10月17日の長崎発羽田行き全日空機の機内無線が使えなくなり、乗客の携帯電話が原因だと大騒ぎになった。テレビも新聞も携帯電話犯人説を取り上げての大パッシングである。それは航空会社が携帯電話が原因であると発表したのだから、それを受けたマスコミ各社がそれに沿う発表をしたのは当然のことかも知れない。

 ところで私は以前から携帯電話がペースメーカーや飛行機無線などに影響があるとして、「・・・の恐れがありますので車内での利用はご遠慮ください」とアナウンスが入ることに、どこか隔靴掻痒と言うか歯がゆい感じを抱いていた。

 現代科学が万能だとは思わないが、「影響の恐れがある」などと表現するのではなくどうして「影響がある」と明確に表示できないのだろうかとの思いがしてならないのである。例えばその受ける影響が個人によって異なるような心理的な分野に止まるものであるならば分からないではない。ある人にとっては影響があっても、別な人にとっては影響が軽く、そしてもう一人にはまるで影響がないなんてことならば、十人十色の諺を引くまでもなくむしろ当たり前のことだからである。
 だがことは携帯電話と無線機器なり心臓ペースメーカーという機械対機械の問題である。影響があるかないかは現代科学で解明がつくのではないかと思うのである。

 私は科学技術で携帯の各種の機器に対する影響を排除せよと言いたいのではない(もちろんそれが望ましいのは言うまでもないことなのだが・・・)。「恐れがある」という表現でしか影響があるかないかを確定できないような現状がどこか変だと思えてならないのである。携帯電話で無線が妨害されその影響を100%防御できないのならその事実を「影響あり」と明記すべきだし、ペースメーカーの埋め込み手術を受けた患者への影響を防ぐことができないのならその事実を「恐れがあります」ではなくはっきりと示すべきだと思うのである。

 だいたいが、そうした「恐れがある」とは誰に向かって言っているのだろうか。表面的には携帯電話を持つ者への警告の形をとってはいるものの、実はどうにも対策のとることができない国なり監督官庁の責任逃れな言い訳にしか過ぎず、更にはそうした電波の影響を受けてしまう者の自己責任への転嫁になっているような気さえしてしまうのである。

 そんなことはっきりしないままだっていいではないかと思うかも知れない。もちろんそうした意見がまるで理解できないというのではない。「恐れがある・・・」とは、まさにそうした不確定な状況を示しているのだから、確たる証拠で立証されないとしても可能性の段階だけで警告してもいいじゃないかという理屈の分からないではない。

 例えば最近始まった震源地からのP波とS波の到達時間差によって発せられる地震警報だって確実ではないのだし、もっと大きく天気予報だって確率の問題だから外れて当たり前であるかも知れない。

 ただ携帯電話の影響はそれとはまるで異なるレベルにあるのではないかと思うのである。「傘持たないで外出して雨に濡れました」と言うのとは根っこから意味が違うと思うのである。飛行機の無線は航空そのものに影響が出ることであり、ペースメーカーへの影響は心臓の停止に結びつく問題、つまり人の命そのものだからである。

 しかも携帯電話の電波は通話をしていたりメールを送受信しているしている時にのみ発せられるのではない。誘拐や行方不明などの捜索などでも時折報道されるけれど、携帯電話は電源を切らない限り利用していない状態でも定期的にその位置を知らせる電波を発信し続けているのである。
 最近携帯電話の販売店に立ち寄って、利用していない場合の携帯電話から基地局への位置情報の電波の発信間隔を聞いてみた。どうも機種によって異なるらしくはっきりした回答は得られなかったのだが、店員はどこかへ電話してから「数秒に一回くらいではないか」と答えてくれた(ソフトバンク)。

 つまり、現在の警告の下での携帯電話の影響を排除しようとするなら、単に通話をやめるのではなく電源そのものをオフにしなければならないのである。

 だが現実はどうだろう。「携帯の禁止」はマナーモード(呼び出し音が鳴らないで着信の振動のみを知らせる)への切り替え要請、通話・メールなどの遠慮、それにせいぜいが「電源をお切りください」との要請に止まっているのみである。

