事務所から歩いて10数分、JR琴似駅の近くに、女将が一人で切り盛りしているカラオケつきの小さな居酒屋がある。顔を出すたびにキャベツを食え、キャベツを食えと、自身の経験からなのか客の健康にもけっこううるさい女将なのだが、そうした人柄にも人気があってなじみ客も多く店はそれなり長続きしている。

 我が方もそうしたなじみの端くれに入っているつもりではいるのだが、そんなに熱心に通っているとは言い難い。それでも通い始めて6年も7年にもなると、店でしか会うことはないのだけれど、何人かのお客さんともあいさつを交わす程度には見知った仲になる。

 そんな客のひとりに小柄で品のいいおばあちゃんがいる。もう、80歳はとうに過ぎていると思われるのだが、酒は一滴も飲めないと言う。そしてなんといってもカラオケが大好きなのだと自分で宣言しているのだから、相当に好きなのだろう。

 店の混雑状況などによってはそのおばあちゃんの隣に座ることもあり、そんなときは客同士で話が弾むことも多い。私が店に着くような時間帯には既に歌っているし、9時過ぎには帰っていくことが多いから、この近くに住んでいて恐らく開店早々から来ているのだろう。演歌が大好きで、新しい演歌というよりは演歌中の演歌というような曲が多いような気がしている。

 ところでこのおばあちゃん、カラオケを始めたのは5年ほど前からなのだと言う。それまではカラオケどころか歌うことすらまるで知らなかったと言うのだが、女将とどこかの整体師の治療が縁で知り合ったことがこの店の客になるきっかけになったらしい。

 ご主人は既に亡くなっており一人暮らしらしいが、カラオケに開眼してからは人生がまるで変わったと嬉しがることしきりである。
 なんといっても毎日、朝からひとりで歌うらしいのである。好きな演歌のテープを買ってきてはそれを聞きながら毎日練習するのだと言うのである。風呂に入っても歌うのだそうである。

 その結果、覚えた曲目は「あんまり自信のないものもあるけれど・・・・・」と謙遜してはいるけれど、自分の手帳にしっかりとメモされており、その数は300曲にもなっていると言う。

 私に他人の歌の評価をする自信はないが、それでもそのおばあちゃんの演歌はとても聞きやすいのである。何をもって上手いと言えるのかは様々だろうけれど、居酒屋で酒の肴に聞く歌である、聞いていて抵抗がないというか素直に聞けるというのが一番ではないだろうか。楽しそうに歌い、その声が回りに邪魔になるようなことはなく、歌い終わって少し恥ずかしそうに「あんまり上手くないから」などと言い訳するのがなんだか無性に嬉しくなるのである。

 何度かの出会いの中で一番嬉しかったのは、ご主人のお墓の前で歌を聞かせると言う話しであった。自分の歌を録音したテープを持っていって墓前でおじいちゃんに聞かせるのだと言う。

 その話を聞いたときは、なんだか涙が出そうになった。恐らく朝からテープレコーダーとテープを持ってバスに乗り、おじいちゃんのお墓に向かうのだろう。バスを降りお墓まで歩く。おじいちゃんに話しかけながら少しお墓の周りの掃除をして、お花やお菓子などを供える。そしておもむろにテープレコーダーを取り出すのだろう。話しぶりではお盆とかお彼岸などに特定しているような感じはしないから、月命日の都度なのか、それとも聞かせたくなった時、おじいちゃんに会いたくなった時など、気の向くままに足を運ぶのかそこまでは知らない。

 おじいちゃんのお墓の回りにはそんなに人の姿も多くないような気がする。空は晴れているのか、風は強いのか、おじいちゃんに話しかけながらテープを回すおばあちゃんのそうした姿を想像して、私はそのおばあちゃんが大好きになったのである。おばあちゃんの歌をうなずきながら聞いているおじいちゃんの嬉しそうな姿が見えるような気がしたのである。

 老いとどう向き合っていくか、私も他人事ではない年齢に近づいてきて、それなり重いテーマだと感じている。しかし、僅かの時間にしろこうしたおばあちゃんの生き方を見ていると、それはそんなに難しいことではないのだと伝えてくれているような気がしてくる。

 人はそれぞれなのだから、そっくりそのまま真似ることなど無理だろうけれど、自分らしく生きることのたくましさ、場合によっては新しい自分を見つけることのたやすさをこのカラオケおばあちゃんは身を持って教えてくれているような気がしているのである。

 そして、年をとることもそんなに悪いことじゃないと、いともあっさりと信じさせてくれるのである。



                        2006.1.28    佐々木利夫


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