正月番組はどうも苦手なのだが、それでもテレビ漬けの生活からはなかなか抜けられないのが現実で、消してしまうまでの踏ん切りもつかないまま勢いチャンネルを変えることが多くなってしまう。そんな中で百人一首をしている小学生らしい集団のニュースを見た。

 ニュースそのものは本州の出来事だったがその映像を見ながら私自身の子供の頃を思い出して懐かしくなった。遊び道具が不足しており、しかも外遊びには季節的に条件が制限される真冬の中で、百人一首は隣近所の仲間を誘い込んでのけっこうはまった遊びの一つだった。

 北海道の百人一首は下の句だけのゲームである。本州では取り札も読み札も紙でできているが、北海道はトランプほどの大きさで厚さ5ミリほどの木の札に下の句だけが墨痕も鮮やかに書かれているのが取り札である。墨痕鮮やかとは言っても我々の家庭にあるのは印刷された札であり、加えてほとんど読めない書体が使われていたのでまるで判じものを眺めているようなものだった。
 それでも飽きずにゲームを続けていると、そんな書体でも一種の絵のように形として覚えてしまい、間違いなく読める(?)ようになっていくのである。

 百人一首は百枚の木札を使ったカルタである。読み札には上の句も下の句も書いてあるが、読み手はその中から下の句だけを読み上げる。そして読み上げられたと同じ木札を先に取ったものがその木札を我がものとすることができ、トータルで50枚以上を取ったチームが勝ちとなる。ルールはそれだけだが、遊び方は参加する人数によって少し異なっていた。最少人数は対戦者二人が50枚ずつ札を持ち、それに読み手一人の三人である。

 小学校高学年から中学にかけての近所のガキどもの集まりだったが、それでも三人で遊ぶと言うことは滅多になく、普通は5人または7人でやることが多かった。7人の場合、味方三人、敵三人、それに読み手である。三人はそれぞれ、守り、中堅、攻め(「突っ込み」と呼んでいた)と名づけた役割を分担する。味方三人が横に並び、ランダムに分けられた持ち札50枚を攻め5枚、中堅10枚、守り35枚で受け持ち、敵も同様に向かい合うのであるが、ただ攻めと守りが対決するという形態をとる。
 仲間が少ないときは守り45枚、攻め5枚を受け持っての5人である。

 配分された50枚のうち、誰がどの札を持つかは「守り」に決定権がある。どんな方法で分けるかは任意だが、普通は味方の札50枚を50音に分けることから始めることが多かった。

 「あまりてなどか・・・」、「あまのおぶねの・・・」、「あかつきばかり・・・」、・・・・「いずみきとてか・・・」、「いずこもおなじ・・・」、「いまひとたびの・・・」・・・・、などなどけっこう同じ文字で始まる歌が多く、「人・・」で始まったり「恋・・」、「我・・」などで始まる札も多かった。

 それとは別に「つらぬき・・」、「乙女の姿・・」など、50音で分けても一枚か二枚くらいしかない札などもあり、そうした札は攻めと中堅に任せることが多かった。
 そうすることには理由がある。

 守りは自分の持ち札を自分の守備範囲となる目の前に並べるのであるが、35枚も分担するので三列から四列になってしまう。しかも自分の目の前には自分の持ち札を5枚しか持っていない敵の攻めが対峙している。この攻めをかわして自分の持ち札を可能な限り自分で取る、場合によっては一枚も取られないようにする、これが守りの責任である。勝敗はまさに攻めと守りの攻防で決まることが多いのである。

 そのためには守りは自分の札を相手に取られないように工夫して並べなければならない。つまり、読まれた札がどの辺にあるかをなるべく早く予想する必要があるからである。35枚をばらばらに並べてもいいのだが、その方法では敵も混乱するかも知れないが自分でもどこにどんな札があるか分からなくなってしまう。あいうえお順に並べるのも一つの方法だが、それでは敵に我が手の内を明かすことにもなりかねない。

