無差別殺人が都市にも地方にも無関係に発生し出してきて、少しずつ殺人の目的や動機などが我々の意識では理解ができなくなってきている。
 「最近の殺人は訳が分からん」と嘆く一方で、殺人ってのはもともと気持ちの上では理解できるものだったのではなかっただろうかなどと、人殺しを承認するわけではないけれどそんな思いが頭をよぎる。
 そんなときにふと「阿部定」の事件を思い出した。

 私がこの事件のことを覚えているのはまさに「猟奇事件」としての伝聞によるものである。極端に言ってしまえば男を殺して彼の性器をちょん切ってしまった女の事件であり、私の記憶もそれをそんなに超えるものではなかった。
 ただこの話題は私の生まれる前の事件ではあったものの、性に関心を持ち始めた少年のどちらかと言うと淫靡な記憶ではあった。

 それが消えることなくこの歳まで私の記憶の中で生き続けてきた背景には、そうした淫靡さもさることながら犯人たる彼女が単なる歴史上の人物と言うに止まることなく現実に私の時代に生きていたこと、そしてその生き方に共感できる部分を数多く持っていたことなども影響しているのではないかと考えている。

 少し事件の概要を振り返ってみよう。彼女についての資料を探っていたとき、この事件に関する「予審尋問調書」に触れることができた。以下に述べるデータや引用のほとんどは「はじめての愛、あべ定さんの真実を追って・・・、丸山友岐子著、かのう書房、1987年刊」によるものである。ハードカバー240ページ余のこの著書は、半分近くは著者による阿部定追跡記になっているものの、残りのほとんどは予審尋問調書が占めている。

 ここで予審尋問について触れておきたい。予審とは本裁判(公判)にかけるかどうかを判断するため、予審判事と呼ばれる裁判官によって行われる事件の事前審理のことである。予審の目的は公判にかける事件数をあらかじめ整理することで裁判の効率化を図り、強いては乱訴を防止するなどのために設けられた旧刑事訴訟法上の手続きである。ただ、予審そのものが非公開、弁護士の立会いもないなど密室で行われる手続きであったこと、更には予審の判断には公判の裁判官も拘束されることなどから「開かれた裁判」、「裁判官の自由心証主義」などになじまないものとして昭和24(1949)年の新刑事訴訟法の成立とともに廃止されている。この事件は旧刑事訴訟法の時代に起きたものである。

 本来非公開であるはずのこの手続きにおける裁判官の調書がどうして大衆の目に触れるようなことになったのかは必ずしも明らかでないが、結果として巷間に流布されてしまったことは間違いのない事実である。裁判所職員による興味本位の秘密漏洩の要素がなかったとは言えないかも知れないけれど、今これを読んでみるとこの調書があったからこそ、阿部定事件は単なる猟奇事件であることを超えて一人の女の生き様の伝承として長く生き残ってきたような気がしている。

 事件は昭和11(1936)年5月に起きた。大店の畳屋の娘という比較的恵まれた家庭に生まれながら、芸者から私娼にまで堕ちた阿部定はそこから抜け出すべく小料理屋に勤める。その店の主人が本件被害男性となった石田吉蔵である。妻ある石田と相思相愛になって日毎泊まり歩くような日常を純愛などとは呼べないだろうけれど、その行き着いた先が彼の首を絞めて殺し、その死体から性器を切り取って一人で待合(酒食を提供するラブホテルとでも呼ぶべきか)を出ていく女の姿であった。

 この事件はすぐ警察に知られるところとなって三日後に逮捕され、「定逮捕」の号外まで出たという。事件の猟奇性は明らかではあるけれど、彼女の弁護士までが雑誌に「一世の妖女お定」と書いているくらいだから(前掲書P150)、世間の噂がどんなものだったかは想像がつく。

 事件と同じ年の12月、東京刑事裁判所で彼女は懲役6年の判決を受け、そのまま栃木刑務所に収監される。そして時は昭和15年へと移る。15年は皇紀2600年であったことから恩赦によって残刑期の2分の1を減刑された彼女は翌16年5月に出所する。明治38年5月生まれの彼女、間もなく36歳を迎えようとする春のことであった。前掲書の著者はその本文の中で「日本のどこかで生きていると思われるお定さんも八十二歳・・・」と書いているから(前掲書P6)、このとき彼女はまだ生きていたと言うことだろう。今でも生きているとすれば今年(2008年)で103歳になる。恐らく亡くなっているとは思うけれど、少なくとも私とほぼ同じ時代の空気を共に吸っていたことになる。

