日本で発明されたカラオケが世界を席巻しているようだ。酒の席で歌う習慣は昔から続いていたけれど、いつの間にか「小皿叩いてチャンチキオケサ・・・・」と手拍子と口三味線が主流だった宴会芸がオーケストラ伴奏へと変っていったのはそんなに古いことではない。

 そのカラオケもスピーカーからの音楽伴奏と譜面台に置かれた歌詞台本を見ながら歌うスタイルから歌詞カードが曲に合わせてテレビ画面に表示されるようになり、やがて歌詞カードのみだった背景に映像が流されるようになるにはそれほどの時間はかからないかった。

 曲演奏の媒体もカセットテープから8トラックテープと呼ばれる大型のカセットに代り、テレビが介入するに及んでビデオCD、レーザーディスク、そして通信回線へと替わって行った。

 まあ人並みに酒の飲めるこの身にとって、仲間との焼肉・焼き鳥や赤提灯の居酒屋通いなども含めて飲み会などへはけっこう出番の多い人生だった。
 だがこのカラオケだけにはどうにも相性が悪かった時代が私の酒飲み人生の大半を占めていた。

 ところがいつか廃れて沈静化するだろうと思っていたカラオケは、そのファン層をどんどん拡大していき、一次会は飲むだけの場合が多かったけれど二次会は必ずと言ってもいいほどカラオケがつくようになっていった。むしろカラオケのない店は二次会の対象とされないようにさえなってきたのである。

 一人で飲む酒がないわけではないけれど、男の酒はどうしても職場中心である。職場仲間で飲むということは二次会も同じ仲間で選ぶということである。しかも職場というのは身分関係のはっきりしている階層社会でもあり、酒を飲んだからと言ってその構造に変化の生じるわけでもない。しかも、しかもである。カラオケ人気は上司のみならず同僚から後輩に至るまでその勢力を間違いなく拡大しつつあった。

 厭ならカラオケ付きの飲み会、つまり二次会に付き合わなければいいだけの話である。だが酒を飲むというのは酒を通じた職場のコミュニケーションの場でもある。飲み会のことを「ノミュニケーション」などと呼ぶのは酒を飲むための方便としての意味もあるだろうけれど、それだけ職場としての必要な要素であることをも示している。中間管理者と呼ぶにはまだ早いかったけれど、下級管理者の入り口にあったこの身にとってみればこれからの職場で生き残っていくためにはカラオケも考慮に入れなければならない時がきたのかも知れない。

 ならばどうする。これまでのようにカラオケから逃げて、歌が始まったらトイレへ行く振りをするなんぞの下手な時間つぶしをしたところで解決にはならない。これだけカラオケがアウトブレーク(感染爆発)とでも呼ぶほどに蔓延してきているのなら、その細菌に自ら感染してみるのも一つの手段である。

 かくしてカラオケへのチャレンジが始まった。とは言っても日毎、夜毎にスナックに一人で通ってカラオケ練習というのもどうも抵抗があるし、第一酒好きのこの身にとって見ればそんな方法では財布の中身が持ちそうにない。

 丁度その頃、カラオケボックスというのが流行りだしていた。しかも土地や建物の高価な都心にはまだ少なくて、郊外、それも時には農家が点在する田舎の国道沿いにそうした設備ができはじめていた。「これだ」、これこそ私の練習のためにわざわざ用意してくれた天の配剤である。そうした個室の中の一人きりの練習ならば音を外そうが歌詞を間違おうが誰に遠慮がいるものか。

 個室の利用料金はそうした郊外型カラオケボックスができ始めた頃なのでけっこう高かった。30分で千円、千五百円というのが普通だったような気がする。だが、これもノミュニケーションのための我が身への投資である。
 私の見つけたカラオケボックスは、札幌から車で小一時間もかかる田舎にあった。探せばもう少し手近にもあったのかも知れないけれど、土曜日、日曜日を利用したマイカーでの遠距離カラオケ練習が仲間はもちろん女房にも隠して密かに始まった。

 1曲目への挑戦〜「酒よ」(吉幾三)

