最高裁判所とはその名の通り裁判所のトップである。格の上下というよりは、日本の裁判制度のなかでの頂点という意味であり、ここでの判断が司法における最終判断になる。簡易裁判所の裁判官も地方裁判所の裁判官もそれぞれ独立して判断をすることになるから、外部からの指示や意見に従うことはない。
 だが最高裁の判断は司法制度の頂点の考え方として、最高裁と異なる判断を示した場合、当該事件が控訴や上告がなされた時は結果的に事前の判断が修正されることになってしまうから、間接的にもせよ地裁高裁の判断を拘束することになってしまうことが多い。そのため、最高裁の判断は特別に「判例」と呼ばれて独自の地位を保っている。

 だからと言って私自身の生活の中に判例がそんなに身近に存在していたわけではない。最高裁の個別の判例に触れる機会が多くなったのは、東京での一年の研修の時であった。
 様々な判例があったけれど、その多くは単なる講義の中の知識の一つとして止まっていたのが実態である。

 そんなとき友人と一緒にクロヨンダムへ旅行したことがあった。信濃大町から扇沢、黒部ダムそして黒部平から大観峰まで・・・、まだ残雪の残っている季節で立山アルペンルートはまだ全面開通にはなっていなかった。そのときこの黒部川が富山県の宇奈月温泉へ続いていると聞き、ふと民法の講義で聞いた宇奈月温泉事件と呼ばれる最高裁の判例を思い出した。

 この判例は、民法に関するものである。民法第一条は私法の基本原則としてこんな規定を置いている。

 民法第一条 @ 私権ハ公共ノ福祉ニ遵(したが)フ
         A 権利ノ行使ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス
         B 権利ノ濫用ハ之ヲ許サス


 最高裁判所(この判例の出された時期は最高裁がまだ大審院と呼ばれていたころのものである)は、このBの権利濫用の法理を適用してこれまでとは異なる画期的な判断を示した。これが後世「宇奈月温泉事件」として伝えられるところとなったのである。

 概要を紹介しよう。事件は大正10年頃に起きた。当時宇奈月温泉は黒部峡谷に沿って遠くにある湯元から他人の土地を借り、木管で温泉を引いて旅館を営業していた。ところがその木管の一部が地主の許可を受けていない土地を通っていることが判明した。それを知った地主がその旅館に対してその土地を時価の700倍近い高額で買い取るか、もしくは温泉の通っている木管の撤去を求めたものである。木管なしに温泉の営業は不可能である。それまで所有権は使用・収益・処分することのできる排他的な絶対的権利とされていたのであるが、大審院はその絶対性をこの民法一条Bを適用して否定したのである(大審院昭和10年10月5日)。

 その黒部旅行で浮かんだ「この川の下流が宇奈月温泉なのか」との気持ちが、その時以来どこか心に引っかかったままになっていた。

 まあ日本は火山国だからいたるところに温泉が湧いている。もちろん観光地として著名な温泉も多いけれど、旅館が一軒しかない温泉というのもあるから、その中間に位置する温泉など星の数ほどあると言ってもいいだろう。
 こんな風に言ってしまうと宇奈月温泉に関係する人たちや地元富山県の人々、それにこの温泉をこよなく愛している人たちの不興を買うかも知れないけれど、宇奈月温泉はそれほど著名な温泉というほどのものではない。

 数年前、富山県八尾町(現在は町村合併で富山市に編入されたようだが)の風の盆を訪ねる機会があった。風の盆は9月1日からである。前日に飛騨の古川に泊まったが八尾まではせいぜいが車で一時間少々だろう。朝の古川をゆっくり散策してみるが、このままではあまりにも早く八尾に到着してしまう。風の盆の街の交通規制はネットで調べたところ午後3時からである。少し遠いが宇奈月温泉にでも浸かってから八尾に入っても十分間に合うのではないかと思いついた。思いついたらどうしても宇奈月温泉が頭から離れない。快晴の立山を眺めながらの滑川、魚津、黒部を通っての宇奈月ルートドライブは快調である。

 10時過ぎには温泉に着いた。谷の迫る定山渓に似た山間の温泉である。ここからトロッコ電車で有名な黒部渓谷鉄道が走っているが、まさかに乗るわけにもいかないので駅の中をうろうろして足跡を残したつもりになる。
 さて目的は入浴である。渓谷鉄道から100メートルくらいのところに富山地方鉄道の終点宇奈月温泉駅があり、駅前に自噴する噴水温泉が勢い良く湯煙をあげている。手を入れてみる。いい湯加減だが、それで温泉に入った気分になれるわけではない。どこか旅館の日帰りコースを探すしかないかと思って駅員に尋ねたら、歩いて10分くらいのところに町営の温泉会館があると分かった。

 まだ午前中だがさすが温泉地、ちゃんと営業している。公衆浴場だから混浴ではないが、ゆったりとした湯船に透明な、少し熱めの湯が溢れている。先客に同じ観光客らしい若い男が一人入っていたが、間もなく出て行ったので明るい日差しの中、一人の贅沢な温泉を味わう。ここは宇奈月温泉なのだと自分に言い聞かせ、長く記憶の中にだけあったその名前を湯船の中で反芻する。

 もう恐らく来ることなどあるまい温泉である。もう一度渓谷鉄道の駅へ戻って、ペットボトル入りの「黒部の水」を飲み、冷たいそばの昼食をとって宇奈月の記憶をもう一つ重ねることにしよう。名残りは惜しいが目的は風の盆である。どんな街なのか、車はどうしたらいいのか、夜を徹して踊り明かすのだと聞いたけれど、それに付き合うことなどできるのだろうか。不安は尽きないが、世の中けっこうなんとかなるもんだと心に決め、さて八尾へと向かうことにしようか。



                               2007.4.13    佐々木利夫



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宇奈月温泉と最高裁判所