酔っ払い同士の他愛ない話である。仲間と飲んだときに、何が原因だったか忘れたが「ふのり」が話題になった。ふのりは味噌汁の具として人気があり、私の大好物である。
 そのふのりが昔は着物の洗い張りの糊として使われていたか否かが話題になった。

 着物の洗い張りが話題になること自体、話題にした人間の年齢層が知れるところではあるがそのことはまあ置いておくこととする。私の母は着物を着ることが多く、加えて内職に仕立もやっていた。私がまだ幼い頃だったから戦後間もない時期である。

 着物の仕立の内職などと言うと、時代劇に出てくる裏長屋の「仕立承ります」の木札が軒先で風に吹かれている風景を思い出すかも知れないがそうではなかった。今でこそ着物姿は晴れ着として一種の外出着、それも特別な外出着のように考えられているが、私が子供だった昭和20年過ぎ、布地の高い安いは別にして普段着としての着物を着る女性はそれほど珍しくなかった。

 掃除や水汲みなどの家事労働はもとより、畑作業などの労働だって着物の上に「もんぺ」と称するズボンまがいのものを穿くかどうかはともかく、女性の着物はごく当たり前の日常着であった。

 さて更に一歩進んで洗い張りである。今の時代、丸洗いのできる着物も売られているようだし、昔もそれなり気を使って洗濯するなら丸洗いも可能であったろう。
 だが縫い糸を解いて布切れにして洗うのは、丸洗いよりも汚れが良く落ちるし、しみなども取れやすいという利便さがある。また「絣(かすり)」や「紬(つむぎ)」などのように表と裏の色や柄が同じものは布の傷みなどの少ない面をリフレッシュ(つまり畳表の裏返しのようもの)して縫い直すことができるほか、布の寸法を改めると母から子へ、子から孫へと引き継いでいくことができるなど着物特有の利用方法もある。

 洗い張りには、長さ3メートル、巾50センチほどの長い戸板に布を貼り付ける方法と、細い竹ひごを細長い布の横糸に沿って一定の間隔で並べる伸子(しんし)張りの方法とがある。
 我が家では濡れると縮む絹のような高級な着物などなかったらしく、もっぱら戸板を使う方法だった。もちろん出番はそれほど多くはなかっただろうが戸板は我が家の備品として物置にしまわれていた。

 洗い終わった数枚の布を広げ、この戸板へ刷毛で糊を引きながら貼り付けていき、そのまま日差しに向けて乾かすのである。貼り付けるのはもっぱら大人の仕事だったが、乾いた布を引き剥がす作業はよく手伝わされたものである。糊が乾いているので、はがす時に「しゅー」という軽い音がする。なんだかその手ごたえがなんとも言えない気持ちよさを誘ってくれた記憶がある。

 さて、この洗い張りに使う「糊」であるが、やはり「ふのり」であることが分かった。食べる「ふのり」と同じものを使っていたのだと分かった。味噌汁では気づかなかったがふのりは煮込んでも透明なままなのだろう。
 まあ、ふのりにもいろいろ種類というか品質があるだろうことは、食べてみてよく分かる。歯ごたえが少し残り磯の香りの広がって美味いと感じられるものから、汁の中に形も残さないほど溶け込んでしまって味噌汁全体が糊汁のようになってしまうものまで様々である。

 値段もそれなり違うので、恐らく食べるふのりと洗い張りに使うふのりとは、種類は同じでも品質に違いがあるのかも知れない。それでも同じふのりが洗い張りに使われていたことが分かったのは、私の信じていたことが正しかったことを示していることでもありなんだか嬉しくなった。
 というのも、先ほどの酔っ払い談義に戻るけれど、ふのりではないと主張する相手は、浜の出身者でふのりは自ら摘み取ったと言い、確信を持って洗い張りにはふのりは使わないと主張したからである。
 それに対し当方の洗い張りにおける糊論議は夕張という山奥の炭鉱町での幼児期の単なる記憶だけで、目に見える証拠を示せなかったことにいささか弱腰にならざるを得なかった。

 こんな糊論議に勝った負けたはないと思うし、この事実を今さら相手に伝えて記憶の訂正を強要するような勝利宣言をするのもどこか大人気ない。それに仮に相手が間違って覚えていたところで、洗い張りには時に米の糊を使うこともあったというし、ふのりを使うかどうかは仕事にも世間話にもあんまり関係のある話題にはなりそうもない。ここはひとり得心して自己満足の段階に止めておくことにしよう。

 それはともかくとして、洗い張りを調べていて改めて着物について見直したことがある。洗い張りということは、着物が布地に戻ることである。戻った布地は長方形の単なる布切れである。
 つまり、着物というのは長方形の布地を単に縫い合わせたもので、どこにも立体的な裁断などないのである。背広も婦人服もスカートも、それぞれが立体的な裁断と縫製がなされている。ところが、着物は単なる布の縫い合わせ、言葉を変えるなら手ぬぐいのような平たい布のつなぎ合わせで出来上がっているだけなのである。縫い糸を解いてしまうと、着物はただの布切れの集合に戻ってしまうのである。それを洗濯してアイロンかけをするのが洗い張りなのである。

 その布切れが紐と帯を使うことでこんなにも体にフィットする日常着へと変身することに改めて驚いたのである。もちろん紐と帯だけではなく、襦袢や腰巻と言った下着であるとか縫い付ける襟など、着物には様々に付属する備品があり、それらの総合的な結果として体にフィットするいわゆる服装としての地位を保っていることに違いはない。
 だからこそ着物は日本古来の衣装でありながら、着付けと呼ぶ独特の技術が必要となった遠因になっているのかも知れない。そしてそれが逆に現代女性を着物から遠ざけている大きな原因になっているのかも知れない。

 それにしてもこれほどの伝統的な衣装、つまり自分の国の民族衣装を自分で着ることのできないという状況にはどこかしっくりこないものを感じてしまう。私自身が着物と角帯を持っていながら何年かに一度、それも正月くらいにしか着ないことを棚に上げて・・・・・、である。



                          2007.6.3    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



ふのりと洗い張り