越中八尾の風の盆を見に行って、名古屋港からフェリーで苫小牧へと帰る前日のことである。福井の勝山温泉に泊まって九頭竜へ寄ってから、童話などで有名な養老の滝を見たいと思いつく。

 私に音痴や味覚音痴の傾向のあることは否定しないけれど方向に関してはそこそこ自信のあるつもりではいるのだが、養老町への道には迷うことが多かった。今流行りのカーナビでも載せてあればいいのだが、そこはそれ、これまでの運転経験から方向感覚には自信があるとの思い込みもあって、地図便り、標識便りの無手勝流である。

 だがどうにも思うような方向に進んでくれない。岐阜市に入り込んだり北方町、穂積町など、どうも養老町へまっしぐらの思惑とは違ってしっくりこない。それでも渡った川が揖斐川(いびがわ)と分かってからは、どうやら養老へのイメージがつかめてきた。

 どうやら養老町へ着くことができた。養老公園の傍を通ってけっこう急坂の山道を登っていく。中腹にある土産物屋の傍の駐車場に車を預け、そこから急な坂道を5分ほど下るとやっとここが養老の滝である。滝の真下、しぶきのかかる滝つぼまで歩いていける。

 養老の滝は「孝行息子のきこりが山の奥で見つけた山吹色の水が老父の好きな酒だと分かり、それを飲んだ父がすっかり若返った」との伝説で余りにも有名な場所だが、この話はそれを伝え聞いた奈良の都の天正天皇がこの地へ来て滝の霊験を確かめ、元号を「養老」(西暦717年〜723年)に改めたとする話へと続いていくのだとこの時に知った。

 つまりはこの滝の水は酒であり同時に若返り効果をも併せ持っているということになるのである。既に定年を過ぎたこの身にとってみれば、若返り効果があるとの能書きがつけばなりふり構わず飛びついてしまうのはこれまた仕方のないことでもあろうか。
 しかしこの霊水は同時に酒でもあるのだから、場合によっては酒酔い運転になるかもしれない。そうは言っても天から無尽蔵に降り注いでくる滝の水は日本名水百選にも選ばれていると言われているし、その神秘的な魅力には抗しがたいものがある。

 名水と呼ばれているくらいだから飲用不可と言うことはあるまい。薄暗い木立に囲まれた滝つぼのしぶきを手で受けて口にしてみる。残念ながら酒酔い運転になる心配はなさそうである。
 だからと言って若返りの効果もないただの水だとは断言できまい。まずは己の腹へと十分に注ぎ込んでから、車内に残っていた空のペットボトル一本にも詰める。これは札幌への土産である。馴染みのスナックへでも持ち込んで水割りで若返りの効用を仲間、ママ、ホステスともに確かめるのも一興であろう。

 女房にはこの旅への同行を誘ったにもかかわらず野宿中心のあてどなき気まぐれ旅に恐れをなしてついてこなかったのだから権利落ちである。若返りの秘薬は私だけのものだと一人ほくそ笑む。

 さて昨日の勝山温泉センターですっかり味をしめたものだから、「四季のふるさと養老」もそのパターンで行こう。定番の手製鍋料理で軽く夕食を済ませてから、缶ビール、日本酒の小瓶を持参で湯元とされている温泉に浸かることにする。閉館は午後10時だから、それまではたっぷりと楽しむことができそうである。
 明日は北海道へと戻るフェリーの中である。かくて車で明かす最後の夜が更けていく。



                          2007.5.3    佐々木利夫


            トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



水だった養老の滝