耐震偽装逮捕の怪
  
 この問題は単に偽装が発覚したマンションのみならず、住そのものに対する信頼の根幹を揺るがす事件として日本中と言ってもいいほどの話題になり、マンション販売に陰りが出たとされるまでに問題視された。

 その影響はなんと札幌にまで飛び火し、私の住むマンションの真向かいに建築中のマンションにまで及んできた。なんでもそのマンションの設計に携わった札幌の建築士が同じように耐震設計を偽装した疑いがあるのだそうである。その結果問題のマンションは販売が中止され、15階建の計画にもかかわらず3階のままで工事中止という無残な姿を我が家の窓辺にさらしている。そればかりではない。その余波で我がマンションの管理組合からも「このマンションの建築に問題の設計士は関与していません」との張り紙までなされる始末である。

 少し横道にそれたが、恐らく多くの人にとって一生に一度の買い物であろうマイホームについて、それも内装や外観であるとか便利さであるというようなことがらならともかく、耐震強度偽装と言う予想もしていなかった(と言うよりも、安全が当然のこととして疑いもしていなかった)事項についての信頼を根っこから揺るがすものだったから、ほとんどの人にとって寝耳に水の出来事だっただろう。

 だからそれだけ当事者はもちろんのこと無関係な人にとっても話題性の高い事件になった。それから4ヶ月、そうしたマンションの設計や建設に関与した人たちが逮捕されたとの記事である。当然といえば当然だと思うのが普通だし、私も新聞の見出しを読んでいて特に違和感はなかった。

 ところが記事の内容を読んでいくうちになんか変だなと感じた。これらの人たちの逮捕理由についてである。事件が問題とされたのは、建物の設計の基礎となる構造計算書の偽装により、震度5強程度の地震でマンションが倒壊する恐れがあるということからである。
 つまり、ちょっと大きな地震が来たら自分の住んでいるマンションや泊まっているホテルが倒壊するかも知れないということであり、そのことに日本中が自分のこととして驚いたのである。

 でもどうだ、逮捕理由としてあげられているのは耐震偽装とまるで関係ない事柄ばっかりなのである。まず一級建築士、彼がこの問題の震源地である。彼の作成した構造計算書には法定の耐震基準を満たしていると記載されていたにもかかわらずそれが偽装だったということである。そしてそれを承知して建築確認申請を承認した民間の検査業者、更には建築業者などへと連鎖していったものである。

 にもかかわらず、建築士の逮捕理由とされているのは一級建築士という自分の名義を他人に貸して、自らが請け負ったように装ったというものである。しかもその名義貸しがなされた建物と今回問題となっている耐震偽装の建物とは無関係なのである。つまり耐震偽装された建物とは無関係な単なる「名義貸し」そのものが違法とされたのである。

 さて続けよう。次いで建築業者である。この会社が偽装をされた構造計算書を偽装と知りつつマンションの建設をしたである。だから完成したマンションやホテルは違法なものである。にもかかわらず、この会社の社長以下の逮捕理由はなんと国土交通省に毎年提出している建築業法で定められた決算書類の粉飾である。売上げを繰り上げたり経費を水増ししたりして優良な法人に見せかけ、有利な入札資格などを得ようとしていたとする粉飾である。もちろん耐震偽装の問題とはまるで無関係である。

 次いで構造計算に誤りがあったにもかからわず建築確認申請を適法とした民間検査機関に対しては、なんたることか公正証書原本不実記載の疑いによる逮捕である。これはその検査機関たる法人が国の指定を受けるために見せ金を使って増資の登記、つまり虚偽の登記をしたとの疑いである。つまりここでも耐震偽装とは完全に別次元での逮捕になっているのである。

 それぞれに違法な行為があり、それぞれに逮捕される理由があるであろうことを否定するのではない。だが、それでも今回逮捕された者の全部(全部である)が、これだけ世間を騒がせた耐震偽装問題と無関係な理由で逮捕されているということに、何だかとてつもない違和感を感じたのである。

 マスコミ報道によれば、検察は「まず容疑が濃厚な法令違反から先に立件していく方針」だとされ、この逮捕を契機として耐震偽装問題の核心へ迫っていくのだという。
 また構造計算書の偽装に関しては、建築士法違反の場合の罰則は最高刑でも罰金50万円であることから、それ以上の犯罪となる事実をもって逮捕したのだとも伝えられている。

 この言い分をそのまま鵜呑みにするなら、今回の逮捕は世に言う「別件逮捕」そのものである。安直なテレビドラマの取調室で暴力刑事が単に声をかけたら逃げ出したということだけで現行犯逮捕したチンピラに向かって「叩けばホコリがでるんだ、知ってることを全部吐いて楽になりな」と脅している構図そのままである。

 ましてや問題となった事件での最高刑が罰金だから、懲役刑になるような別の犯罪事実をさがし出してそれで逮捕するなんぞと言うのは、「他事考慮」そのものである。このことは27日の朝日新聞朝刊が「『あらゆる法律を駆使して立件する』。(検察庁)幹部からこんな檄(げき)が飛んだ」と報道していることからも推測できる。
 逮捕前ならこうした言い分は分かる。だが、逮捕後のこの言い分は絶対に変である。最初に逮捕ありきが見え見えである。

 それぞれ個々の事案の処理に違法性はないかも知れないが、こんな身勝手な捜査が許されていいとするなら司法に対する信頼と言うのは一体どうなってしまうのだろう。

 しかも、それにも増して私が気になるのは、いつもは言い過ぎではないかと思えるほどにも被告人の人権を声高に主張し、少しでも行き過ぎの疑いがあるような時には「我こそは正義なり」とばかりに声を張り上げる弁護士会などからの発言が一言もないことである。

 もちろん直接の被害者はもとより多くの人々(時に社会と呼ばれ、国民と持ち上げられ、場合によっては天の声などとおだてられる一般庶民、つまり我々のことである)が耐震偽装疑惑に断罪を望んでいるのだから、そうした世論には逆らえないと言うことなのかも知れない。

 だが、世論に流されることが法の正義なのだろうか。正義の定義はいつも困難だとは思うけれど、時に「逆艪(さかろ)をこぐこと」(流されることなく自分の信じる道を進もうとすること)も大事なことではないのか。弁護士といえども世論や個人の感情に流されるであろうことを理解できないではないけれど、その壁を超えてシステムとしての弁護士会あたりが、こうした別件逮捕、他事考慮の疑いの強い今回の出来事になんの反応も示さないというのはどこか不自然なような気がしてならないのである。

 折りしも組織的犯罪処罰法の改正案が国会で審議されており、その中の共謀罪の新設について、居酒屋で酔っ払って相手の冗談かも知れない犯行じみたおしゃべりに頷いただけでも逮捕される恐れがあるなどと、過剰とも思えるまでに心配する識者がマスコミを賑わしている時である。どうしてこの耐震偽装に関した別件逮捕や他事考慮には無音なのだろうか。




                     2006.04.28    佐々木利夫



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 「『耐震偽装』一斉逮捕へ・・・」。25日のマスコミ各社は昨年暮れに発覚した耐震偽装の疑いのあるマンション・ホテルにたずさわった設計、監理、施行などに関係者した者が明日中にも逮捕されるであろうことを大々的に報道していた。
 そして予想通り翌26日に8人が逮捕された。