血液型ばかりではなく手相にしろ星占い、風水、トランプ、タロットなどなど、人はどこかで不確かな未来をなんとか探ろうとすることで現実の生活からの逃避を求めているのかも知れない。
 それでもインターネットや週刊誌などなど、昨今の占いばやりにはいささか辟易してしまう。

 信じない人に占いなどいくら説得しても無駄だろうし、占いだというだけで興味を失う者もかなりの数にのぼるだろう。かく言う私もまるで信じていないグループの一員である。

 ましてや血液型など、科学的にはRh型であるとかMN式、P式など約300種類にも及ぶ様々な分類があるとされているにもかかわらず、実際に占いに使われるのはA、B、O、ABの四種類だけだから、人間四つに分けられて性格分析なんぞされてたまるものかと、私なんぞは頭から否定的であった。

 しかし先日「小さな悪魔の背中の窪み」(竹内久美子・動物行動学研究家、新潮社)を読んで、そんなに単純に断を下すのは少し早まっているのではないかと思うようになってきた。
 この本の題名の背中の窪みとは、託卵(たくらん、自分では巣作りせず他の鳥の巣に卵を産んで育てさせること)で有名なカッコウの雛鳥の背中にある小さな窪みのことである。孵化した雛は自分が生き残るためにこの小さな窪みを使って本来の鳥の卵を巣の外に押し出し木の下に落としてしまうのだそうである。
 つまりはこの背中の小さな窪みといえども、託卵を排除しようとする鳥とカッコウとの何万年か何十万年か知らないけれど、生き残りを賭けた遺伝子レベルでの壮絶な作戦の成果であるということである。

 著者はこの本の中で、血液型にはある特定の病気に対する抵抗力に大きな違いがあるとする各種の文献からのデータを示している。例えばA型は病気に弱く、O型は強いなどである。その強い弱いの程度は単なる傾向に止まらず、数学的検証を十分にクリアするものであるとする。
 様々な病原菌の中には原始時代から存在していて、いったん発生するととてつもなく強力な伝染病を引き起こし、場合によっては罹患した民族を根絶やしにするほどの力を持っているものも多く存在している。

 例えば結核、コレラ、梅毒などなど。これらの病気に罹患したとき、血液型によって症状の表われかたが違うのだという。

 もちろん現代のような治療法の確立している時代の話ではない。もっともっと大昔の呪術に頼るくらいしか治療法のなかった時代や為すすべなく隔離や安静による自然治癒を待つしかなかった頃の話である。

 例えばO型は梅毒に強い。なぜ強いかは疫学的にはいろいろ証明できるのだろうが、とにかく強いとする。つまり罹患しにくい、仮に罹患しても重篤になりにくい、または重篤になるにしてもそれまでの期間が長い、治癒力も高いなどである。そうした時、O型人間は梅毒が蔓延している状況下でもそれほど病気を恐れることなく活発な行動をとることができる。O型人間とて罹患した場合いずれその感染によって死を迎えることがあるかも知れないが、その可能性は他の血液型の人間からみるとかなり低いことになる。場合によってはかからない、軽症で治癒する場合だって多いだろう。

 そうした時、O型人間はそれほどその病気を恐れる必然性に乏しくなる。つまりは広く人に交わっても病気になる可能性が低いという意味において社交性を身につけていくことになり、そうした形質が結果として子や孫へ伝わっていくというのである。

 一方、そうした破滅的な伝染病に弱いA型人間はそんな生き方などできはしない。病気の発生は、そのまま我が身に伝染する可能性を意味し、罹患は同時にその病気による固体としての我が身の死であるからである。

 ではA型はどうしたら生き残れるのか。答えは一つである。ひたすら病原菌から逃げ出す以外にない。病気の情報を得た場合はもちろんのことそうでない場合であっても、病人との接触を避けるのがともかくも必須である。病人との非接触ばかりではない。例えばO型は罹患しても症状が軽いのだから、病原菌を持っているにもかかわらず健康人と同じような生活をしているかも知れない。

 そうした一見元気に見える人間との接触も避ける必要がある。種として我が子孫を残そうとするなら、それは必ず選択しなければならない行動である。
 かくしてA型人間は種の滅亡と言う危険を避けるために出不精になり、引っ込み思案となり、悲観的、そして人間嫌いとなる。それが我が種を残すための基本的な選択になるのだから。

 病気はなにも伝染病にかぎるものではない。必ずしも科学的に理解しているわけではないのだが、ガンなどのように体質(恐らくは遺伝と呼んでもいいだろう)が関係しているもの、生活習慣や食習慣など、自分の中に要素として存在してるものに大きく影響されるような病気もある。
 発症の恐れのない体質を持つ者は自信家(たとえ無意識にしろ)として生きていくことができるが、そうでない者は発症のリスクを自身に対する警戒という形で生活の中に取り込んでいかなければならない。

 自分の種を残すということは自分と同じ血液型の子孫を残すということでもある。自信家はそれほどの努力なしにそのまま自信家の遺伝子を持つ子孫を残せることになるし、危険を意識しなければ生き残れない者はその危機意識を後世に伝えることで種の保存を図ろうとする。
 さすればそのことこそが性格と呼べるのかも知れない。

 今朝の新聞に「なぜ恋におちる」と題して、「なぜ特定の人同士が惹かれ合い、恋人になるのか」を巡る特集記事が掲載されていた。その中に「動物はより免疫力の強い子孫を残すために免疫の型のなるべく違うタイプの異性を本能で選んでいる」、「人間も同じである」という生物学者の意見が引用されていた(19日、朝日)。

 なんだかこの血液型の話と似ているなと思ったら、まさに今読んでいる本の筆者の意見だった。だからそうした一人だけの説に傾注して物事を判断してしまうのは危険かも知れないが、テレビなどでしか知らないけれども適者生存を巡る研究や、オスが主導権を持つのかはたまたメスが選択権を有するのかはともかくとして子孫を残すために闘う多くの動物の姿などを見聞きするにつけ、人間も含む動物は種の保存そのものが生きていることの目的なのではないかと思わせられることさえある。

 血液型によって病気に対する抵抗力に大きな違いがあり、その上で血液型も含めた種としての自分を残すことが生きていることの使命だと考えるなら、血液型の違いが性格の違いとして現れてくる、つまり性格として遺伝していくとする考えも、あながち無視できないものがあるのかも知れない。
 さすれば私の持つ血液型も、先祖が生き残りを賭けた死に物狂いのサバイバルの結果であり、今ある性格もまたそれを引きずっているのだということになるのだろうか。

 このエッセイに引用したタイトル横の画像は、日本人の各血液型の構成比を示したものである。A型19%、B型24%、O型43%、AB型14%となっている。この割合を日本人の遺伝子レベルでのサバイバルの結果であると評価するなら、O型が一番生き残れる確率が高くAB型が一番ひ弱であるということになってしまうのだろうか。

 ところでお前の血液型は何かとお尋ねですか。それはともかく、今月の私の血液型による運勢はこんなふうに占なわれている。「弱気になり勝ちで競争は負けてしまいやすい。恋愛運ではアプローチを急ぎ過ぎて失敗する。相手の距離を縮める努力をしてから告白しましょう」。・・・・はてさて・・・・。



                          2007.1.19    佐々木利夫


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血液型とサバイバル