こんな言葉を使うと年齢そのままのオヤジ丸出しになってしまうかも知れないけれど、一昔以上も前に「バックシャン」という言葉の流行ったことがある。
 女性の後姿がとても美人に見えるので、密かに早足で追い越し何気なさを装って振り返ってみてがっかりするという程度の意味である。

 この歳になってみれば今更美女を追い越そうとする気力も体力もなくなってきているので、後姿だけに満足してはいるのだが、毎日歩いていると素敵だなと思える後姿はそれなり見つかることが多い。その原因の一つには私の歩き方が遅くなってきていて、そのせいで結果的に他人の後姿を見る機会が多くなってきていることにあるのかも知れないのだが・・・。

 ところでしばらく前から気になっていることに、そうした美人の後姿からなんと片腕が消え出しているのがある。前を行く若い女性の多くから右腕がなくなっているのである。
 これはもちろん女性に限るのではないのだが、そもそも若い女性以外にはなかなか目が向かないという私の男としての特性がそうさせているのであろうことは当然である。

 原因は携帯電話にある。つまり多くの人が携帯を使いながら歩いているのである。電話を受けるとき、右耳で受けるかそれとも左耳を使うかはそれぞれその人の癖によるのかも知れない。

 右利き、左利きに関しては、エスカレーターへの第一歩目は右足か左足か、トイレで尻を拭くのはどっちの手かなどなと゜、どうでもいいような調査も数多くあるようだが、私の例で言えば電話は左手で受話器を持ち左耳で聞くことが多いような気がする。
 それは恐らく固定電話の時代から、右利きの私としては電話を受けながら右手でメモをとる癖がついているからなのだろうし、受話器を持ちながら右手でダイヤルする必要からもそうなっているのだろう。

 私のそうした傾向を世の若い女性の代表として例示するのはふさわしくないとは思うけれど、まあ世の中右利きが多いという前提を置くとするならば左手で受話器を持つ人が多いのではないだろうか。そうしてそうした癖が携帯電話にも引き継がれていくのだとすれば、左手で携帯を持ち左耳で話を聞くというスタイルが一般的になるということは、当たらずとも遠からずということではないだろうか。

 にもかかわらず道行く多くの女性の後姿から右腕が消えているのである。つまり後ろを歩く我々からは女性の右腕が見えないのである。答えははっきりしている。右手が使われているからである。
 メールを打つにしろ、着信メールをチェックするにしろ、はたまたゲームに興じるにしろ、右利きの人は右手を使っているからである。歩きながらゲームをしている人は少ないかも知れないけれど、メールのせいで右手が消えてしまっているのである。

 友人に尋ねたら会話の時も右手を使うというのである。もしかしたら固定電話と違い会話しながらメモをとるという必要がなくなってきているからなのかも知れない。

 入浴中でも使える防水携帯が発売されるという。「入浴中や炊事中にも電話やメールができます」が売りのようだが、これも一昔前に防水時計が流行っていたころ、これ見よがしに腕にはめたまま銭湯や温泉に漬かっている姿を見た時のように、どこかしっくりこないものを感じる。

 それだけ携帯電話が生活の中に浸透してきていることを意味しているのかも知れないけれど、逆に言えばそれだけ携帯電話に振り回されている、いや、携帯に拘束される人が多くなっていることを示しているのかも知れない。

 「携帯無しでは生きていけない」などと真剣に話す若者が増えてきている。携帯依存症などともっともらしい名前がつけられているが、名前だけ聞いていると「携帯=麻薬」のような気さえしてくる。

 携帯電話は既に電話からは遠く離れてしまった。カメラやメールやテレビや決済などの機能が付加されてきたというのではなく、まったく別のマシーンに変化を遂げていこうとしている。それは別のマシーンと言うよりは、社会は我々が作り上げ育ててきた進化の道筋からまったく外れたとんでもないモンスターを作り上げてしまったのかも知れない。

 しかもそのモンスターの台数はPHSと呼ぶ簡易な携帯も含めると先月で一億台を超えたという(朝日新聞2月8日)。この台数は国民全体の78.5%の普及率になるのだそうだから、言ってみれば国民全員が持っていると言ってもいいほどだろう。

 買い替え需要もあるだろうから携帯事業はこれからも続いていくだろうが、それにしても国民全部と言ってもいいほどの人たちが、こぞって片腕をなくそうとしてるのはどこか変である。
 これはもう、「どこか変じゃないだろうか」をあっさりと超えて恐怖であり、もしかしたら我々はとんでもない誤ちを犯しているのではないかとさえ思いたくなってくるのは、携帯嫌いの老税理士の単なる思い過ごしなのだろうか。



                          2007.2.10    佐々木利夫


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右腕のない女たち