世界保健機関(WHO)は5月18日に、2007年版の「世界保健報告」を発表した。その報告書によると05年の世界193カ国の平均寿命で一版長かったのは、男性はサンマリノの80歳、女性は日本の86歳であった。これまで男性も日本が第一位だったが僅かに遅れをとったようである。ただ男女別の平均寿命を単純平均すると日本は82.5歳となり、サンマリノの82歳を上回り世界一になるという。
 もっとも、長寿が幸せかどうかはまた別の評価によるところになろうが・・・・。

 そうは言っても、逆に平均寿命が最も短いのは、男性シエラレオネ、女性スワジランドで、それぞれ37歳だと知らされてみると、その余りのギャップに唖然となってしまう。

 戦争や貧困や病気など、寿命には様々な要素がからんでくるとは思うけれど、平均寿命で日本の半分にも満たないという事実は、単なる寿命の長短ではない。単に寿命の問題を越えて「命」とは何か、人生とは何か、その国で生きるとはどういうことなのかを直接問いかけてくる人類としてのテーマである。
 つまりは「死」そのものの意味がこの国と日本とではまるで違うということである。

 仏教からの影響だとは思うけれど、生老病死は日本人の死生観に根深く染みこんでいる。幼い者の死もあるだろうし、働き盛りの突然の死もあることだろう。
 それでも死は老いの果てにあるものだと考えるのは、日本人のあまりにも平和ボケした思い上がりなのではないかと、ふと感じてしまう。

 こうして60歳をたっぷりと超えてしまうと、こうした死への平和ボケが私にもしっかりと身についてしまっていることに否応なく気づかされる。
 若い頃の死は、単に死そのものへの恐怖だった。我が身の存在が無になってしまうことへの単純な恐怖が死の定義でもあった。

 ところがこの歳になってしまうと、死はそんな単純なものでないことが少しずつ分かってくる。それは分かってくるのか思いが単に変化してくるのか、しかもそうした思いを的確に表す言葉を知らないのが歯がゆいのだが、死への視点がずれていっていることも事実なのである。
 もちろん少なくともこれまで抱いていた「死」そのものへの恐怖も無視はできない。だが、そうした死そのものへの恐怖は、次第に少しずつその重さを減らしてきている。そうしたことよりも、例えば死に至る道筋であるとか、家族などの重荷になることへの恐れなどへと私の思いは徐々にシフトしてきているように感じている。

 死そのものは避けられない現実として許容できるようになる一方、代って例えば病床での不自由、痛み、苦痛などといった肉体的への刺激であるとか、本を読んだり、考えたり、表現したりなどの思索的な行動への制約のほうが、ずっとずっと重くなってくる。

 それはもう生きているとはなんなのだろうかという問いであり、人とは何か、私個人とは何かを問うものでもある。それは恐らく尊厳死であるとか、リビングウイルなどに通じるものなのだろうと思うけれど、そうした己にコントロールできない状態に対する恐怖の方が、実感として迫ってくる。

 そしてこのコントロールできない状態とは同時に、家族にしろ、病院にしろ、はたまた介護関係者にしろ、そうした他者に我が身を委ねなければならない状態でもある。

 「他人に迷惑をかけないこと」も「必要なら迷惑かけたっていいじゃないか」も、恐らくはともに正しい理屈なのだろうし、そうした迷惑をかけることに余りにもこだわるのはどこかで我が身の尊厳と卑屈じみた強がりとを混同しているからではないかとも思う。
 それでも家族に迷惑をかけいるにもかかわらずそのことに何の認識のない状態になること、迷惑をかけていることを理解しつつそれを自分ではどうすることもできないことを分かることの両方とも、耐え難い重さとして迫ってくる。

 最近こんな本を読んだ。

 「死の運命は草花だけではない、と思う。・・・・・しかし、いつか若い命に譲るという運命は避けようがないのだ。・・・・・・人の死だけがどうして悲惨で悲しまねばならないことがあろう。殊に私たち日本人のように、充分に食べさせてもらい、教育を受け、社会と国家の保護を受け、世界的な長寿の恩恵を受けた後では、生を終えること、少しも悼んではならない」(曽野綾子 幸福論「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」)

 そのことは分かるのだけれど、分かるのは頭だけであり、心が納得していかないと我が身そのものの問題として理解するまでにはまだまだ遠いものがある。
 そしてそうした飢えであるとか劣悪な教育環境、貧困や秩序の混乱の中で過ごす多くの命に平均寿命37歳を重ね合わせてみると、そうした国々の人々にとって私たちが抱く老後という名への皮肉や混乱や不安や絶望や苦悩や否定などといったものなど、どこか驕り昂ぶった皮相でしかないのではないのかとさえ思ってしまうのである。



                          2007.6.1    佐々木利夫


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