久間防衛大臣が講演で、昭和20年8月9日のアメリカによる長崎の原爆投下が終戦を早め、旧ソ連による北海道侵攻を防いだとの認識を示した上で、「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだという頭の整理で今、しょうがないな思っている」と発言したことが問題となっている。

 こうした意見に対して、広島・長崎の原爆被災者やその家族などにとどまらず、参議院選挙が今月末に控えていることもあって政治問題にまで発展し野党こぞっての大臣の罷免要求につながるなど「問題発言、とんでもない意見」の大合唱である。

 私もこうした発言に賛成するわけではないけれど、新聞報道もテレビの解説もなんでもかんでもが「問題発言」一色になってしまい、とうとう大臣自身が辞任することになるに及んでまたぞろ天邪鬼が頭を持ち上げてくる。

 私の天邪鬼の原因は、こうしたマスコミや野党や与党内にすら存在する批判意見に対してどこにも擁護というか同調というかそうした意見のないことにある。
 それは私の「全員一致」であるとか、「全会一致」による結論というのに対してそれがいかにも正義であり真実であるとする考え方に対するぬぐいがたい不信感があるからであり、そうした結論は魔女狩りと同じではないのかと思ってしまうからである。

 私のつたない経験からしてだって、第二次世界大戦における日本の終戦決定の契機となった事実の一つに原爆があっただろうことくらいはっきりと理解できる。
 内心を外部に表明できないほど軍部の統制が強かったと言われればそうかも知れないが、戦争反対の意思が表面に現れてきたのは戦後のことである。ただ戦争に反対しなかったというそうした風潮の一端にはそうした軍部に迎合する国民の考え方だって根強く支配していたのではないだろうか。

 敗戦の気配は日本が満州をはじめ遠く南方にまで戦線を拡大していった頃から漂い始めていた。ましてや硫黄島や沖縄における戦闘、そして東京大空襲にみられるような本土への空爆や各地で艦砲射撃がなされるに及んで、そうした敗戦への思いはますます強くなっていったはずである。

 それにもかかわらず、日本人はまだ本土決戦があるさとうそぶいていた。一億国民が火の玉になって、たとえ子どもが竹槍で鉄砲に向かうような幼稚な闘いであろうとも、神風が吹いて日本は勝てると思いこんでいた、もしくは思い込まされていた。

 戦争は相手国が降伏するまで続く、それこそが戦争だからである。連合国は1945年7月26日に降伏勧告たるポツダム宣言の受諾を日本に要求したが、一億玉砕に固まる日本に聞く耳はなかった。国の意思を代表するのが天皇なのか軍部なのか、そして8月6日に広島に原爆が落とされ、続く9日には長崎へと投下された。宣言の受諾の意思表示たる連合国への打電は10日だと言われている。そして15日、天皇によるポツダム宣言受諾つまり敗戦の勅語が放送され、9月2日の東京湾ミズリー号の甲板における調印によって戦争は終わった。

 確かにこの4ヶ月前の5月7日に唯一の同盟国であるドイツが連合国に降伏し、日本はたった一国で連合国と戦わざるをえなくなっていたから、敗戦の蓋然性は目前に迫っていたと言うべきかも知れない。しかし原爆投下が戦争終結の直接の引き金になったことは疑いのない事実である。
 毎日のように人が殺され続け、本土空襲が始まってからはそれが兵隊だけでなく一般人と呼ぶのも躊躇するような赤ん坊子どもまでが戦火にまみれた。それがどんな悲惨な意味を持っているか、北海道に住んでいて当時5歳だった私に気づくすべもなかったけれど、長じて沖縄戦などの様々を知るにつけ戦争の継続はそのまま国民の殺戮につながったであろうことをはっきりと知ることができた。

 この時期における戦争終結が玉砕の意図するところと比べるならば、私自身も含めた多くの人々を死から救ったのは紛れもない事実である。そしてその終結の契機の一つとして原爆投下はとても重要な要素になっていたと思うのである。

 そして敗戦の後始末が始まった。日本政府は様々な交渉を相手国と続けていくことになった。
 祖国の意味をどう捉えるかは難しい問題だろうけれど、基本となるのは国土だろう。ソ連のスターリンはポッダム宣言受諾で日本が敗戦を認めたにもかかわらず北海道の半分を寄こせと主張し現に千島から北海道へ侵攻してきたと伝えられている。その残渣が現在の北方領土問題に引き継がれているのではあろうけれど、少なくとも北海道の一部にしろソ連は自国の領土とすることを主張したのである。

