そんなに真剣に聞いているわけではないのだが、ひとりの事務所はどうしてもテレビのスイッチが入ったままになっていることが多い。そんなテレビ番組の中にNHKの「みんなのうた」がある。

 私の生活パターンによる時間帯で言えば、朝8時半に自宅を出発して徒歩約50分、冬だと少し汗ばみ、今頃の季節だと額から汗が流れてきているしTシャツにも汗が滲んでいる、そんな姿での事務所到着である。下着はもう一枚カバンに入れてきているから着替えるのに問題はないのだが、それは定番になっている事務室の朝シャワーを浴びてからのことである。

 ひとりの事務所なんだし誰に気兼ねのいるわけでもない。着替えの終わるまでは入り口のドアの外に不在の札をかけ、中からロックしておけばいいだけの話である。

 事務所に着くのが9時半少し前だから、ゴミ出しや簡単に部屋の掃除などをしてからシャワーの終わるのは10時少し前になる。この頃にテレビに入る番組が「みんなのうた」である。とは言っても大体が聞き流しているのみで歌そのものに特別興味があるわけではない。

 だが、最近なぜか繰り返し放送されている「鳳来寺山のブッポウソウ」という歌が耳につきだしたのである。特にリズムがいいとか、歌詞がいいとかというほどものではないのだが、アニメの映像にまとわりつくようなどことなく方言めいた歌い方が耳に残ってしまい、声を出すわけではないのだが歯を磨いていたり昼飯を作っている時などに頭の中でハミングしているのに気づくことがある。

 ネットで検索したら、この鳳来寺山は現実に愛知県の新城市に実在しており、「ブッポウソウ」の鳴き声で有名な山だと分かった。だとすればこの歌の方言めいた歌い方は三河なまりによるものなのだろうか。

 「ブッポウソウ」とは鳥の名前である。その鳥の鳴き声が「仏法僧」と聞こえるところからこの名前がついたということである。この鳥は長い間、いわゆる鳥らしい鳥というかすずめや鳩やかもめなどのような自在に空を飛ぶ鳥だと信じられていた(表題部の左の写真、姿のブッポウソウ参照)。つまりこの鳥が「ブッポウソウ」と鳴くのだと信じられていたのである。

 ところが観察を続けているうちに、この鳥は普通にさえずる(姿のブッポウソウの鳴き声はこちら)けれど「ブッポウソウ」とは鳴かないことが分かってきた。そして調べていくうちに「ブッポウソウ」と鳴くのは「このはずく」と呼ばれるふくろうの一種であることが分かったのである(表題部の右の写真、声のブッポウソウ参照。声のブッポウソウの鳴き声はこちら)。
 これにより、ブッポウソウには俗称ながら声のブッポウソウ、姿のブッポウソウの二種類がいることとなったのである。

 そしてこのNHKの歌を聞きながら、私もかつてこのブッポウソウの鳴き声を聞いたことのあることを思い出した。遠い記憶であった。そのかすかな記憶によればそれは旭川のはずれ、嵐山地区にある北邦野草園の中でのことであった。聞いた季節も時間帯もその時の気持ちなども、鳴き声すらも思い出させなかったけれど、それでも「ブッポウソウの鳴き声を聞いた」そのことをふいに思い出したのである。旭川に住んでいたのは平成2年から2年間の転勤によるものだったから今から20年近くも昔のことである。

 そのとき確かに木々を渡る風に乗って「ブッポウソウ」と聞こえてきたのである。鳥が日本語で鳴くわけではない。鳴き声を「ポッポッポー」と表現してもいいのだろうけれど、以前に何かのきっかけでこの鳥の話を知っていたこともあって一度「ブッポウソウ」と聞こえてしまうと、なかなかそこから離れられなくなる。

 それにしたところで「遠くから鳥の鳴き声が聞こえた」ただそれだけのことである。そんなに奇跡的な出来事でもなければ、稀少でも大切な記念のイメージでもない。私にとっては直接聞いた始めてのブッポウソウの鳴き声だったかも知れないけれど、ハレー彗星に出会ったとか、生涯一度の皆既日食との邂逅などというような私の人生の節目を彩るような劇的な出来事でもなかった。山道を歩いていて珍しい鳥の声が聞こえた、ただそれだけのことである。

 ただこの歌を聞きながらこんなどうでもいいような昔の記憶が突然甦ってきたことに対し、記憶というのはこんなにもか細げで心もとなく見える代物でありながら、なんとしたたかなものかとふと驚いてしまったのである。



                          2007.7.5    佐々木利夫


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鳳来寺山のブッポウソウ
  

姿のブッポウソウ

声のブッポウソウ
 (このはずく)