公営の保育所が民営化されるという話がある。国もそうだけれど地方財政も夕張市のように財政再建団体としての指定(いわゆる事実上の倒産状態)までには至らないものの、余裕のあるところなど皆無だから職員の人件費も含めて財政を切り詰めようと各自治体は必死である。

 保育所の経営もこれまでの「公立」から、株式会社化であるとかNPO化などへの模索が続けられている。そしてそのことへの反対の大合唱である。
 いつもは公務員という地方職員も含めた公権力に抵抗し反対する市民が、検討されている保育所にわが子が入っているとなると、こぞって民営化に反対している。

 その背景には「公共事業体は倒産しないこと」、「経営に文句を言っても反論してこないこと」、「(事故などの)どんな場合にも責任を追及できる」、「なんと言っても金がかからない(安上がり)」などが何だか見え見えである。

 少子化、子育て、教育などなど、そうしてそうしたことは公的機関が行うべきだなど、理屈は山ほどついてくる。そしてつまるところは「金は払わない(自己負担はそのままで足りない分は税金でやれ)」と言う意識が強く、そのことのために「教育」という錦の御旗を前面に出しての猛反対である。

 保育園児の保護者は、そうした公営に伴うサービスの提供は、市民や国民が税金という形で負担していることなど考えもせず、ひたすら我が身の負担のみに思いを寄せている。

 公権力に対しては、いつも「効率が悪い」、「融通が利かない」、「紋切り型である」、「無駄遣いが多い」などと批判していたにもかかわらず、その範疇に「自己負担の増加」の考えが入ってくるととたんに公権力は頼りになる存在へと反転する。

 こうした構図は何も保育所経営に限るものではない。国や地方なとが経済面で頼りになること(つまりは税金で運営されていること)に慣れてしまって、いつの間にかそれが「べったり依存」に変質してしまっているケースはいたるところに見ることができる。

 生活保護費、介護や医療の保険料、学校給食費や私学助成金、区画整理事業や環境保護などなど・・・、なにしろ税金や保険料の使い道は大げさに言えば無限と名づけてもいいほど複雑多岐である。
 そしてそうしたことで利益を受けている人たちは、ひとたびその利益が自己に不利な形で見直されようとするや、既得権益の名の下に結集し必死になって抵抗する。

 国や地方がセーフティネットを充実させようとすることに水を差そうとは思わないけれど、「只(無料)」であることに慣れてしまって自ら努力しないで恩恵だけを受けようとする体質にはどこか間違っているような気がする。

 しかもそうしたサービスに慣れてしまうと、そのことが「恩恵であること」から「当然のこと」にいつの間にか変質してしまい、そのサービスの改変(恩恵の増加ではなく減少であるとか自己負担の増加などの場合が多い)に対しては、「当然のこと」が突然に認められなくなったと感じてしまう。

 そうした被害者意識の高まりの中にあっては、サービスの低下と感じられる現象のすべてが理屈抜きで改悪であるとみなされてしまう。

 「自分でやれることは自分でやったら」とか、「このくらいは人任せにしなくてもいいんじゃない」、「少しは自分で払ったら・・・」などと言うのは、既得権益の前ではまさに牛車に手向かう蟷螂の斧である。
 新聞もテレビも得たりや応とばかりに動けない80歳の老婆や目の見えない障害者をわざわざ探し出してきては、膝が痛いなどの個別事情を制度改定全体の問題にすりかえようとする。

 いままで無料だったのを多少でも資力のある者には負担してもらうようにしたり、動ける者には動いてもらうことにしたからと言って、ことさらに負担増や他人による世話の減少などを人道的に許されないかのような取り上げ方をするのはどこかマスコミの驕りのような気がしてならない。

 「弱者を擁護することこそ正義である」とばかりに自らを正義の味方と自認する前に、限られた予算やスタッフなどの下でどうすれば良いのか、どうすることができるのかを検証してみるのもマスコミの大切な仕事だと思うのである。

 また「我こそは弱者」を自認する者であっても、なんでもかんでも既得権益にこだわることなく制度改変の意味を自分だけの立場からではなく、市民・国民としての少し離れた視点から見直してみる必要もあるのではないだろうか。

 頼ることを悪いことだとは思わないし、市民をそうした体質にさせてしまった日本の行政のあり方にも問題はあったとは思う。だが保育所民営化に反対しているお母さんたちの、民営化の必要性を訴えようとする市役所職員などに対して金切り声を上げるだけでその説明すら聞こうともしない頑なな態度、ヒステリックな顔つきなどはどこか異常である。

 「我慢しないことが当然の権利」、「我慢させないことが国や地方の当然の義務」、「税金からの給付は貰い得」、そんな風潮が余りにも世の中にはびこりだしてきている。
 頼ることからべったり依存へと変質してしまったかのように見える現代人の荒んだ心に、私はなんだかうそ寒いような恐ろしさを感じ始めてきているのである。




                          2006.09.04    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



保育所の民営化反対