聖書がそれだけ浸透しているからなのかも知れないけれど、私の知識としての神話などにおける人類の発祥はアダムとイヴから始まる。日本でも古事記などの伝承文学は存在しているが、なぜか天地開闢(かいびゃく)と同時にイザナミとイザナギの男女二柱が存在しており、日本の国土そのものの国産みの説明はあるけれど人類や男女の発祥についての説明は必ずしも明らかではないような気がしている。

 アダムとイヴの物語は、神は最初男であるアダムを塵から創ったことになっている。そしてそのアダムのあばら骨から女性であるイヴが創られる。つまり男が一人創られ、次いで男の一部分を利用して女が一人創られたことになっているのである(旧約聖書、創世記第2章)。

 ところでギリシャ神話での人類誕生の物語はこれとはまったく異なっている。オリンポスに神々が最初から存在しているのは他の神話と似ているのであるが、そのほかに例えば巨人族など、人類以外の生物もまた地上に満ちているのである。

 ギリシャ神話で人類を創りだしたのはこの巨人族のひとりであるプロメテウスである。なぜプロメテウスが人類を創りだす必要があったかについては、鳥や魚や四足の獣以外に「もっと高等な動物が必要だった」としか説明されていない(ブルフィンチ著、野上彌生子訳、「ギリシャ・ローマ神話」、岩波少年文庫、昭和30年刊、P27。以下物語の要旨はこの著作による)。

 ところでプロメテウスは土をこねて人類を創るのだが、なぜか創った人間の全部が男なのである。つまりギリシャ神話によれば人類は「男のみの集団」としてこの世に誕生したことになっているのである。このことはこれから話すパンドラの誕生によって分かる。
 ところでプロメテウスは弟エピメテウスとともに人間(男)や様々な動物を創りだすのであるが、生きていくうえで必要な様々な能力を彼等は最初に創りだした人間以外の動物にすっかり分け与えてしまったがために、人間に与えるものがなくなってしまったというのである。

 つまりは人間は最初から祝福されるものが一つも与えられないみすぼらしい形で生まれてきたということでもあろうか。日本神話のイザナミは火の神を産んで死んでしまったけれど、プロメテウスはあろうことか天から「火」を盗み、それを人間に与えようと考えついたのである。プロメテウスは女神アテナの助けを借りて天へとのぼり、太陽の火の車からたいまつに火を移しとったのである。

 「火」は人類への最強の贈り物になった。火を手に入れた人間はあっと言う間に様々な動物の頂点に立つ存在になった。二足歩行の動物として始めて頭を地面ではなく正面、更には天をも眺めることのできる形態として創られた人類は、火を手に入れたことで武器を作り道具を通じて様々な技術を学び多くの知識を身につけることになった。
 だが火を盗まれた神々の怒りは強かった。神は盗んだプロメテウスをコーカサスの山の岩に鎖で縛りつけてハゲタカに肝臓を食わせ、しかもその肝臓をすぐに再生させて永劫にこれを繰り返させるという苛酷な罰を与えた。しかもそればかりではなく、火を与えられた人間にも罰を与えることにしたのである。

 どんな罰を与えるべきか、神は悩んだに違いない。そして神々の頂点に立つゼウスは現代にも通じる最も効果的な罰を見つけ出した。「女」である。ゼウスは人類最初の女性を罰として人々へ与えることにしたのである。パンドラの誕生である。
 人類最初の女性パンドラの目的は男集団である人類への罰であった。そしてパンドラは決して開けてはならぬと宣告された一つの箱を持たせられて地上へ降り立った。

 ところで神はパンドラに「開けてはならぬ箱」のほかにもう一つ「好奇心」を持たせることとした。人類最初の女性は、決して男を迷わせるための手段として送られてきたのではなかった。「開けてはならぬ箱」を開けさせることこそがパンドラに与えられたゼウスからの使命であり、そのことこそが許可なく火を得た人類への神々の報復だったのである。

 後は時限爆弾の秒読みを待つばかりである。箱はパンドラが持たされた好奇心と名づけられた鍵を使うことでたやすく開くことができた。そしてその箱の中にはあらゆる災厄、苦しみや妬みや恨みや復讐の種などが潜んでいた。開かれた箱からは世界中へそれら災厄の種がばらまかれ広まっていった。

 ところでここで改めてパンドラのとった行動を再現してみよう。彼女は確かにこの箱を開けてしまった。その経緯を前掲書でブルフィンチはこんな風に語っている。

 「パンドラは大急ぎでフタを閉めましたが、残念ながら箱の中のものは、もうすっかり逃げていました。ただ、箱の一番底に、まだたった一つだけ残っていたものがありました。それは、「希望」でした。いまにいたるまで、わたくしたちが、どんな災いにあっても、希望だけが決して私たちを見捨てないわけが、これでわかるでしょう」(前掲書P29)

 良くできた話だとは思うのだが、パンドラが開けるまで様々な災厄は箱の中に閉じ込められていたことでその能力を封じられていたのである。そして箱が開けられたことでそうした災厄が力を発揮すべく世界に広まったのである。つまり災厄は箱を閉じておくことでその働きを封じ込めておくことができたということである。箱を開けたパンドラは大急ぎでそのフタを閉めた。その閉められた箱の中には最後の望みともいうべき「希望」が残っていたのである。その希望を残したままパンドラはその箱を閉めてしまったのである。箱が開かれるまで、災厄と同時に希望もまた箱の中に閉じ込められてその能力を発揮できないでいたはずである。

 そして、「開けるな」との神の命に背いてあらゆる災厄をばらまいてしまったパンドラは、そのあまりの罪深さにおののき、二度とその箱を開けることはなかったはずである。

 パンドラは箱に一つだけ残されたのが「希望」であることを知ったのだから、あわててふたを閉じる必要などなかったのである。既に「希望」を除くあらゆる災厄は世界中へと放たれてしまっている。だとするなら残されたパンドラの使命は箱に残る最後の種をも箱から解放して世界中に広めることだったのである。それが神の「開けるな」の命令だったのである。にもかかわらず、パンドラはたった一つの希望の種を残したままで箱のふたを永劫に閉じてしまったのである。

 パンドラに与えた神の命令は箱を開けるな」であったけれど、そのことは同時に「開けよ」との命令でもあった。箱の中には災厄と同時に希望も入っていたのだから、神は人間に罰として様々な災厄を与えると同時に希望という形での牢獄の鍵をも渡すつもりだったのである。
 パンドラの犯した罪は箱を開けたことではない。好奇心をも与えたということは、開けることそのものを神がパンドラに命じた使命だったのだから。
 そうである。パンドラの罪はあまりにも急いで箱のフタを閉めたことにある。「希望」が箱の底に残っていることを知っていながらそれを閉じ込めたままフタを閉じてしまったことである。

 かくして人類はパンドラの中途半端な行動のために災厄だけを受け取るはめになってしまった。そして「希望」はまだ、パンドラの持つ箱の中に今もって閉じ込められたままになっている。

 戦争、テロ、貧困、暴力、原爆、環境破壊・・・・、今日(7.31)のニュースはアフガニスタンの反政府勢力「タリバン」が韓国人グループ二十数名を拉致した事件で、二人目が殺害されたと伝えていた。「希望」を封じ込めてしまったパンドラの罪は重い。

 それとも神はパンドラが希望だけを閉じ込めたまま箱を閉じてしまうことを始めから予見していたのだろうか。そして「希望を与えないこと」、これこそが盗んだ火を使って傲慢になりつつある人類へ与えた究極の報復たる罰だったのだろうか。



                          2007.7.31    佐々木利夫


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パンドラの犯した罪