 こうした敗戦処理のいきさつについては終戦処理を巡る報道特集などで報道されること以外、私はほとんど知らない。歴史に「もし・・・だったら」は許されないことは承知だけれど、米国による原爆投下が核開発でしのぎを削っていた米ソ間の競争に一応のけりをつけ、戦争終結に対するソ連の譲歩を引き出したことは想像に難くない。そしてそのことによる今の北海道の位置づけもまた原爆投下と無関係ではない。

 だからと言って私は原爆を戦争の手段として利用したことの正当さを認めるべきだというのではない。だが他方で原爆を大量殺戮兵器だからという理屈だけで原爆だけを非難する意見にもついていけないものがあるのである。そうした感情論の分からないではないけれど、兵器はつまるところ人殺しの道具でありその殺戮能力は小なる暴力から大なる大量殺戮へと切れ目なく連続している。
 ナイフがあり弓矢がありピストルがあって、ライフルや機関銃、そして大砲やミサイルと続いたその延長に原爆や水爆がある。そうした兵器の殺傷能力のどこかに好き勝手に線引きして、この線からこっち側はダメだと言い張るのは論理の破綻である。

 私は久間大臣の発言を正しいものとして認めるべきだというのではない。ただそうした意見をも一歩下がって考えてみる余裕が世の中にあってこそ、平和を唱える日本になれるのではないかと思うのである。なのに、どうしてこんなにも同じ意見ばかりが一人歩きしてしまって、異なる意見などどこにも見当たらなくなってしまうのだろうか。
 私以外に久間発言にもそれなりの理解を示そうとする者など皆無なほど日本中同じ意見しかなくなってしまったのだろうか。それともマスコミが国民と呼ぶ視聴者や読者の意思(?)を勝手に忖度または迎合し、そうしたマスコミの考える見解にそぐわない意見などは意識的に採用しようとしないからなのだろうか。

 「日本人を救った」(間接的にはアメリカの軍人の死を救ったことでもある)、そうした事実を考えたり検証したりすること自体をも頭ごなしに拒否し、「被爆者の苦しみをないがしろにする」とするやみくもな原爆反対の呪文だけを唱えるのはあまりにも頑なに過ぎるのではないか。原爆保有に反対するのもいい。原爆投下の戦争終結との因果関係を論破するのもいい。
 ただ、目をふたぎ耳をふさいで、反対の見解には考えることも意見を述べることも許さないとする同色の風潮には、どこか戦争中の軍部の国民統制を思わせるような危うさを感じてしまうのである。

 久間発言に対し朝日新聞の解説委員は「政治家が生半可な理解で歴史を語ることの危うさを示している」と書いた(7.5朝刊)。一見抵抗なく聞こえるけれど、「生半可な理解」とは一体なんなのだろうか。「検証され間違いないと論証された意見」を意味するのだろうか。それとも「国民の過半数が真実だと信じている考え方」の意味なのだろうか。

 正論として認められた意見以外を語ってはいけないのだとしたら、政治家はだれ一人としてなんにも言えなくなってしまうだろうし、第一そんな政治家などまるっきり必要がないとすら生半可な理解ばかりで構成されている私などには思えてしまうのである。

 かつて国立劇場の理事をやっていた安岡正明氏はこんな意見を雑誌に発表したことがある。

 「幸せな歴史に育った者の、単純さ幼さが、日本の文化には確かにある。その達するところ、わび、さびの境地は、老熟の境地とは亦異なって、それなりの高い世界である。しかし、第二次世界大戦後の長い成長と繁栄の時代を通って、幸せな歴史を書き加えた日本は、その文化の単純化に拍車を駆けそうな感じである。核反対を決議する文化人の顔つきの、純な単調さにそれが出ている。」(税務事例 vol 14 No7 P5、「雨やどり」より」

 単純に「平和ボケ」などと言ってしまってはそれこそ間違った表現になってしまうかも知れないけれど、どうも一色に染められた意見にはどこかうさんくささがつきまとう。

 最近、学校の教師にいちゃもんをつける父兄が増加していると聞いた。わが子だけにしか目の向いていないいちゃもん父兄のあまりの身勝手さに、そうした父兄のことをモンスターと呼ぶのだそうである。

 だがことは教育現場だけではない。なんだか今の時代、どこかに受け皿を作るとなんでもかんでもそこへ要求と批判が集中して、日本中がモンスターになっていくような気がしてならない。生活保護も老人介護も教育も災害も、はたまた儲け話に引っかかってもうけそこなった老人の世話も、なんでもかんでも「なんとかせい」の大合唱になってしまう世の中は、やっぱりモンスターの集合だと思ってしまうのである。
 しかもそのモンスターたちからは話し合おうとする意思は少しも感じられず、人々はひたすら聞く耳持たずに喚きたて、ヒステリックに叫ぶのみである。



                          2007.7.5    佐々木利夫


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原爆、しょうがない