原風景って何・・・
  
 里山、民家、棚田・・・、日本の原風景が消えていくとテレビの写真家は言う。そうした風景が消えていくという現実は分かる。
 人にはそれぞれに幼い頃の思い出があるだろうし、私にだって同様である。そうした思い出の中には沼や小川でのドジョウやフナ釣り、山の清水の湧き出ている小さな川でのザリガニ獲り、木の上の秘密の基地などなど、人にはそれぞれに消えつつある懐かしい風景があることだろう。

 だがそうしたいわゆる田舎のさびれてしまった風景を、「原風景」と呼ぶのはどこか変だ。彼らの言う原風景とはたかだか数十年前の自分の記憶の中の風景のことを言っているからである。しかも、さびれてはいるかも知れないけれど、まだ消えずに残っている風景をそんな風に言っているからである。

 原風景とはそういう人たちが勝手に名づけた「私の子供の頃の記憶」と言う意味にしか過ぎないのか。そんな風景を原風景などと呼んで、臆面もなく自然の豊かさであるとか恩恵であるとかを押し込め、他人にも押し付けようとしているのではないのか。

 原風景の「原」は「原罪」とか「原始」などの「原」と同じ意味なのではないかと私は思っている。「原」とはものごとの本質と言うか根っこの根っこにあって、誰もが加工などしてはいけない、むしろ変えようと思っても変えられない沈潜されたものを秘めている事柄を指しているのではないかと思っているのである。

 だからある人が、「どうしても私の思い出の風景や建物などを残したい」と考えるのなら、それはそれでその人の意思であり、他人がとやかく言う話ではない。そうした思いを広げようと考え、そのことに賛同者がいるのなら共同でそうした運動を進めていくことに否やはない。

 でもそうした思いを「原風景」と名づけるのはどうしても変である。それは単なる「郷愁を呼ぶ風景」にしか過ぎないのではないか。そうした個人的な思いを原風景と名づけてもいいとするなら、そうした原風景の中にどっぷりと漬かって過ごしていたその時代の人にも同じように別の原風景があったことになるだろう。
 今は老婆が一人で住んでいる苔むした萱葺きの家かも知れない。でもその家が建てられた頃はその家には老婆の両親が健在で小さな子供たちが駆け回り、「朝は朝星夜は夜星」の両親はつらい農作業の中で近くの棚田に毎日通っていたはずである。

 棚田は決して観光バスで眺める風景ではなかった。亡くなった祖父母が血の汗を流しながら、時にはその子も一緒になって自分の力で作り上げた生活の手段だったのである。
 そしてその祖父母にも思い出がある。農閑期の縁側でふと思うのは棚田に映る田ごとの月などではない。裏山を這うようにして流した一見報われないように見えるつらい汗であり、抜根しなければ生活していけない山肌に対峙した時の自分の姿である。そうした思いにふける彼にも、もっともっと苦労して米を育ててきた両親や開墾を続けながら実らぬ荒地に絶望していた祖父母がいた。そしてその祖父母の描く原風景は孫の知らぬ別の風景である。

 そうした連鎖する原風景は際限のないものであり、行き着くところは未開の原野・山林になるまで続くのではないだろうか。
 変化し人工化される自然、それは自然の必然でもある。それを必然などと安易に呼んではいけないとは思う。だから獣が通ることで獣道ができることと、人が文明であるとか科学などという理屈をつけて手を加えるのとはまるで意味が違うことは分かる。

 分かるからこそ、そうした人工の風景の途中に好き勝手に区切りをつけて原風景などと名づけることに違和感が残るのである。それは、いかにも原風景などと呼んで自然を大切にしているかのように話している人たちの描く風景はなぜか人工物ばかりだからである。

 里山には今は見る人も少なくなったかつて植樹された桜が咲き誇る風景があり、訪れる人のない朽ち果てる寸前の峠の茶屋にはすすきに囲まれた穏やかな風景がある。

 それはそれでいい。昔を懐かしむという心意気の分からないではないが、「里山や棚田を守らなければならない」と言ってしまうにはどこか抵抗がある。
 棚田が今あるのは、昔の人がその棚田を思い出として守ってきたからではない。その生産性の悪い棚田に頼ることでたくさんの子供たちを育てていかなければならなかったからである。もちろん田の神を祭り、豊年満作を真剣に祈願してきたけれど、それは豊作が自分や家族の命の保証と同じ意味だったからである。

 私のイメージする原風景にはどうしても豊かな自然みたいなものが浮かんでこないのである。凍りついた地面、掘っ立て小屋に筵を(むしろ)下げただけの入り口、吹き込む吹雪、囲炉裏にくべる薪の残りは少なく、去年の収穫の少なさとこれからの不安、開拓時代の北海道の自然は苛酷以外のものではなかった。

 それは決して北海道だけの風景ではなく、いつの世も凶作と隣り合わせだった日本の農業の宿命そのものであったかも知れない。そうした救いようがなく途方に暮れた人々が、諦めと絶望の中に立ちすくんでいる景色、私にはそれが原風景という呼び名にどうしてもつながってしまうのである。


                     2006.05.03    佐々木利夫



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