩くことだと時に楽しみ、時に自らに叱咤激励しながら、かれこれ6年ほど続いている。

 自宅はJRの札幌駅から小樽方面へ4つ目の発寒駅前にあり事務所は二つ戻った琴似駅までを長辺とし、そこから直角に約1キロ進んだ西区役所の近くにある。大雑把に言うと自宅と事務所は、3キロと1キロで作る長方形の右下と左上の対角線上に位置しているということである。事務所へは基本的には線路沿いに隣の発寒中央駅を通り過ぎ、そこから琴似発寒川に程近い斜めの道路を大空公園の縁を通って向かうのが毎日の習慣になっている。

 とは言っても、この長方形の中には様々な道がある。定番ルートのほか右辺と上辺ルートは勿論のこと、中間にも線路と並行に大きな横道が三本もあるし、それに縦道や小路を加えるならそのルートは自在であり、どんなコースを選ぼうとそれほど時間差は生じないので買い物の都合やその時の気分しだい、まさに足の向くまま気の向くままである。

 ところで秋に入って気づいたことがある。そんなに俯いて歩いているとは思っていなかったのだが、ふと見上げるナナカマドの街路樹の葉がいつの間にかすっかり赤くなっていて、一足先に色づいていた赤い実と区別がつかなくなってしまっていたことである。

 その変化が余りにも突然だったものだから、恐らく普段はそうした木々を見上げるような歩き方をしていなかったのではないかと思ったのである。だから緑の葉に包まれていた赤い実が、突然背景の中に溶け込んで見えなくなってしまったことに驚いたのであろう。

 そんなナナカマドの赤い葉も雪の便りを聞く頃になると、気忙しいまでに散り急ぎだす。歩道には雨にぬれ、風に吹かれた落葉で敷き詰められる。そんなことに気づきながら歩いていると道によって落葉の種類がまるで違うことに改めて気づかされる。

 定番コースの右下の線路沿いはナナカマドと落葉松に挟まれた道である。落葉松も夏にはそこにそんな木があることすら気づかなかったのに、このシーズンになると針のような落葉が金色の筵(むしろ)で歩道を覆うようになりその存在を誇示し始める。

 途中の大空公園沿いの道はイチョウと柏である。寒くなってすっかり人影の見えなくなったブランコや滑り台の周囲を埋める黄色の絨毯は、その鮮やかさのぶんだけ寂しさを伝えてくれるし、踏みしめるほどの柏の葉の、はるか見上げる梢には子育ての終わったカラスの空っぽの巣が一つ二つと風に吹かれている。

 右辺の道を行ってみようか。自宅からすぐのこの道は片側だけだけれど100メートル以上も続くポプラ並木である。真夏、吐き出す綿毛が我が住いにも飛び込んできた白雲にそびえる勇姿も、今では小さなスペード型の円盤を地面にさらしている。その先に続くプラタナス(スズカケ)の並木がすっかり裸になっているのに巨木の割には落葉の量の少ないのは、まだまだ梢がしっかりと葉を守り木枯らしに逆らっているからだろう。

 中間の道にはそんなに多くはないが数本の桜とイチョウ並木がある。春の賑わいにばかり気をとられていて気づきもしなかったのだが、桜の葉もまた紅くなることを落葉から知らされた。

 俯いて歩いているわけではないと書いたけれど、やっぱり下を向いて歩いているのかも知れない。だがこうして落葉の道を歩いていると、花や赤い実など以外には気づくこともなかったたくさんの木々が落葉の数だけ道すがら存在していたことに改めて気づかされる。

 今朝も積もるには程遠いけれどチラチラと小雪の舞う中、ナナカマドの道を歩いてきた。間もなくナナカマドはすっかり葉を落とし、梢に残った赤い実だけが青空に映えやがて白い雪をその上に積もらせることになるだろう。そしてその実も雪解けの少し前までには鳥に啄ばまれ、積もる雪に振り落とされてまるで肉を削がれた骨だけの腕が虚空をつかもうとしているかのような裸木になってしまうことだろう。

 ただそうした風景が見られるようになる頃、季節は間違いなく春に向かっているのである。だがその時を待ち遠しいなどとは口にすまい。今はまだ冬の入り口にいるのだから。



                          2006.11.18    佐々木利夫


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落葉の道すがら