振り替え休日が頻繁に表われるようになって、秋分の日などもイメージとしては国民の祝日として定着しているから明日の24日がそうなのかと思ってしまうけれど、本当は今日23日が本物である。自力では計算できないのだが、秋分の日とは「地球が秋分点を通過する瞬間を含む日」だから、理論的には太陽の通り道(黄道)と地球の赤道を天まで延ばした天の赤道との交点として天文学的に計算されることになる。だから本来的にはその日が日曜日だから翌日に振替えるというようなイメージにはそぐわないと思うのだが、まあそんなに目くじらたてて批判することもあるまい。

 一番分かり易いのは春分の日と同様に、「昼と夜の時間が同じ」という理解であろう。黄道と天の赤道との交点を示すという定義からするなら、それはある特定の瞬間であって今日であるとか明日であるとかの巾を持った日付を示すものではない。

 とは言っても例え分秒の単位にしろ明日からは夜の時間の方が長くなることに違いはない。だが、だからといって今日が「昼と夜が同じ」であるとは限らない。正確な結果を調べたわけではないのだが、今日の日の出から日没までの時間が正確に12時間なのかと考えるなら、むしろ僅かにしろ今日の方が昼が長く、明日から逆転するのだと理解した方がいいだろう。

 さて、そんなことを考えながら歩いていて、ふと秋分の日を「光の勝利最後の日」と表現した人がいたことを思い出した。誰だったろうと事務所への道々考えたのだが、何かの本で読んだような気はするものの、さて誰のなんと言う本だったかなんてことはまるで浮かんでこない。

 だいたいがそれほど感動を与えるような警句や箴言ではない。哲学的であるとか文芸の薫り高い文章、はたまた人生を考えさせるようなフレーズなら、場合によっては私の読書カードにメモしてあるはずである。だがこれは、単に明日からは夜の時間の方が長くなると言うただそれだけの文章だし、少し感心して記憶に残った程度のものでメモして残したいと思うようなフレーズではないから、どうやら記憶だけが頼りと言うことだろう。

 夏目漱石の小説「草枕」の出だし「山道を登りながら、こう考えた・・・」ではないが、歩きながら考えると時に古い記憶が甦ってくることもある。事務所までの約50分、MDウォークマンのイヤホーンを耳にはめながら、「今日は秋分の日」、「光の勝利最後の日」などと頭の中で反芻してみる。それでもなかなか思い出すことはできそうにない。
 それはそうだろう。どちらかと言えば他愛ない思いつきのようなフレーズだし、そのフレーズに特別な意味の込められているような言葉でもない。

 だが事務所までもう少しのところでとふと閃いたものがある。記憶なんてのはそんなものかも知れない。「光の勝利最後の日」のフレーズに作者のイメージが含まれているほどの特徴ある文章だとも思えないのだが、ふと「三太郎の日記」が引っかかった。

 「三太郎の日記」とは阿部次郎の哲学的著作である。高校3年生の時に青臭い哲学青年気取りで読みふけった記憶がある。そしてそれは同時にこんな風に言っちまったら自分に情けなくなってしまうけれど、消化不良どころかまるで理解できずに石ころでも飲み込んだような途方もない挫折の記憶としての三太郎の日記でもある。

 「三太郎の日記」については既に以前にその思い出を書いたことがある(別稿「17歳の一冊」参照)。だが高校時代に買った「合本三太郎の日記」を書棚の奥から埃にまみれていたのを引っ張り出してはきたけれど、深く読むこともなくパラパラとめくった程度である。つまりは高校三年生以来、この本の中味に触れたことはないのである。しかも三太郎の日記の文章は全編とてつもなく思索的である。そんな中にこんなあっさりとしたフレーズがあっただろうか。

 もちろんこの本は今では表紙もすでにぼろぼろになってはいるけれど、赤鉛筆がいたるところにひかれ、感想じみた私の意見も書き込んである。また理解できない熟語には余白にどこかの辞書からの引用文が下手な字で書き込まれているからそれなりまじめに読書に取り組んだことは分かる。

 ここまで来た以上なんとかこのフレーズを探し出さずにおくものか、と変に意地になっている自分を感じる。さいわい「17歳の一冊」を書いた時に自宅から探し出した「合本三太郎の日記」は事務所の書棚に置いたままになっている。