 自分に分かりやすく敵に分かりにくい並べ方、これが守りとしての個々人に与えられた自らのノーハウである。目の前に一定のパターンで札が並んでいるのだから、何度か対戦するうちに敵にもその配列を見破られてしまう恐れは十分にある。だが、読まれた直後に自分が取るか相手が取るか、寸秒を争うゲームである。敵が知識として理解した配列に手が届く時間と、自分が長い間培ってきて体に染みこませた配列に手が伸びる時間とでは僅かにしろ違ってくる(と信じる)のである。これこそが勝負の分かれ目である(と挑戦者は考える)。

 私の並べ方は「あかいこしまき・・・」、そして「人」札の配置位置であった。自分が読めるように左上から「あ」札、「か」札、「い」札・・・の順に横三列ほどに並べ、「人」札を自分の右膝のすぐ前、右手ですぐに届く位置に置くのである。

 さて用意は整った。正面に位置する敵の「攻め」の持つ5枚の札を見るともなく眺める。その札を「守り」から取られることは「攻め」としては大きな恥辱である。逆に「守り」から見るなら、攻めから一枚でも取ることは守りとしての余裕を示すことであり、同時に得も言われぬ快感でもある。そんなことをチラリ考えながら読み手の声を待つのである。

 読み手の独特の節回し(子どもながらに人真似のおかしな読み方だったと記憶している)の読みが始まる。最初の一枚は、「空(から)読み」と言って適当な札を選んで上の句下の句ともに読む。これは勝負に関係のないいわゆる出だし(ヨーイ・ドンのヨーイ)である。読まれた札を自分の持ち札の中からさりげなく探す。見つかったときは時に軽く手を触れる場合もあるが、これはウォーミングアップである、札はそのままの位置に残しておく。

 読み手が空読みの札の下の句をもう一度繰り返す。次の札が対戦札となる。緊張が走る。読み手の声は対戦札の下の句の出だし5文字くらいを発する。特別な句でない限りこの5文字で札が特定されるのである。
 今となっては記憶も定かではなくなったが、例えば「今ひとたびの」と「我が衣」の二種類だけは今だに覚えている。「今ひとたび」には「逢う」と続く句と「みゆき」と続く句の二枚があり、同じように「我が衣」にも「露」、「霜」の二句があった。

 読み手も心得たもので、いずれの札であるかを確定できるまで読む。それ以外はほとんど最初の5文字で札が特定され勝負が決まる。もちろん5文字全部を読み終わるまで待っている必要はない。「あか・・」で早くも手が動き始める・・・・。

 決着がつくと読み手は、今読んだ5文字の句を最後まで読み上げ、そして次の札の5文字へと続けるのである。もちろん札が少なくなってくると、読み手の一文字目の発音の前の唇の形や微妙な息遣いなどから読まれるであろう札を予想することもある。時に外れ、時に成功する。それもこのゲームの醍醐味の一つでもあった。

 暗記できるまでになっていた百人一首の世界ではあったが、下の句だけだったことや、歌の意味を理解しないままでもゲームが進められたことなどから、歌の意味という分野にまでその理解が深まることはなかった。ましてや歌の作者が誰かなどと言うことなどまるで無頓着のままに・・・。

 小学生や中学生に古文で書かれた恋の歌の理解など望むべくもないだろうが、それにしても下の句だけを覚えるという中途半端な記憶のまま、いつしか少年は百人一首から遠ざかっていった。高校生になってこのゲームを続けていたような記憶がまるでないことからすると、百人一首は単なる言葉の羅列の記憶を残したままそれっきりになってしまったようである。

 百人一首にはきちんと上の句もあるんだということ、思った以上に恋の歌が多いこと、それぞれにしみじみとした味わいがあることを知ったのは、ずっとずっと大人になってからのことであった。ただ、それは知識としての理解であり、ゲームとしての興奮からは遠く離れてしまっていたのだが・・・・。



                          2007.1.05    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



百人一首の思い出