 今までカラオケは逃げ回っているばかりで歌ったことなど一度もないが、練習するのなら覚えやすく、分かり易い歌がいい。カラオケから逃げながらの二次会ではあるが、聞きなれた歌の中に「酒よ」があった。そうだ、これにしよう。
 練習した。上手いか下手かは分からないが、とにかくそのころ流行り出したレーザディスクの映像に表われる歌の文句の色の変化に追いつくことが先決である。何度も練習するうちに、伴奏というかカラオケ部分の曲が次第に聞こえるようになってきた。歌詞の色変化と音楽に我が歌声が付いていけるのなら、マスターしたとは言えないまでもその歌を歌えるようになったということではあろう。

 一ヶ月かかったか二ヶ月を要したか、毎週のように狭いボックスの中でひたすら「酒よ」だけを一時間以上も続けざまに何度も繰り返し励んできた成果が自分の耳にも少しずつ分かるようになってきている。

 さあ、あとは出番を待つばかりである。今まで「あいつは歌わない」と誰にも思われていたこの身にとってのスター誕生の瞬間を思い知らせる時を待つばかりである。やがて酒を飲むチャンスが巡って来た。二次会はいつものカラオケスナックである。「歌わない」と思われている身ではあるけれど酔った仲間は必ずどこかで私に「歌わないか?」と指名して来るはずである。その時こそが私のデビューの幕開きである。

 いつも通り歌の好きな奴からカラオケが始まった。やがて出現するであろう私の出番のを待つ緊張が続く。水割りの味なんぞどこかへ吹っ飛んでしまい、デビューの瞬間を密かに待つばかりである。「おい、あんたも歌わないか・・・」、酔ってきた仲間は必ずそう声を掛けるはずである。あともう少しだ。喉がカラカラだ・・・。

 1曲、二曲・・・、二次会は賑わってくる。何曲目だったろうか。突如として「酒よ」が始まった。私の出番ではなかった。
 予想すべきであった。私がこの曲を選んだのは何度もカラオケで他人が歌うのを聞いていて耳慣れていたからではなかったのか。ならば私よりも先にこの歌が歌われるであろうことは余りにも当然のことと知るべきだったのである。

 やがて仲間から「お前も歌わないか」との誘いがかかった。私の予想通りにことが進んだならば、ここで世間をあっといわせる私の華々しいデビューの時がきたことになる。だが、他の人が歌い終わった歌を二番煎じで披露することなど及びもつかない。

 「いいよ、俺、歌えないから、次、次・・・」。あんなにも熱い想いでデビューの瞬間を夢見ていた中年の男は、なんとも言いようのない挫折感を飲み込んだまま、いつも通りの「歌わない男」をそ知らぬ顔で演じ続けたのである。それからの何度かのカラオケ二次会の機会に遭遇しながらも、その男に「酒よ」の出番が回って来ることはなかった。おずおずと遠慮がちな私の出番の決意の前に、いつも誰かがこの歌を歌いはじめてしまうからである・・・。

 二曲目への挑戦〜「リフレインが叫んでる」(松任谷由美)

 「酒よ」の敗残は痛かった。なんと言ったってこれまでのカラオケボックス通いのすべてが否定されたのだから・・・。だが、そのことで得た教訓がある。選曲が悪かったのである。カラオケで多くの人が歌うような人気の高い曲を選んだところに致命的な欠点があったということである。歌われる機会の少ない選曲ならば他人と競合する恐れなど決してないはずである。「歌わないか」と誘われたら職場の誰もが今まで歌ったことのないような曲を披露すればいいのだ。なんとあっさりと上手い解決策の見つかったことか。

 ところでそのころ私はコンピューターで音楽ソフトをいじくりまわすのを趣味にしていた。パソコンに音源と称する付属品の装置をつけ、モニター画面の五線譜に楽器を指定したり音符を貼り付けたりしていくのである。10数音の同時発音が可能だったから、オーケストラのような壮大な演奏は無理にしても室内楽やピアノ弾き語り、それに小編成のバンド曲などはパーカッション(ドラムなどの打楽器群)も含めてけっこう自在な音を楽しむことができるのである。