 もちろん航空機内の携帯電話に関してはもう少し規制が厳しいようだ。本年10月1日から施行された改正航空法に基づく国交省告示によると、航空法73条の4第5項による機長の使用禁止命令の中に携帯電話が追加された。だがその規制は、機長から止めるように命令されたにもかかわらずその指示に従わなかった場合に限って50万円以下の罰金と法定されている(同法150条)に止まっているのみである。

 つまり刃物や銃砲のように事前に取り上げるのではなく、使用している場面が見つかってしかも機長がその行為を禁止した場合に罰則が適用されるというに過ぎないのである。前述したように携帯電話は使用していなくとも数秒ごとに電波を発信しているのである。その影響を遮断するには電源を切る以外にないのである(最近、操作することにより位置情報の発信電波を出さないようにできる機種もあると聞いた)。

 ならばどうやって機長は携帯電話の電源が確実に切られていることを確認できるのだろうか。少なくとも現在の航空法を読む限り、使わないまま背広のポケットでマナーモードにされている携帯電話のチエックができるとは思えない。

 だとすれば使われていない携帯電話の電波で飛行機は墜落するかも知れないのである。電源の入っている携帯電話はまさに乗客全員を人質にした凶器そのものなのである。私なんかはもし携帯電話が航空機の航空そのものに影響を与えることが確率の問題にしろ事実であるとするならば、機内での使用禁止はおろか到着まで別途保管による電源切断の措置まで絶対に必要になってくるのではないかと思うのである。

 携帯による会話が近くに座っている乗客の静穏な時間を妨げるから遠慮してくださいとのマナーの要望に止まるのならば今のままでなんの不都合もないだろう。だが、冒頭にも書いたように携帯電話の影響は飛行機の航行そのもの、そしてペースメーカーの動作不良の惹起など命の問題でもあるのである。

 可能性にしろ「命の危険」に結びつくのなら、どうしてもう少し明確で具体的な禁止へと動かないのだろうか。しかも、しかもである。携帯電話は今や一億台とも言われている。少し大雑把に言うなら、国民全部が所有していると言ってもいいだろう。それらの携帯電話が電車、機内、雑踏などあらゆる場所に溢れかえっている。そして前述した使用していない機器からも数秒に一回の電波の発信があるのだとすれば、携帯電話からの電波は人ごみの中に溢れかえっていると言ってもいいくらいだろう。

 つまりこう言ってしまえば携帯電話を持っていない者の僻みみたいに聞こえるかも知れないけれど、電車、病院、航空機など人の集まる所には殺人電波が野放しのままになっているような気がしてならないのである。最近はコンサート会場などで建物全体を携帯電話の利用できないようにしているところが増えてきているという。ただそれは建物全体を電波の通らない構造、または携帯電話への妨害電波を出すだけであって、携帯を持っている人の隣に座っているペースメーカーには何の役にも立っていないことは明らかである。

 さて、携帯電話殺人電波説の話しが少し長くなったが、冒頭に述べた長崎発の航空機の件はあっさりと方がついた。総務省は10月29日、この航空機の事故原因を「操縦室のハンドマイクの電線コードの覆いが破れていたため」と発表したからである(朝日、10.3)。つまり今回限りと言えばそれまでだけれど、携帯電話はあっさり無実だったのである。

 もちろんこの件が無実であったこととすべての携帯電話が安全であることとはなんの関係もない。だが携帯電話に対する国や企業などの対応が、携帯電話が秘めているという危険の大きさに対して余りにも優柔不断であることにどうにも納得がいかないでいるのである。
 かてて加えて、この情報に翻弄され結果として誤報をしてしまったはずのマスコミそのものが、携帯電話の有害性の真否について黙秘したまま誤報の検証すらすることなく頬かむりを続けていることにも疑問を感じているのである。



                          2007.11.20    佐々木利夫


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携帯電話犯人説