さそり座は夏の星座である。理屈としては冬でも早朝の南の空に見えるはずなのだが、そんな時間帯に空を眺めるようなチャンスは少ないことや、白みかけた冬の寒空に星を探そうとする意思そのものが望むべくもないので結果的に夏の星座ということになりがちである。北極星やそのすぐ近くを回る大熊座やカシオペア座などのように年を通して見える星座ではないし、そもそも地平線に近いところを通るので意識して探さないと見つからない星座でもある。ましてや地平線などと無関係でしかも街灯の明かりのまばゆい都市に住んでいては、さそり座の全容を眺めることなど至難である。そのさそり座を構成する星々のなかで一番明るく目立つのがアンタレスである。

 私が最初にさそり座を知識としてではなく現実の星座としてぶつかったのは、夏の襟裳岬に立ったときであった。それはまさに不意打ちであった。帯広に単身赴任していて90ccのオートバイを手に入れたのを機会に襟裳岬に一泊しようと思ったのがそのチャンスに恵まれたきっかけになった。

 そんなに遅い時間ではなかった。近くの民宿での夕食を終えて寝る前に夜の襟裳岬を見たいと、岬までバイクを走らせたのである。襟裳岬は北海道の南の先っぽに位置し、断崖からの海辺は真っ直ぐに南天に向かって開いている。その断崖からは昼間ならば日高山脈がそのまま海中へと没していくかのように点々と岩礁が続いているのを眺めることができる。ただそのときは真っ暗な中で灯台だけが回転する光を虚空の中へと投げかけていた。

 折りよく晴天であった。真正面どころか全天含めて水平線まで星が輝いていた。そんなたくさんの星のなかに赤い星が真正面に見えた。
 北天の北斗七星やカシオペアなら普段から見慣れているが南天の星座は通勤の帰途の背中を押すように真冬に高く輝くオリオン以外はあんまり見る機会がない。だが襟裳岬から望む真っ暗な太平洋には赤い星を真ん中にした大きなS字型が迫っていた。大きかった。真正面全部を占めるくらい大きなSの字だった。

 赤い星とSに並んだ星座は見まごうことなきさそり座であった。そのあまりの大きさに思わず息を飲んだ。言葉はなかった。畏れ(おそれ)という語はこういうときの感情を示すためにあるのではないかと思った。人は言葉で気持ちを伝えることができる思い込んでいる。だがそうした言葉で表すことのいかに不確かなことか。私は無言のまま打ち寄せる波濤を遠雷のように聞きながら立ちすくんでいた。

 ギリシャ神話はこの星座を神々がオリオンを倒すために遣わした毒さそりだと伝えている。オリオンは日頃から「天下に自分ほど強いものはない」と豪語してはばからなかった。その傲慢な態度がオリンポスの神々の耳に入り、そのオリオンを懲らしめるために女神ヘラは毒さそりを放った。刺されたオリオンは息絶え、その功績によってさそりは星になった。一方倒されたオリオンも、好意を寄せていたアルテミスの願いで星になったのだという。ただ今でもオリオンはこのさそりを恐れて逃げ回り、同じ天に同時に顔を出すことはない。

 このさそり座のあたかも心臓を示すかのような位置にあるのが赤い星アンタレスである。アンタレスの由来はアンチ・アレス、つまりアレスに対抗するものと聞いた。アレスとはゼウスとヘラの息子である。アレスはギリシャ神話での名称でローマ神話ではマルス(英語読みではマーズ)であり、火星につけられた名前である。星々の海を漂う惑星の中で赤い火星はひときわ目立つ星である。

 赤は血の色を連想させるのだろうか。古来から火星は不吉、戦乱、不幸、災厄などの象徴とされていた。軍神アレスもそうしたことの延長にあるのだろうが、そのアレスに敵対する星と名づけられたさそり座のアンタレスを星空の神話を作り上げた人々はどんな思いで見つめたのだろうか。

 そのアンタレスの赤が、まるで生きて脈打つさそりの心臓そのものでもあるかのように襟裳岬の中天からにらみつけるように私を見下ろしていた。

 さそりは密かに思う。この身は確かにオリオンをしとめたと確信している。にもかかわらず倒されたオリオンの姿は燦然と天に輝いている。それは討ちもらしたのと同じことではないか。何としてももう一度倒さなければならない。オリオンを討つことに対する飽くなき執念、それこそが残されたこの身に対する使命である。だがしかし、永劫に追いつくことのできない無念の思いは低く赤くそして鈍い光を瞬かせ続け、永劫の夜空を駆け巡っている。



                          2007.7.19    佐々木利夫


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アンタレスの赤