仲間2〜3人と飲むときは我が事務所が「居酒屋ささき」として一次会の会場になる場合が多い。だが事務所のある琴似界隈は区役所から地下鉄琴似駅そしてJR琴似駅へと続くミニ繁華街であり、どうしたわけかここ数ヶ月本物の居酒屋の開店が目立ち始めている。
 それで、時にはそうした店で一杯やろうかということにもなる。人気の居酒屋などは開業から一ヶ月にもなろうというのに待ち時間一時間というような盛況の店まである。

 これから書こうとする話は、そうした黙っていても盛況になるような店での話ではない。酒を飲むのに順番を待つほど新規開店にこだわる気持ちもないから、近くの似たような店に飛び込んだ。片隅をオープンの調理場にして、その周りがカウンター席、通路をはさんで仕切られた反対側に数人用の小上がりがいくつか並んでいるというスタイルの店で、その小上がりの掘りごたつ風の席へ我々は座った。

 居酒屋だから飲みものも酒の肴も似たようなものである。最初に声を出すビールを「とりあえずビール」と呼ぶらしいが、突き出しも最初に頼んだ料理もビールも残り少なくなってきて、そろそろ追加注文でもしようかと言うときである。
 ちょうど隣の席へ客の注文を取りにきた女の子に、「帰りにちょっと寄って」と声をかけた。「はい」の返事はすぐに返ってきたのだが、その客の注文が終わったにもかかわらず、我々の席の横を何も言わずに通り過ぎてしまった。

 隣の客の注文を調理場に伝えたらその足で我々の席へ確認に来るのかと思っていたら、そのまま何やら調理場の荷物を運び出しているようである。どうやら先ほどのこちらの声かけはすっかり忘れてしまっているらしい。

 「おーい、どうしたんだ」、仲間がカウンターのほうへ向かって声を出したが、だれも聞こえなかったらしくこちらを振り向く店員はいない。もう一度、今度はもう少し大きめの声を出す。どうやら今度は聞こえたらしい。隣の客がこちらをちらりと眺め、同時に調理場にいた料理人らしい男二人がこちらを振り向いた。

 さてそれからである。にもかかわらずそれから数分、我が席にはだれも注文をとりにこないのである。敢えて言うが、私は最初の女の子がこちらの注文取りにくることを忘れたことを非難しているのではない。客が呼んでいるのにそれを忘れたこと自体、客商売としてどうかとは思うけれど、そうしたことだって時にはあることを許せないというのではない。ましてや再度の声も、女の子が振り向く姿は見えなかったから聞こえなかったのかも知れない。だからそのことはそれでいい。

 だが、少なくとも調理場の男二人はこちらの声に振り向いたのだから、客の声がちゃんと聞こえたはずである。客がどういう用件なのかはともかく、声を上げてだれか来てほしいとのサインを出していることを理解したはずである。
 にもかかわらず男二人は黙々と下を向いて何やら仕事を続けている。しかも女の子は客の注文を届けるためなのか何度もその男の近くを出入りしている。

 それにもかかわらず誰も来ないのである。とうとう仲間は怒り出した。折り良く(むしろ折悪しく、と言うべきか・・・)仲間の不満は通りかかった別の女の子に向いた。

 別にその女の子を責めているわけではない。最初に伝えた女の子が注文を聞きにくるのを忘れたことを責めているのでもない。調理場にいる男二人がこちらの意思を分かっていながら何の手を打つこともなかったことが無性に腹立たしかったのである。
 男二人は我々の声を無視したのである。知らんぷりを決め込んだのである。聞こえたけれどその声への対応は自分の役割ではないと思ったに違いないのである。

 もちろん男の役割は料理を作ることにあり、それ以外に対応する必要はないのかも知れない。注文を取り、調理場に伝え、出来上がった料理を客に運ぶのは女の子の役割である。そんなことは分かっている。
 だから調理場の男にそこから出て客のところまで出向いて注文を取りに来いと言っているのではない(私自身としてはそんな場面があってもいいのでないかと思ってはいるのだが・・・)。
 だが男は少なくとも客が声を上げたことを知っているのである。どういう意味かは分からなくたって、客が呼んでいることに気づいていたのである。それを女の子に伝え、客の意思を確かめることは客商売としての基本ではないのか。

 そうした基本をその男たちは二人とも無視した。そのことに我々はどうしょうもないほどの腹が立ったのである。自分のせいでもないのにいきなり苦情を言われた女の子こそいい迷惑だとは思う。だからと言う訳ではないが苦情のついでにお銚子、酎ハイ、それに「ぶりのかま」を追加注文したけれど、なんとも後味の悪い飲み会のスタートになった。

 それだけの話である。結局は早々に切り上げて次の店に行くことにしただけの話である。恐らくこの店には二度と来ることはないだろう。どうってことない、詰まらない話である。考えようによっては傍若無人な、客なんだから好きなこと言えると思い込んでいる飲んべえの勝手な言い分なのかも知れない。もしかしたら、調理場の男二人には我々の声が注文ではなく、少し大きめの会話に聞こえたのかも知れない。場合によったら少し気が短くなって我慢の足りなくなってきた酔客の身勝手な繰言なのかも知れない。

 だから、いまどきの若いものなんぞといいたくはないのだけれど、恐らくは店のマニュアルにも書いてないであろう接客の基本ともいうべきスタイル、大げさになるかも知れないけれど人間としての資質、潤滑油みたいなものの不足をそこに感じたのである。

 ちょっとした気配り、ほんのささいな気遣い、それは人としての小さな優しさに結びつくものであり、そうした小さな優しさが人間関係の基本にはどうしたって必要なのだろうに、最近はそうした一見おせっかいというか義務でないけどちょっと手伝うというようなそんな小さな行為がどんどん消えていっているのではないか、そんなことを予想させる出来ごとだった。




                          2006.04.18    佐々木利夫


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