私ごとき小人にとってみれば、挑戦への意気込みなんぞと張り切ったところでそこにそれほどのエネルギーが溜まっているわけではないらしい。
一ヶ月ほど前だったろうかテレビで手塚治の特集があり、そこで彼がゲーテのファウストをもとにした作品を描いていていたことを知った。そしてその番組を見ながらそう言えば私も若い頃に「ファウスト」を読んだことをふと思い出した。
少し気になって書棚を探してみたのだが、どうやらこの本は私の蔵書にはないようだ。うろうろ探した挙句見つかったのはゲーテの作品の中から名文句などを抜粋した文庫本「ゲーテ格言集」(新潮文庫、高橋健二訳)だけであった。
世界的に著名な作家の余りにも著名な作品(というよりは世界的な名作の誉れ高い作品)だから、きっと手にしたはずなのだがどうも読み終えた記憶が定かでない。
もちろん読んだ本の内容を逐一覚えているほど優秀な頭脳の持ち主ではないから記憶の不確かなのは当然だが、少なくとも読み終えたという記憶くらいは残っているはずである。ところがそうした記憶の痕跡すらないということは恐らく丸っきり読んでいないか、もしくは読みかけのまま中断したかのいずれかであろう。ただ、私の読書歴や性格からしてこのファウストがまるで手付かずのままということはないはずである。
だとすれば読みかけたけれど完読に至らなかった、つまりファウストへの挑戦はいつの頃か読み終えないまま挫折したということであろう。その挫折したことすら記憶にはないけれど、思い返してみると益々挫折したであろう事実は否定しがたいように思えてくる。ここまで挫折の思いから抜けられない以上、ものはついでもう一度挑戦するまでだと、変なところで自分に意地を張ってみたくなる。
これだけ著名な作品である。新本にしろ古本にしろすぐにでも見つかるだろう。ただ問題なのは、購入してしまうとすぐ手元にあるという事実に安心して机の上に積んだままになってしまったり、書棚に並べられて雑用や新しく購入した本などに紛れて放置されてしまう恐れがある。「積ん読」の弊害は私にとってもとみに実績のあるところでもあるからである。
ならば図書館から借りた方が、何と言っても返却期限が決められている分だけ間接的にしろ強制力というか後押しがあるってもんだ。図書館で世界文学全集第二巻(高橋健二訳、筑摩書房新書)がすぐに見つかった。その夜から早速二度目の挑戦が始まった。
・・・考えが甘かった。あっと言う間に返却の二週間が過ぎた。しかも挑戦結果は他に借りた本の影響もあって数ページに止まったままである。過去に一度挫折したであろうことの記憶が即座に納得できるような実績である。
原因はこの本がとてつもなく重い内容だったことにある。ヴォリュームとしてはそれほどのものではない。普通の厚さの全集の一冊に「若きウェルテルの悩み」と合本になっていて、長編ではあるけれどそんなに驚くほどのページ数ではない。
解説などによればこの作品は「詩劇」と呼ばれており、全編が韻を踏んだ詩でできている。そしてこの翻訳には5行ごとに行番号が振られていて、最終行は実に12,111にもなっている。読み終える前に後書きに走ってしまうのは読書として邪道だとは思うのだが、訳者の後書きによればこの作品は「自然と人間存在の深い意味を象徴によって語り伝えようとした世界文学史上最高の叡智の詩劇」とされている。
ともあれファウストはゲーテが83歳の生涯のうちの21歳から81歳までの60年を費やして構想し完成させた畢生の名著であらしい。そんな重さにたかだか一週間や10日間でぶつかろうとしたのが間違いだったのかも知れない。図書館からは一度だけ継続して借りることができる。だがこの実績を見る限りあと一〜ニ週間で読破できるとは到底思えない。そうは言ってもここで読むのを諦めてしまったら二度目の挫折を我が身にざっくりと刻むことでもある。だからと言って誰に非難されるわけではないけれど、二度の挫折を自分で味わうのはどうにも気に食わない。
