資本主義社会における経済活動は自由競争が原則だし、そのことが世の中を支えていることに異論はない。もちろんセーフティーネットとも言うべき保護の体制もそれなり必要であり、そうした背景があるからこそ逆にそうした自由競争が発展し続けていくのだとも言えよう。

 そんなこと承知の上で言うのだけれど、世の中だんだん世知辛くなってきて、いわゆるベンチャービジネスなんぞと言う先行き不確かな事業には銀行も金を貸し渋るし出資者も集まりにくい。事実、そうした理由そのままに、ベンチャーが成功することなどなかなか覚束ない。

 その原因の多くは資金の不足にあり、「ベンチャー」とはいいつつも、結果としてリスクを犯すだけの勇気というか、余裕がないことに尽きる。
 もっとも、そうした失敗の背景には、ベンチャーに挑む人の年齢が学生のようにある程度失敗しても許されるようなモラトリアム階層ではなくて、会社の処遇に不満を持った中年とか定年を間近に控えたおじさんなどといった既成の常識に囚われ過ぎた人たちが多いからではないかと考えられる節があるけれど、その点については別の機会に考えることにしよう。

 そこで生活かかっているのだから、そこそこ成功させなければならないとの思い、つまりは失敗のないベンチャーと言うなんだか中途半端な発想のもとで識者の弁が冴え渡る。大きな資本でじっくり構えるのは大企業に任せ、ベンチャーとしては、「スキマを狙うべき」であり、「かゆいところに手が届く事業」に目を向ける必要がある・・・と。

 なるほど、そうした分野に新たな消費者の選択の余地を求めることは理解できる。しかし、そうして隙間をなくしていったら、人が自らの意思で考え出したり、工夫したりするという余地が、どんどん狭まっていくことにつながってしまうのではないだろうかと、へそ曲がりはついつい余計なことを考えてしまうのである。

 「あなたはどうぞ気ままに寝そべっていてください。頭のてっぺんから足の先まで、私どもがお気に召すままにお世話いたします。着るものや髪型などのおしゃれはもとより、なんならお食事も口元までお運びいたします」。そんな風潮が最近、介護や療養や運動、ダイエット、地産地消などなど、色々なことに名を借りてそこここに見られるようになってきた。

 著作権が切れたのか、それともプロバイダーの顧客獲得のためのサービスなのか、インターネットによる動画の無料配信が最近やたら増えてきて、そうした中にチャップリンの「モダンタイムス」を見る機会があった。ご存知物質文明に巻き込まれた人間を皮肉たっぷりに描いた喜劇だが、昼食の自動給食器にもてあそばれるチャップリンの姿は発表から70年も経っているにもかかわらず、今の隙間を狙う産業の姿勢をそのまま表している。

 恐らく隙間というのは、いくら埋めていってもなくなるということはなく、単に小さくなるだけに過ぎないのかも知れない。だからどんなに埋められても隙間は常に、この世に存在し続けると考えていいのかも知れない。

 ただ、そんな風に隙間を埋めていくという選択を続けていくと、そのことは人が持つ自ら努力し開発するという知恵をどんどん削いでしまうことにならないのだろうか。
 それとも現代は、並の人間の努力の限界などとうに超えてしまっていて、昔から続いていて私たちが信じているような普通の努力なんぞというものでは、とうてい追いつけない時代になってしまっているとでもいうことなのだろうか。

 隙間を埋めようとしているのはベンチャーだけではない。数年前、日本でも著名なゼネコンの札幌支社に仕事で少しだけ関わったことがある。ダムだろうが地下鉄だろうが、100階建200階建のビルだろうが、何でもこいのゼネコンだけれど、その一方でなんと個人住宅も請け負うのである。

 そうした個人の住宅の建設は単に請負名義人になるだけで、結果的にはどこかの下請なり孫請に丸投げしてしまうのかも知れないけれど、それでもマンションならともかく大手ゼネコンと一軒家の個人住宅という組み合わせにはどこか不自然さと言うか違和感を感じてしまう。

 いやいや、ベンチャーやゼネコンに限らない。我が事務所からJR琴似駅界隈までの徒歩15分足らずの通りはミニ商店街・繁華街になっている。少し前までは小さな商店や飲み屋がひしめき合っていたのだが、それこそあっという間に個人経営の商店はスーパーやコンビニに席巻され、飲み屋も日本中に名前の知られる居酒屋チェーンの看板が並び出してきいる。通りかかると油揚げの匂いの漂っていた豆腐屋もいつしか姿を消し、豆腐は豆腐工場で作られスーパーで売られるようになってしまった。資本と言う怪物もまた隙間を狙って身の回りを跋扈するようになってきている。

 そうした現実に違和感を感じるのは間違いなく私の独断と偏見によるものである。私の感情の中には、ビルはゼネコン任せでいいけれど持ち家は近くの大工や工務店に任せてもいいじゃないかとか、魚屋と八百屋は別の店であるべきだなどというぬぐいがたい先入観があるからだと思う。

 「昔は良かった」はいつの時代でも老人の呟く説得力のない決まり文句なのかも知れないけれど、仕事が「職人」という形で引き継がれていた時代、大きな会社、田舎の酒屋、大工左官などが混在していた時代には、それぞれが異なった住み分けのジャンルと役割を持っていたのではなかったのか。

 そうした事実の承認は旧家を継ぐとか老舗を守るなどといった、職業の流動性を阻害している封建的な現象に引きずられているからだと言われてしまえばそれまでかも知れないけれど、なんでもかんでもスーパーやホームセンター、そして100円ショップで買い物ができてしまう現代は、どこか居心地が悪く気になって仕方がないのである。

 かつて川が地域を分けていたように、隙間があるということはその隙間が防波堤になり、防火林・防風林になり、お屋敷と長屋などの異なった生活を分ける境界になっていたということなのではないのだろうか。

 子供の運動を指導する家庭教師まで存在しだしてきた現代である。「親の安心はお金には代えられない」と時給4000円を支払う母親は言うけれど、子供の遊びにまでスキマ狙いは忍び寄ってきている。

 城の攻略方法に外堀を埋めるというのがある。現代のスキマ攻略はそれが内堀にまで及んできている。それは営業であるとか企業と言う分野を超えて、人のこころのあり方にまで影響を与えてきている。隙間をなくそうとする現代の間断なき波しぶきは、人の心の裡へ裡へと防波堤を超えて知らず知らず侵食してきている。



                          2006.07.12    佐々木利夫


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住み分けのなくなった時代