友人との酒飲みながらの他愛ない話である。話の中で北極が真夏になると消えてしまうと言うのが出てきて驚いた。まさかそんな馬鹿な話はないだろうと思ったので、なんとか反論しようと考えた。ところがこのことを確かめることがとても難しいことに気づかされた。
真夏に北極が融けてなくなってしまうかどうかの話題は、数億年前の話でも、太陽系消滅にかかる将来の問題でもない。現在どうかの問題である。
事務所での気楽な飲み会である。机の上のパソコンはインターネットにつながっているし、書棚には簡単ではあるけれど世界地図がないではない。だが地図で見る限り北極も南極もきちんと陸地として示されており健在である。だがこれは撮影時期も季節も示された図形ではないから、現に生じた今の話題に対する答えにはならない。
ネットで「北極」とか「北極圏」などを検索してみるが、どうもこうした話題を解決するような情報はすぐには得られない。
ところで南極はもともと大陸の上に雪や氷が積ったものらしいから、氷原に覆われた南極か、それとも雪のない地肌の露出した南極かはともかくとして陸地としての南極そのものが消えてしまうことはない。
だが北極はこれとは反対に陸地がそもそも存在しないのだと聞いた。つまり、北極は海水が凍っただけの大きな氷山みたいな、いわば架空の土地でしかないという意味である。
昔、実話なのか単なる笑い話なのかあるいはホラ話なのかは分からないのだが、北海道のオホーツク海に面しているサロマ湖(海水と淡水の混ざった湖で、ホタテ貝の養殖で有名である)近郊の土地が格安で売りに出されたというのである。現地を見ての売買成立だったというのだが、実はその土地は凍結したサロマ湖の一部で、夏になるとそこは湖面になるのだという詐欺の話しである。
その話と同じように友人の話が本当だとすると、北極の夏は陸地のない一面の海であり、北極大陸とは冬だけに見られる一過性の現象だということになる。
なんとか友人の考えに反論しようと思いを巡らしたのだが、「北極が夏にはなくなること」の証明も、その反対の「年を通して存在し続けること」の証明もともに発見できなかった。
こういう話題が私は嫌いである。答が確かめられる事実にしか過ぎず議論にならないと思うからである。たとえ実証の難しい仮説であったとしても、その仮説そのものが社会を育て進歩させていくための重要な要素になることに違いはないと思っている。だがこの北極の仮説はそうした議論をしたり研究をしたりするものではない。単なる事実の確認で足りるからである。
北極点の年間の気温の変化について私はきちんとした知識を持っているわけではないが、北半球の夏至は物理学と天文学の計算で決定することができ、白夜の反対に一日中太陽が沈まない。日照時間は夏至が一番長いだろうが、気温や地表なり海面の温度が最高を記録するのはその日から2ヶ月ほど遅れることだろう。だとすれば、この8月頃がそうだろうから、この期間に北極点を空中から撮影すれば一目瞭然である。つまり北極消滅の有無は研究や議論ではなく、たんに「見るだけ」という確認行為だけで解決してしまうからである。
だがネットをいくら検索してもこの話題に関する情報が出てこない。出てこないということは北極が「消える」ことに関して話題性がないということであり、これには二つの意味があると考えられる。一つは消えることが誰もが知っている当たり前のことである場合であり、もう一つは消える話しそのものが荒唐無稽で話題にもならないという場合である。いずれにしても当面この問題の解決の糸口は見つかりそうにない。
こんな単純なことに賛成も反論もできないことに私は多少イライラしていた。飲兵衛同士の他愛ない話だから、話はすぐに違う話題へとどんどん移っていったのだが、このイライラした気持ちはその後も続いていた。
だがしばらくして思いがけなくあっさりと答が見つかった。それが新聞に載った上の写真である。この写真は海洋研究開発機構と宇宙航空研究開発機構が人工衛星で観測した北極海の撮影結果である(朝日新聞'07.8.17)。撮影したのは右側が今年8月15日であり、左側が3年前の同時期とされている。
北極点は黒丸になっていて「観測しなかった」と説明されているが、周りが氷で覆われているのだから黒丸の部分だけが融けて海水になっていることは考えられないだろう。だとすれば、8月は北極にとっても一番暑い夏の盛りであろうから、これよれば間違いなく真夏に北極が氷で覆われていることを示す証拠になるし、その事実を認めるなら北極は一年を通して氷の大陸として存在していることの証明にもなるからである。
