毎朝事務所までの片道4q少々を5千歩50分近くかけて歩いていることは、すでに何度もここへ書いた。事務所を開設して既に9年半になるが、最初はバスやJRや地下鉄などを利用していたもののここ6年くらいはよっぽどの悪天候か飲み会などで歩くのが面倒になるとき以外は帰りも歩いている。
自宅から事務所までのルートはそれこそ道路の数だけ様々あるけれど、毎日のことなのでなるべく最短距離を狙い、同時に足止めを食らう恐れのある交通信号の数も最小になるように選択してしまうのは、ウオーキングで健康管理にも配慮しているという思惑とはいささか矛盾するような気のしないでもないが、そこはそれなんとも感じていないところが身勝手の身勝手たる所以かも知れない。
ルート選択は気まぐれではあるけれど、そうした中で比較的定番コースになっているのがJRに沿って歩くルートである。なにしろ我が家はJR発寒(はっさむ)駅の目の前にあり、線路に沿うこのルートが交差点も少なく交通信号も一番少ないからである。
さてこの道は発寒駅から途中の発寒中央駅を経て琴似駅まで鉄路に添って続いているのであるが、道々には街路樹ナナカマドが植えられている。そしてその本数はつい先日気まぐれに数えてみたらなんと全部で142本もあった。
この本数は道の左側だけのもので、右側に植えられているものも加えると更に多くなる。右側に街路樹の植樹はないのだが、私自身の住いも含めて札幌も他の都市と同様JRや地下鉄の駅界隈を中心にマンションがどんどん増えていっている。そしてこの線路に沿う道路にはナナカマドが植えられていることから、それに引きずられてしまうのか新しいマンションの周りのほか、戸建て民家の庭先などにもナナカマドの植えられることが多いようだ。
だから街路樹としては道の左側だけにしかないにもかかわらず、その街路樹に触発されたかのようにナナカマドは道の右側にも点在するという状況になっている。
その左に並ぶ街路樹の62本目から私の通勤経路は右手へと折れる。曲がらずにまっすぐ進み琴似駅から直角に右折しても事務所へ着くことはできるのだが、発寒中央駅を少し過ぎた62本目のナナカマドから右折すると事務所近くまでの斜め道路を利用することができるのである。
「三角形の二辺の和は他の辺よりも長い」は幾何学の第一歩みたいな定理だし、このことを「数学で実生活に応用できたのは回り道よりも直線のほうが近いということだけだった」と菊池寛が皮肉交じりにエッセイか小説か分からないけれど何かに書いていたことをふと思い出す。
単純に言えば我が家、琴似駅、事務所の三点を結ぶ図形は、琴似駅を直角とした直角三角形である。残念ながら我が家から事務所へダイレクトに向かう斜め道路は存在しないので、そうしたルートを選択することは不可能である。
ところが琴似駅の少し手前を流れる琴似発寒川はこの直角三角形の斜辺に並行するように流れており、そしてその川沿いに発展したのが発寒地区なのである。つまり発寒地区の道路や住宅などはもともとこの川に沿った区画になっていたのである。
まあ言ってみれば、本来あった川に沿った区画の街にそうした地形を考慮することなく斜めの鉄路を北海道開拓の最初の鉄道として小樽〜札幌ルートを無理やり作ったということでもあろうか。だからこの発寒という街は線路に沿う道と川沿いを基本とした斜めの道とが混在する地区になっているのである。そして川沿いの地形は発寒全体を基本的に支配し、鉄路に沿った道もまた山側を走る小樽方面への国道にまで広く及んでいるのである。
そして当然にそうした道々には道を作る上での常道とも言える直角の道路がそれぞれ交差することになるから、この発寒地区は四角い升目の碁盤とそれを45度傾けた碁盤とを重ね合わせたように縦横斜めの道路が複雑に絡み合い、それに数区画にまたがる私有地や公園だの学校だの病院などの存在がその複雑さに更に拍車をかけている。
だから発寒地区は住居表示がとても分かりにくくなっているのである。もちろんこうした道路の二重構造のお陰もあってJR沿いの道もナナカマド62本目から川沿いの道へとルート変更することができ、我が事務所への近道になっているのではあるが。
さて10月も末である。季節は既に晩秋から初冬へと向かっている。つい数日前、歩きながら雪虫の漂いを見ることができた。既に北海道の各地から初雪の便りが聞こえてきているし、札幌の初雪の平年は10月27日だと天気予報は知らせていたから、このエッセイを発表する予定の29日には札幌にも雪の便りが届いているかも知れない。
街路樹のナナカマドも今を盛りに色づいていて、実と葉の見分けがつかないほどにも真っ赤に燃え上がっている。毎日の景色をそれほどしっかり眺めながら歩いているわけではないから特別そう感じるのかも知れないけれど、遠く山々も突然とでも言うように色づき始めている。初雪を合図にそうした彩りはあっと言う間に灰色に変ってしまうのだろうが、青空に映える山肌の錦模様は歩くことをも楽しませてくれているようである。
ナナカマドの葉も間もなく散り始めるだろう。それでも赤い実だけはしっかりと裸の枝にしがみついていることだろう。この実は渡り鳥「ぎんざんましこ」の餌になっているという話を、同じようにナナカマドの街路樹が多かった旭川に勤務したときに聞いたことがある。実際に枝にまとわりつく鳥の姿を見たこともあるけれど、札幌ではそうした姿を見かけることは少ないような気がしている。
赤い実には間もなく雪が降り積もることになるだろう。そして支えきれなくなった枝はその実を路上の雪へと散らす。その上を私は少し前かがみになり、時に陽光に目を細めて枝の雪を見上げながら歩くことになるだろう。そんな季節が間もなくやってくる・・・。そしてやがて葉が茂り、白い粉雪のような花がアスファルトに降りかかる夏の季節も・・・。
2007.10.25 佐々木利夫
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