とうとうここまで来てしまったかと、何だか違和感や憤りに似た気持ちを通り越して諦めに似た気持ちになってしまった「様」にぶつかった。

 もうすぐホワイトデーを迎える時期だから一ヶ月ほど前になるけれど、テレビ放映されたバレンタインチョコの売場での店員に対するインタビューである。バレンタインデーにチョコを贈る風習はどうやら日本の菓子業界の陰謀という説がまことしやかに伝えられているが、最近のチョコを買う女性の動機には一生懸命努力してきた自分へ贈るご褒美という要素も増えてきているのだという。

 その時にインタビューに答えた店員は「ご自分様へのご褒美として買う方が多いですね」と言ったのである。確かにそう言ったのである。
 一瞬聞き違いではないのかと思ったのだが、ゆっくりと自分で味わうためにチョコレートを買う女性が増えてきているという話だから、店員の言った「ご自分様」とは「自分自身のためにチョコを買う客一般」を指していることに違いはないだろう。

 日本語の乱れにきちんと反応するだけの知識を持っているわけではないけれど、この言葉は始めて聞いたのと、そうした言い方に何だかどうしょうもないような脱力感に似た気持ちを抱かせられたのである。

 数年前から病院がこぞって来院する病人のことを「患者様」と呼び出した。病院としては尊敬の意味を込めて「様」を使ったのだろうが、その言い方は尊敬の程度を超えているのではないかと思った。そしてその違和感に少し腹立たしくなった記憶があり、その気持ちは今でも引きずったままになっている。

 それは恐らく私の中に手紙の宛名につける一種の形式としての「様」が染みこんでいて、それ以外に相手に呼びかける場合などに「様」という使い方はしないことに原因があるのかも知れない。
 せいぜいが今も人気が高いらしいテレビドラマの水戸黄門などで、虐げられた百姓が「お代官様」と呼ぶようなそんなイメージがあり、これまた古い話しになってしまうが一昔以上も前に流行した映画「拝啓天皇陛下様」などが下地になっているからなのかも知れない。

 もちろんこうした使い方は、目下の者が手の届かないような身分の高い者へのいささか自らを卑下した一対一としての直接的な使い方であり、それに対して店員や病院の言い方はこうした一対一ではなくむしろ対象一般に対する表現として使っているのだから、そこに客観性の違いが存在する。そして私としてはむしろそのことに違和感を感じるのである。

 私が医者なり看護師で、目の前にいる特定の個人たる患者に対して「患者様」と呼びかけるのなら多少とも違和感が薄らぐと言えなくもない(とは言いつつも、相手の名前を使って○○さん、○○様と呼びかけるほうがずっとずっと自然だろうとは感じているのだが)。だからチョコ売場の店員だって目の前の客である個人に向かって「お客様」とか「あなた」などと呼びかけるのならまだ分からないではない。

 「様」はあくまでも特定された個人に対する敬称としてのみ使うのが許されるものであって、たとえ個人を指すものであったとしても「あなた」や「わたし」などの代名詞や集団を指すような「患者」とか「職員」とか「会社員」などに使ってはいけないのではないのか。しかも例えば「先生」であるとか「部長、課長」などのようにその言葉の中に敬語的な意味も包含されているような言葉にも「様」は付けてはいけないのではないかと思うのである。

 だがこの「ご自分様」は、抽象的な「客一般」の行動パターンを指して使っているのである。「ご自分様」にはきっと文法的な誤りがあるのだろうがそこまで指摘するだけの力は持っていない。
 私はこの「ご自分様」の使い方の遠因に、かつて流行語ともなった演歌歌手の放った一言、「お客様は神さまです」を感じてしまう。店員などが未知の来客者個人に話しかけるきっかけとして使った「お客様」を、この歌手は不特定多数の来客者全員を一まとめに表現する手段として使ったのである。

 当時私はこの言い方にそれなり違和感を感じたのだけれど、繰り返され広がり流行していった只中にあって、いつの間にかなんとも感じなくなってきたのはやはり馴れのせいなのだろうか。

この店員の場合にも「お客様がご自分のために買う・・・」と言うように表現したのならそんなに違和感はなかったのだろうと思う。
 変化する日本語の中には馴れと折り合うことで定着してくるものも存在しているだろう。手垢がついてくるにつれて違和感がなくなり、日常語の中に同化されてしまう用例も多いことだろう。

 とは思いつつも「ご自分様」には少なくとも「お客様が」という主語が抜けているのではないのか、客一般を指す言葉としては、「ご」と「自分」と「様」の三つともがなんだが変であり、変なのがいくつも重なって一層変になっているのではないかと感じられて仕方がないのである。

 まあ、そんなに目くじらたてるほどの迷惑をこうむったわけではないし、自分の使っている日常語にしろこうしたエッセイでの言葉遣いにしろ、日本語として混乱していたり、誤った使い方がけっこうあることは放映中のNHK番組「ことばおじさん」を聞いていても良く分かる。

 それにしても「揺れる日本語」なんぞと言う枠を超えて粗雑になっていく言葉の使い方の乱れというか混乱に、国民様の一員である私としてはどこか割り切れなさ、落ち着かなさを感じてしまうのである。



                          2007.3.10    佐々木利夫


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