今日(12月23日)は冬至、そして明日はクリスマスイヴである。冬至とは言っても今年の冬は比較的暖かく、このままだとホワイトクリスマスにはなりそうもないと思っていた。ところがお昼前からけっこう振り出してきて、粒の大きな雪が街を一色に染めようとしている。

 ところでオーストラリア・・・・と言うよりは南半球のクリスマスが真夏なんだと知ったのは、けっこう大人になってからだったと記憶している。白い髭のトナカイ仕立てのそりに乗ったサンタさんの風景は、雪景色の中にイメージとして固定してしまっていたからでもあろう。

 地球は太陽の周りを楕円軌道を画いて回っている。だから感覚的には季節の違いは太陽と地球の遠近の違いによるような気のしないでもないのだが、事実は地軸の傾きによる太陽光の入射角度の違いによるのだと、知識としては中学生くらいまでに学んだはずなのだが、どうもそのことが実感にまでは浸透していなかったらしい。

 実はそうしたことと同じ意味なのだが、もう一つまるで理解できていなかったことがあった。北風である。なんの矛盾も感じることなく「北風ピープー吹いている」と歌ってきたし、天気予報は「北風が強まるので一層寒さが厳しくなるでしょう」と当たり前のように教えてくれる。考えてみれば真夏にだって時に北風は吹くのだろうけれど、夏の風が北風などと呼ばれることはまずないだろう。北風は常に冬将軍の放つ氷結の息吹であり、コートの襟をしっかりと押さえ込む冬枯れの厳しい寒さを伝える苛酷さである。

 さて、北風とはその名の通り北から吹いてくる風のことである。科学的に正しい表現ではないことは承知の上で言うのだが、イメージとしては北極から酷寒の氷の上を渡ってくる風のことである。だから季節は常に冬であり、だからこそ北風は常に冷たく、寒く、厳しいのである。

 だがそれが北半球だけの話であると知ったのは、そんなに昔ではない。それはクリスマスは世界中同じ日に祝うけれど、その日、南半球は真夏なのだと知った日よりももっともっと後になってからである。南半球でのクリスマスが真夏だと知ってもなお、世界中に吹く北風は常に厳しい冷たさを伝えるものだと無意識に思い込んでいたのである。

 私が南半球では北風は暖かい風になるのだと知ったのは、気持ちとしてはつい最近のような気がする。考えて見れば、北半球での北風を北極から吹いてくるとイメージするなら、南半球での北風は赤道から吹いてくる熱風と言うことになることくらいすぐに分かるはずである。
 だとするなら、南半球では南風こそが南極から吹くのであり、冬将軍の到来を告げる象徴になるのは余りにもはっきりとした事実である。

 ・・・・にもかかわらず未だに私の頭は「北風ピープー」に支配されてしまっていて、「凍えるような南風」なんぞと言ったイメージはどうしても湧いてこないのである。

 ところで、南半球での小説や童話などを日本で翻訳出版するようなとき、冷たい南風は南風のままで訳すのだろうか。それともあえて「北風」と誤訳(意訳)することで理解を深めようとするのだろうか。
 それともそれとも、そんなことを考えること自体北半球に住んでいる人のほうが圧倒的に多いということだけからくる一種の驕りや偏見なのだろうか。

 ともあれ、北からの寒気団が降らせているのだろう真っ白になった外を眺めながら、そんな他愛ないことにうつつを抜かしつつ平和な私の中で、明日はクリスマス・イヴである。

 それにしても日本特有の現象かも知れないけれど、いつの間にクリスマスがキリストの誕生日から離れて、子供たちへのプレゼント合戦だとか恋人が一線を越えるためのセレモニーに使われるようになってしまったのだろうか。
 まあ、この身にとってみれば子供たちは既に独立して久しいし、かつての恋人も共に老いた。せめては年末のあわただしさの中に忙しい振りでもしながら、窓辺に降り積む沈黙の雪に遠い昔を重ねてみるのも悪くはないか。



                             2006.12.23    佐々木利夫



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北風とクリスマス