さてこれで友人との酔っ払い談義の結論は証拠と共に入手したことになる。次に飲んだときにこの写真と記事を示して「そんなことはない」と鮮やかに論破することができるというものである。
だがことはそんなに簡単ではなかった。この記事のタイトルは「縮みゆく北極の氷」であり、サブタイトルには「04年比、日本の4倍の面積消える」となっていたからである。記事は海氷面積の縮小の原因について、「沿岸の薄く解けやすい氷が北極海に侵入した」、「北極海内部で早期に融解が進み日射を吸収しやすくなり、海洋に加熱が加速した」、「北極海から大西洋に流出する海氷が増加した」を発表者の意見として掲げていた。
そうした原因がどこにあるのか、あっさりと地球温暖化に結び付けてしまうのは危険かも知れない。だが記事は「北極海の海氷は例年、9月中旬まで減り続ける」としているから、写真の氷原は更に縮小するということである。
それは、単に3年間で北極の氷原は日本列島4個分縮小したことのみならず、まさに北極が縮んでいくこと、そしてその状態が続くならば消えてしまう恐れが感じられること、しかもそうした時期はこの写真で見るだけでもそんなに遠い将来ではないことなどが、素人目にも想像できることをあまりにもはっきりと示している。
この2枚の写真は、北極海の夏と冬とを比べているのではない。3年間の同じ場所の同じ時期の変化を示しているのである。
この事実を素人が勝手に地球温暖化に全部を押し付けることは無責任過ぎるかもしれない。ただ、北極の氷が融けるということは融けるときに大量の融解熱を奪うことであり、そのことはつまるところ融けることが地球を冷やすことでもある。それは地球を冷やす氷そのものが減少していることである。つまり旧式な発想になるけれども昔あった氷で冷やす冷蔵庫の氷が足りなくなってきていることでもあり、地球温暖化を加速することにもなるのである。
今年8月16日、日本列島は埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40.9度の最高気温を記録し、これまでの日本の猛暑記録を更新した。「日本の平均気温は地球温暖化やヒートアイランド現象で上昇傾向にある。『元値が上がっている』」と気象庁予報官は言う(朝日、8.17)。また19日の新聞は国連事務総長が「(地球温暖化は)国連の歴史で最も重要な取組みの一つだ」と記者に語ったと報じた(朝日、8.19)。アメリカではハリケーンが頻発し、最近もカテゴリー5(クラス分けの最大)が発生、ヨーロッパを始め北朝鮮など世界各地で洪水被害が広まっている。
これまで地球温暖化の問題は、政治や経済や国益などがからむととたんに混乱し始めてきたし、その傾向は現在にもそのまま続いているかのように見える。
だが証明も説得もできないけれど、地球が目に見えて暖かくなっていくことは私にも直感で分かる。そしてその事実は冬が去って春が来るような穏やかな季節の変化などではなく、破滅ともいうべき従者を引き連れてすぐそこまで迫ってきている。
上の写真は、確かに飲兵衛仲間の友達の意見に対する反論を示す証拠である。だが、同時にそんなに遠くない将来に北極は消えるかも知れないということの証拠でもあったのである。
もし、この酔いどれ同士の繰言の審判を歴史に委ねるのだとするならば、その軍配は彼に上がることになるかも知れないことを知らせてくれていることの証拠でもあった。だから私はこの事実を次の飲み会での友人との話題にはすまいと密かに心に決めたのである。
2007.8.22 佐々木利夫
追記 2007.9.24
左の写真は今朝の朝日新聞に掲載された9月16日に撮影されたとするものである。そして記事はこの氷の面積の減少は、前掲記事が日本列島の4倍としたのに対し7.5倍になったと報じ、これが今季最小だとも報じた。北極は海にはならなかったのである。
これで私が主張した「北極が消える」とした仲間の主張に対する反論はきちんと証明されたことになるだろう。だがしかし、この三つの写真はそんな証明など無意味だとあからさまに伝えているような気がしてならない。
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