今年も台風がやってきた。9月6日の夜に小田原付近に上陸した台風9号は、そのまま関東・東北をまさに縦断し函館から札幌を経てオホーツク海へと抜けた。速度が遅かったこともあって各地の交通機関へ、そして河川の氾濫や農作物などへと大きな被害を与えた。
 北海道に上陸したのは二日後の8日早朝だったが、上陸して間もなく熱帯低気圧に沈静化したこともあって被害は比較的少なかった。だが日本の中心は東京だから、東京直撃のこの台風情報はNHKのみならず民放まで巻き込んでの一大ニュースになった。

 そうした報道の中でなんだか気になった映像があった。それは電車の遅延証明書をもらうために並んでいる通勤客の行列である。東京直撃は夜半過ぎだったけれどその影響は翌日の昼頃まで続いたから、新幹線をはじめ多くの私鉄、JR在来線などが終日にしろ臨時にしろ運休に追い込まれたケースが多かったし、どうにか運行した電車でも大幅に遅れの出たケースが続出した。

 そうした各駅の運休や混雑状況などを現場から中継するアナウンサーの解説の中に、「電車が遅れ、その遅延証明書をもらう人の行列ができています」とのメッセージがあった。そして現に行列が映されていた。

 その風景に私は、「並んで証明書もらうくらいなら、早く会社へ行けよ」と思ってしまったのである。電車は台風の影響で遅れて着いたのである。そのことは同時に会社の出勤時刻か会議の時刻に遅れることを意味している。だからこそ「遅れたことの証明が必要なのだ」と行列の人は言うかも知れない。

 だがあんまりニュースにならないような、例えば電車の中で病人が出てその搬送などのために乗っている電車を含む数本が遅れたというのなら、その遅れた事実はその交通機関の関係者とその電車の乗客しか知らないことが多いだろうから、その事実を客観的に第三者に知らせる意味での遅延証明書の発行は意味があるかもしれない。

 だがことは全国民と言ってもいいほど関心事の台風である。しかもその事実は時々刻々、今回の場合は夜を徹してのテレビ報道が続いているのだから公知の事実と言っていいほどの明らかな事実である。いやいやテレビを見なくたって現に外は大雨であり嵐であり、通勤する社員のほとんどが影響を受けているはずである。。

 遅延証明書はその遅れた交通機関に乗っていた人の記念として発行されるものではない。遅延したことを乗客以外の第三者に証明するためのものである。

 なかなかそうした場合が考えつかないのだが、電車などの遅延が何かの公的または法的な期限などに間に合わなかったことの正当な理由になることがないとは言えないかも知れない。ただそんなことを言っちまったら、タクシーが事故で遅れたことも、停電や祭りなどの行事で起きた交通渋滞も、なんなら救急車が通ったために停車しなければならなかった場合、道端で石に蹴つまずいて怪我をしたことなどなど、必要な時刻までに必要な場所に着けなかった原因などは山のようにあるだろう。しかも多くの場合遅延証明書などの発行など始めから無理なケースの方がずっと多い。

 だとするならこの証明書の目的は、例えば出勤時間に遅れたことで遅刻欠勤として給料の一部を減額されるとか、場合によっては人事考課の材料として不利益を受けそうな場合の防止材料として利用することなどが考えられる。恐らくはこの証明書の目的はそうしたところにあるのではないだろうか。

 だとするなら、この証明書を貰うべく並んでいる全員の所属する官庁か企業は、そうした証明書の添付がなければ本人の責めに帰すことのできない理由で遅刻したとしても、その言い訳は一切認めないというシステムを持っているということになる。

 私は長いサラリーマン生活で遅延証明書を貰わなければならないような場面に遭遇した記憶はないし、仮にそれほど客観的でない事実で遅れたとしても出勤簿の管理者に遅れた理由を説明するだけで事足りる場合がほとんどであったからだろうと思っている。

 私はこの遅延証明書を貰うために行列している人々の姿を見て、この会社は台風というこんなにもはっきりした理由が客観的に証明されていてもなお、通勤する社員の口頭による報告では信用しないシステムが定着しているのかとふと感じてしまったのである。それともその並んでいるサラリーマンの面々は何かにつけ遅れて出社することの多い遅刻常習犯でありこの企業はそうした社員を多数抱えているのだろうか。
 いずれにしてもこの行列に並んでいる人たちは、会社から信用されていない者の集団だということになる。

 私は遅延証明書の発行にどれほどの時間を要するのか分からない。個々人の通勤ルートによって遅延の状況は異なるだろうから、それに応じて証明書を発行するのだとすれば必要な時間はかなり長いものになることだろう。

 また仮に、「遅延証明書」と書かれた白紙の紙切れだけを機械的に渡されて、必要な事項は自分で書き入れるのだとすれば、その証明書はなんの証明力も持たないことになる。そしてそうした白紙に会社が証明力を認めているのだとしたら、その会社は形式だけを重んじる恐らくは企業として生き残ることなど難しい放漫経営の組織であろう。そんな会社にいるのなら、今日の証明書を白紙のままたくさん貰っておいて、好き勝手に書き込んでサボることができるってもんである。もしかしたら行列者はそのために並んで待っているのだろうか。

 だから私は、「そんな紙切れなんか貰うのに行列など作らないで、さっさと会社へ行けよ」とついつい思ってしまうのである。つまりは「行列を作ってまで待つくらいなら早く会社へ行ってそのぶん仕事しなよ」との思いでもあるのである。



                          2007.9.12    佐々木利夫


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