古書店を探したら世界文学全集第一巻(新潮社、1971年)に高橋義孝訳で同じく「若きウェルテルの悩み」との合本が見つかった。
学問に人生の充実を見出せない老いたファウストがいる。メフィストフェレス(メフィスト)は神に向かって「人間どもはあなたから与えられた理性を碌なことに使っていない」と煽り立てる。神は人間の代表としてファウストを挙げ、「人間は、努力する限り、迷うものだ」として、メフィストが挑発した人間の魂を悪の道へ引きずりこめるかどうかの賭けを容認する。自らの魂と引き換えに若い肉体と飽くなき欲望を与えられたファウストの物語がここから始まる。
だが読み進めてもこの戯曲のテーマがどうにもつかめないでいる。その場その場のストーリーが分からないのではない。だがいくら読み進めてもゲーテのこの戯曲に対する思いが伝わってこないのである。伝わらないのはゲーテのせいだと自惚れてもいいのだがそうもいくまい。詩の一行一行がとてつもなく重たいのである。それを噛み締めながら読んでいくとこんどはストーリーがどこかへすっ飛んでしまうのである。
しかもそれはその一行一行が珠玉の言葉だと理解できての結果なのではない。ただただ、きらめく言葉の渦にそしてゲーテの知識の前に我が身の矮小さがあまりにもあからさまに写り出てきて、どうにも叶わないとの思いに駆られてしまうのである。
ファウストが悪魔メフィストと「刹那に向かって『とまれ、お前は本当に美しい』といったら私の負け」とする契約を交わしたことは理解できた。マルガリータ(通称グレートヒェン)との恋も分かった。グレートヒェンがファウストとの情事に溺れ母の目を盗むために飲ませた睡眠薬の分量を誤って母を殺してしまったことも、捨てられたと気が触れんぱかりに思い込み、産まれた子を持て余して沼に沈め殺してしまったことも分かった。そして婚前交渉と嬰児殺しの罪で捕らえられたグレートヒェンをなんとか死刑から救おうとメフィストの力を借りて脱獄させようとすることファウストの熱い思いも分かった。そしてファウストの陰にメフィストの存在を垣間見たグレートヒェンが脱獄を拒否する気持ちの動きも、続く彼女の死も分かった。
そしてそこで第一部が終わった。そこまで読み進んだ。だが行数はまだ4614とある
それでもまだ読み進むのを急ぎ過ぎていたのだろうか。いまだにこの物語りのテーマを理解できずどこかで投げ出そうしている自分がいる。そうした意味ではこれも一つの挫折であり、私はこのファウストから再び逃げようとしている。このままでは二度目の挫折になるだろうし、ここで挫折してしまったら恐らくその挫折の記憶は生涯傷痕のように残ったままになってしまうだろう。三度目の挑戦などへの気力そのものが覚束ないだろうからである。
よし、ならば理解できないままでいいではないか。少なくとも読み終えるだけで構わないではないか。読むという事実がたとえ英語の小説を単語も熟語も分からずにabc...xyzなどとアルファベットをそのままなぞるのと同じようなスタイルでもいい。とにかく日本語の翻訳がここにある。しかもこの本は読了までの時間制限のない自分の蔵書なのだから、分からないままでいいから最後まで付き合おうではないか。
理解が後から付いてくるか、それとも理解不能のままに最後のページへ辿り着くことになるか、恐らく後者の可能性のほうがずっとずっと高いであろうことは第一部を読み終えみて予測可能ではあるけれど・・・。
しかも読了の暁には、理解できなかったことを棚にあげつつ、そ知らぬ顔で「俺はファウストを読み終えた」と無理やり自分を納得させるであろうことも・・・。
ただその時期がいつになるかの不安は依然として根強く残ったままであり、二度目の挫折の予感に戦きつつ少しずつ頁を進めている。
2007.10.31 佐々木利夫
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