 楽器屋やCDショップなどをうろつくと歌手ごとや演歌やバラードなどのジャンルごとにたくさんの楽譜が並んでいる。その中から適当に選んできてコツコツ、キーボードから入力するのである。時に楽器の編成を好きに変えたり、ボーカル部分を二つの楽器で演奏させるなど、出来上がった曲の出典はともかくスピーカーから鳴り響く音はとりあえず私のオリジナルである。しかも出来上がった曲はカセットテープに落とすこともできるから、マイカーはそのまま私のオリジナル編曲の演奏会場へと早変わりできるのである。

 そうした入力した曲の中に松任谷由美の曲があった。松任谷由美は当時(今でもかな?)「ユーミン」と呼ばれていて、マイカーで聞かれている人気音楽の定番とも言われていた歌手である。この「リフレインは叫んでる」は繰り返し繰り返しよく聞いた。聞いて聞いてすっかり覚えこんでしまった。単に耳で覚えただけではない。何と言ってもコンピューターに一音ずつこつこつと入力した結果であり、言わせてもらえばその入力さえ正しければ音外れなどのない完璧な曲がここにあるのである。

 さあ、聞き飽きるほど暗記してしまった曲である。「いつでもこい」である。しかも私のスナック通いの経験からしてこの曲を歌った人など皆無である。事前にその曲がカラオケの目録に載っているのかどうか覗いてみたことがある。その時は歌わなかったけれどちゃんと載っているではないか。これでチャンスと覚悟さえあればデビューのための舞台装置は万全である。

 いよいよその時がきた。今度は上司と二人のスナックであった。気の置けない上司だからそんなに遠慮することもない。客も一人か二人いたようだが他人の歌うカラオケにそれほど興味はないだろう。とすれば、まさに今こそ好機到来ってもんだ。

 勇を鼓して、しかもさりげなく曲を申し込む。上司もママもあんまり知らない曲らしくそれほどの反応はない。「しめしめ」、ささやかながらこれが私のカラオケデビューである。

 曲が始まった。楽器の編成は違うけれど耳慣れた車の中で飽きるほど聞いてきた曲である。画面に歌詞が表示され始めた。こうして私のデビューは自身の中で華々しく始まった・・・・・、はずであった。
 おお、神様助けて。声が出ない、画面の文字は色を変えていくのにマイクを持つ私の口からは声が出ない。いや小さく声は出しているのだが、その声がカラオケの音とまるで合わないのである。

 すぐに気がついた。私は車の中で何度も何度も、それこそ暗記できるほどにこの曲を繰り返し聞いた。だが、その音に合わせて声を出すことはなかった。鼻歌でハミングするようなことはしたけれど、実際に歌ったことがなかったのである。松任谷由美は女性である。つまり、カラオケの音程と私の声とはまるでキーが合わないのである。音痴どこの話ではない。カラオケに乗っていけない声なんぞまさに無残であり挫折である。

 ママがすぐに気づき「キーが違ってるようだから変えるわね」とさりげなくサポートしてくれて、電卓もどきのリモコンを操作する。だがママが電卓を叩くたびに聞こえてくる音程が変ってきて、その変化が耳に届くともう、この世紀の大歌手の声はそのキーの変化にもついていけず混乱は益々広がるばかりである。カラオケボックスで「酒よ」同様にきちんと練習すべきだったと気づいたときは既に手遅れであった。

 そしてその後・・・。まあ、こうした挫折にもめげることのない努力の甲斐もあって、今ではどうやら人並み(?)に時々歌っている。それでも「酒よ」の挫折による後遺症は今でも執拗に残っているらしく、我がジャンルは演歌ではなくニューミュージックというか和製ポップスになっている・・・。

 そして昨日のことである。仲間と薄野で飲む機会があった。会合の時間よりも少し早め.に着きそうになったので、狸小路界隈をふらふら歩いてみた。カラオケボックスレンタルルーム30分45円の看板を見つけた。価格も方式もすっかり変わってしまい私の練習し始めた頃から比べるなら隔世の感さえするシステムの変化があることだろう。料金を見ながら、カラオケもそろそろ飽和の時代へ向かってきていると言うべきなのだろうかと思うことしきりである。



                          2007.8.9    佐々木利夫


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カラオケ、挑戦と挫折の軌跡