マイカーを手放したのは平成13年10月のことだから、もうかれこれ6年になる。気持ちの上ではまだ2〜3年しか経っていないような気がしているのだが、つい先日免許更新の案内葉書が届いたものだからあらためて調べてみてそんなにも以前のことだったのかと驚いてしまった。

 ところで免許の更新期間は通常3年なのだが、前回の更新時には優良ドライバーの資格があったことからゴールデン免許で5年の更新期間となり、それで今月の案内になったということである。ところで更新案内が来たということは5年前に更新の手続きをしたということだから、それと車を手放した6年前という事実を組み合わせてみると、前回の更新時には既に車を保有していなかったということになる。

 運転免許を持っていることとマイカーを保有していることとは必ずしも一致するとは限らないけれど、だからと言って片一方しかないというのもまた不自然であることに違いはない。
 恐らく免許証だけを残した理由というのはやはりどこかでもしかしたら再び運転する機会、もしくは運転が必要になる場面が出てくるのではないかとの思いがあったからだろう。

 場合によっては身分証明書代わりに免許証を使うと言う場面がないではない。ところで私は税理士の仕事をしているわけだし、税理士は税理士法で税理士会に登録しなければ業務ができないことになっている。私の場合は北海道税理士会に登録しているのだが、その証明として日本税理士会連合会から顔写真入の「税理士証票」というカードが交付されている。

 身分証明書は単にビデオレンタルの会員や図書館の貸し出し登録などに限らず、例えば郵便局で不在中に配達された荷物を受け取るとか銀行で新しく取引を開める場合の呈示など、けっこう重たい場面での利用も多い。ところがこの「税理士証票」は、顔写真付きで私が税理士であることをきちんと証明しているにもかかわらず、一般的な身分証明書としては多くの公的機関でほとんど認めてもらえないのである。

 「天下の税理士を何だと思ってるんだ」と息巻いてみたところで、相手にしてみれば信用力のある身分証明書と認められるのは内規のようなもので運転免許証であるとか健康保険証と定められており、なんなら受け取った手紙や葉書を数通持参することでもいいようなのだがこの証票ではダメだと言うのである。そんな場面でこの税理士証票の依って立つところや、いかに権威ある証票であるかを力説したところでダメなものはダメである。

 そうした意味ではマイカー所有の裏づけのない運転免許証であっても、事実上存在価値の高いことは否定のしようがない。
 だが数年前から制度化された「住民基本台帳」のシステムによって、顔写真入りでICチップの組みこまれた「住民基本台帳カード」(住基カード)が発行されることになった。折から電子立国などと称して鳴り物入りで国を挙げてのコンピュータ社会への挑戦があり、国税庁もe-taxと名づけたパソコンによる電子申告システムの構築が始まったことなどもあって、そうしたシステムに乗り遅れないためにも私もこの住基カードを持つことにした。

 このカードは国挙げての制度だからそれなり公信力があって十分に身分証明書としての機能を果たしてくれる。だから仮に税理士証票が身分証明書代わりにならないとしても運転免許証と住基カードの二つもの身分証明書を持つ必然性はないことになる。

 だから前回運転免許の更新をした背景には、矢張り運転する機会が再来するとの思いが強かったということであろう。だがそうした思いにもかかわらず、この更新案内が届くまでの5年間で車の運転が必要とされる事態の発生はまるでなかった。毎日毎日、事務所まで歩いて通うことで「歩く」ことそのものにすっかり馴れてしまい、通勤などの日常的に車を利用することなど思いもよらないものになってしまったのが大きな原因でもある。
 場合によっては長距離に使いたいなどの必要が出てきてもいいはずなのだが、あいにくと札幌以外の仕事先もなかったことや、これが原因としては一番大きいと思うのだが、このこじんまりしたひとりだけの大統領執務室で気ままにエッセイだの読書だのに囲まれていると、車の利用そのものの必然性がほとんどなくなってしまったことにもよる。

 もちろん退職の前後には、小さなキャンピングカーでもレンタルして気ままに四国や九州などの野宿旅に出てみたいなどと憧れたこともないではなかった。だが60歳そこそこでそれこそ毎日が日曜日みたいに隠遁じみた生活に入るのもいささか早過ぎると思ったし、それなり税理士としての仕事も続けたいと考え出すと悠々自適のキャンピング旅行など長期間を要する趣味の実現はけっこう難しいと言う現実もあった。