 とは言うもののこれはとてつもない作業である。440頁にも及ぶ難解な論文集の中から、特別な意味を持っているとも思えない「光の勝利最後の日」というたった数語の文字列を探し出すことなど気の遠くなるような作業である。しかも恐らくこのフレーズには赤鉛筆など引いていないだろうから、まさに1ページ目からの無手勝流の挑戦と言うことになる。

 しかも私の不確かな記憶だけが根拠であって、この本の中に必ずあるという保証はない。ページを繰っていくいく内にどうも右側のページの真ん中から少し右よりの上のほうにあったような気がしてきたが、とてつもなく無責任な記憶である。そんな記憶を頼りにして見逃してしまったら結果としてこのフレーズは見つからなくなってしまうのだから、そんな曖昧な記憶に振り回されることなく地道に探していくことにしよう。

 読むのではなく、ひたすらこのフレーズを探すだけの作業である。そのうちにどうしても本の中へと入り込みそうになる。赤鉛筆にも目が行くし、余白への稚拙な書き込みや分からない熟語の辞書からの引用文などにもついつい心が引かれる。それをページの省略なしにやろうというのだから目的とする作業は遅々として進まない。

 50、100、200・・・、ゆっくりながらページは進んでいくものの依然としてミッシングである。つくづくパソコンの文字列検索ってのは便利な機能だなと思えるようになり、だんだんと目線による検索に自信がなくなってくる。もしかしたらこのフレーズは違う著者の違う本からのものかも知れないし、テレビか映画などでたまたま聞いたせりふの一部かも知れない。そしてとんでもない自惚れになるかも知れないが、場合によっては私が勝手にひねり出したオリジナルフレーズなのかも知れないではないか。
 だが三太郎の日記の捜索はまだ中途である。思いついたからには最後まで付き合うのが男の意地ってもんである。少なくとも最後のページまでは諦めず付き合うことにしよう。

 やぁやぁ、苦労した。見つけることができたのである。私の記憶は正確だったのである。右側のページの真ん中よりも少し右の上という記憶はまったくの誤りだったけれど、とうとう見つかったのである。間違いなく三太郎の日記の中にこのフレーズはあったのである。
 それはこんな風に書かれていた。

 「九月二十三日。
  彼岸の中日だ。
光の勝利の最後の日だ。之から物の影が次第に薄らいで暗が段々長くなろうといふ日だ。力のない日光が躊躇ふ様に庭の木立を照している。かじけた青桐の葉が時々思い出した様に身慄ひする。風はちっとも吹かない。
  例の暗い影が今日も朝から心の底に蠢いて居る。」(合本三太郎の日記、P365)。


 明治41年に書かれた「親友」と題された日記風の著作の文章で、この本の付録と題された部分に収録されていた。こうして読み返してみても終わりの行の「暗い影」は多少気にかかるけれど、特に印象に残るような内容ではない。
 だからどうして読んだときから50年近く経っているにもかかわらずこのフレーズが私の記憶の中に残っていたのかまるで見当もつかない。もちろん赤線などこの文章のどこにも引かれてはいない。

 それにもかかわらず私の記憶の中にこのフレーズは50年ものあいだ沈黙したまま生き残っていたのである。熱心に読んだ三太郎の日記だったし、部分的には何度か読み返した箇所もあっただろう。だがこのフレーズ部分は繰り返し読むような所ではない。チラリと読んでこのフレーズに少しは気を止めたのだろうけれど、恐らくそれだけのことだったはずである。そんな記憶が不意に浮き上がってきた。

 人の記憶とは時になんと複雑なものだろうと思う。人は恐らく忘れることを身の裡にシステムとして保有していることだろう。忘れることなしに人は生きていくことすらできないと言っていいかも知れない。そして記憶とは人が生き残るために必要とされる様々な要素の凝縮だと言っていいのかも知れない。
 にもかかわらずこのフレーズに対する私の記憶のありようは、そうした必要性や必然性とはまるで縁がないように思える。

 でも私はこうした無駄とも言えるような、時に記憶のお遊びのようないたづらに、ふと嬉しくなってしまうのである。
 まあ、うまい具合に思ったとおりに昔の記憶が見つかったことへの嬉しさもあっただろうけれど、記憶の不思議さなんて大げさなものではなくちょっとした記憶のいたずらみたいな働きに、生きていくこととは決して必要だとか義務だとか必然みたいな要素からばかり構成されているのではなく、もっと幅広くゆったりとしたものなのではないかと思ったのである。

 だから今日は特別にいい日なのである。



                          2007.9.23    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



秋分の日と三太郎の日記