「つるぺ落とし」は秋分の日を過ぎて冬至へと向かう時々の夕暮れの早さを示す言葉だが、冬至が過ぎたからと言って、平清盛が扇で沈む夕日を呼び戻したと伝えられる音戸の瀬戸の故事のように日の出が目に見えて早くなっていくことを実感できると思うのは錯覚である。

 昨年の冬至は12月22日である。だからその日を境に昼間の時間が長くなっていくのは科学的には事実なのだろうが、日の出、日没の時刻を見る限り、それはとても遅々としたものである。
 冬至の札幌は、日の出が7時03分、日没が16時03分だから昼間の時間はちょうど9時間、夜は15時間ということになる。そして翌23日から春が始まる。

 ところが理屈はそうかも知れないけれど、実感もデータもそれとはまるで違っているのである。日の出の時刻は冬至を過ぎてむしろ遅くなっていくのである。冬至翌日の23日と翌々日24日の日の出の時刻は冬至と同じ7時03分であり何も変らない。しかも25日は7時04分、27日になると同05分と逆に遅くなっていく。そしてこの傾向はそのまま元旦まで続き、残念ながら今年は曇り空でご来迎を我が部屋から仰ぐことはできなかったものの初日の出は同06分なのである。そしてやっとこの元旦をピークに僅かずつではあるが日の出は早くなっていくのであるが、冬至と同じ時刻である7時03分にまで戻るのはなんと1月15日になってからだとデータは教えている。

 それでも冬至を過ぎたのだから昼間の時間は長くなっていくはずである。その仕掛けは日没にある。つまり、日没の時間は冬至の少し前の12月16日から少しずつ遅くなっていっているのである。日の出が早くなるのを待つ気持ちとは裏腹に、日没は毎日1分近くも遅く(つまり昼の時間が長く)なっていくのである。
 つまりは日の出が遅くなっていくのを相殺する以上に日没のほうが遅くなっていき、恐らくは秒の単位で昼間の時間が長くなっていくということなのである。

 間もなく立春である。そのせいかこの頃の目覚めの時刻の東の空は、なんとなく明るくなっていっているような気がする。データで見る限り今日31日の日の出は6時51分であり、冬至の日の出と比べて僅かではあるが12分早くなっている。恐らくその程度の差に感じる夜明けの明るさなど、目覚めの時刻の僅かな揺らぎに吸収されてしまうほどのものだろうし、夜明けの白みなどはその日の朝の天候によるところの方が多いだろうとも思う。

 それでも冬至が明けて一ヶ月と少しが経った。計算上ではあるけれど昼の時間は9時間54分となり、冬至よりも小一時間近く延びたことになる。たとえそれが「冬至から一ヶ月」という言葉のマジックに影響された心理的なものに過ぎないとしても、今朝の朝ぼらけにこの言葉を重ねてみると何だがとても嬉しい気持ちになる。

 さて朝刊は届いているだろうか。今日も穏やかないい一日になりそうである。



                          2007.1.31   佐々木利夫


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冬至が明けていく