 ともあれ車を手放して以来、自分でも驚くぐらいにマイカーの必要性は感じない生活が続いてきた。そして同時にこんなことを思ったのである。
 運転していた頃はサラリーマンだったし、加えて通勤に使うことなどなかったものだから車の利用は週に一度が原則であった。しかもまじめに使うことで週一である。土曜日曜に運転以外の用事ができればその週は車を使わないことになる。そうすると次の運転まで一週間車を使わないということであり、一週間間隔が開くということは二週間運転しない期間が続くということでもある。そうしたとき半月もの運転しない空白があるということに、なんとなく運転することへの違和感というか億劫さが出たのを覚えている。

 さて、そうした半月程度休んだだけでも僅かにしろ生じた運転への億劫さである。これが5年、6年もの空白があるとなると、その億劫さも推して知るべしである。事実上ペーパードライバーそのものになってしまっているわけだから、運転再開にはもしかすると自動車学校へもう一度練習に通わなければならない程にも技術も反射神経も落ちているはずである。そうなると、自らが原因となる自動車事故の発生確率もまた極端に高くなる可能性がある。この歳になってつらつら考えてみると、今更交通事故で自分が怪我をしたり他人に怪我をさせたりするなどまっぴらご免である。

 実は更新案内の葉書がまだ手元に残っている。誕生日の前後一ヶ月が手続きの期間になっているから、都合2ヶ月以内に試験場か警察署へ出かければいいようである。手数料は2,800円であり、更新内容も70歳を超えた場合の実地練習や高齢者講習にはまだ多少間があることだし、しかもこの間車を持っていなかったのだから違反点数もゼロということになる。したがって当面30分の講習だけでゴールデン免許の継続が可能ということになる。つまりはそれだけの手間で更にもう5年間免許が生き残ることになる。

 まるっきり未練がないというわけではないけれど、46歳の50cc原付バイクに始まった免許もマイカー2台を乗りつぶして20年余、十分に堪能したし楽しませてもくれた。北海道内は釧路、稚内、襟裳岬、函館と縦横に回ったし、フェリーで本州にも渡って東北を始め岐阜や富山や野麦峠まで飛び回ったのだから、これはまさに感謝の証明書でもある。

 未熟運転で車こすったり、スピード違反で停められたりしたこともあったけれど、お陰で人身事故だけは皆無だった。キャンピングカーの夢は、マイカーの車内で野宿しながら旅をしたことが影響しているのだろう。その夢はまだ少し残っているし、年齢的にはまだまだ運転ができるだろう。仲間のほとんどが今でも車を運転しているのだからそんなにあわてて手放す必要もないとは思うのだが、車なしの期間を6年も続けてみると、車のないことにそれほどの不自由さを感じなくなっていることに気づくし、逆にそのことが歩くことの意味を教えてくれてもいるのだと感じることもできる。

 更新だけしておいてこれから5年間ペーパードライバーを続けることも考えないではないのだが、人はどこかで割り切ることが必要だし、何かの本で「老人の特徴の一つは捨てられないことだ」と読んだこともある。身辺整理の必要な時期が近づきつつあるのだと少しずつ思えるようになってきている。
 高齢者ドライバーが高速道路を逆走して死傷事件を起こしたとの報道を最近何件も読んだ。認知症が原因らしいと書いてあったが、一番気になったのが高齢者本人に運転能力の落ちている自覚のないことであった。そうなる前に私もまた、この更新案内を契機として自動車運転から足を洗うことにしようか。

 ところで自動車の運転はこれでけりがつくだろう。だが、「捨てきれぬ 荷物の重さ まえうしろ」(山頭火)じゃないけれどそれでもまだ悩みが残らないわけではない。自宅の書棚に鎮座している千数百冊もの本の始末である。ほとんどが思い出のしがらみに囲まれているだけで、これから読み返す機会など恐らくあるまいこの蔵書の始末が、私のこれからの、とんでもなく重い課題として迫ってきているのである。



                          2007.12.18    佐々木利夫


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