 前掲書に記されている参考文献目録は30数点に及んでいるから(P233)、実に多くの人達が阿部定について語っていることが分かる。それはそれだけこの事件が衝撃的であったことの証左かもしれないけれど、単に猟奇事件として興味本位によるものではなく、むしろ先に掲げた「予審尋問調書」が写本にしろ活字による組み直しにしろ世間に広く流布し、お定の心情が素直に世間の人たちに伝わったこともその背景にあるのではないかと思う。その尋問調書から少しく彼女の言葉を引用してみたい。

 「石田を殺して永遠に自分のものにする外ないと決心したのです」(第五回尋問、前掲書P203)。

 「私は石田の胸に自分の顔をすり付けて『勘弁して』と泣き、ヒモ(腰紐)の両端を力一杯引き締めました」(同P203)。

 「私は石田を殺してしまうとすっかり安心して、肩の荷が下りたような感じがして気分が朗らかになりました。・・・死骸の側にいるような気はせず、石田が生きている時より可愛らしいような気持ちで朝方まで一緒に寝ており、・・・」(同P204)。

 「石田のオチンコをいじっている内、切って持って行こうと思い、・・・切ってました・・・」(同P206)。

 「それから・・・石田の六尺褌を腹に巻き付け、お腹の所へ肌へ付けてオチンチンの包みを差し込み、それから石田のシャッを来てズボン下をはき、その上に自分の着物を着て帯を締めすっかりしたくをしてから座敷をかた付け、・・・」(同P206)。

 「(なぜ切り取って持ち出したのか) それは、一番可愛い大事なものだから、それままにしておけばおかみさんが・・・さわられるに違いがないから、誰にもさわらせたくないのと・・・(これがあれば)石田と一緒のような気がして淋しくないと思ったからです」(同P207)。

 「石田を殺してしまうとこれですっかり石田は完全に自分のものだという意味で、人に知らせたいような気がして、(石田の腿や敷布に)私の名前と石田の名前とを一字づつ取って定、吉、二人キリと書いたのです」(同P207)。

 「(石田の左腕に定と刻みつけたのは)、石田の体に私を付けて(天国へ)行って貰いたかった為に、自分の名前を彫り付けたのです」(同P207)。

 「石田を殺すときは裸で寝ていましたが、殺してからその二枚(浴衣と褌)を着せておきました」(第六回P215)。

 「警視庁にいる頃は・・・、石田の事を喋ると嬉しかったし、夜になると石田の夢を見たいと思い・・・」(同P216)。

 「弁護士はいらないように思うのですが、ただ世間から私を色気違いのように誤解されるので一番残念で、この点を申開きする為にやはり弁護士を頼もうかと思います」(同P217)。

 「石田だけは、非点の打ちどころがなく、強いて言えば品がありませんが、却ってその粋なところを私が好いたので、全く身も心も惚れ込んでしまったのです。女として、好きな男のものを好くのは当り前です。・・・自分の好きな男の丹前の臭いをかいで気持を悪くするような女がありましょうか、好きな男が飲み残した湯呑の湯を呑んでもおいしいし、好きな男が噛んだものを口移しに食べてもおいしがることもよく世間にあります」(同p218)。

 調書は裁判官の「問」と安部定の「答」で構成されている。裁判官の杓子定規で紋切り型の質問は仕事柄当然のことかも知れないけれど、これに対するお定の回答のなんと素直なことか。調書に書かれた「問」と「答」のギャップの大きさは、そのままお定の素直さであり、その素直さが法廷でもそのまま表われたことが懲役6年と言う比較的軽い判決の要因になったのかも知れない。彼女の供述からは好きな男に対する「真っ直ぐに惚れた心」が気持ちよいほどにも伝わってくる。
 首を絞めて、ちょん切って、血文字を残した事件は確かに猟奇的ではあるけれど、そうした行動にもかかわらず彼女の行為にはどこかで我々自身にも理解できる要素が多く含まれているように感じる。我々自身が同じような行動を取ることは恐らくないだろうけれど、どこかでお定の心に自分を重ねることができるような、そんな気がしてならない。

 折からNHKテレビ「知るを楽しむ」(再放送)ではワーグナーの歌劇「トリスタンとイゾルデ」を取り上げてオペラ鑑賞の楽しさを伝えていた。このオペラの主人公男女と阿部定事件とは何の類似も関係もないけれど、ともに屈折した愛の姿に、ふと両者を重ねてしまうのは私の思い込みのなせるものかも知れない。それはそうなんだけれど、「(殺すのは)誰でもよかった」などとうそぶくような無差別殺人が巷を蠢いている現代に、日本にもこんなに分かりやすい愛があったのだと少しホッとするのも実感である。
 もう一度言いたい。阿部定の行動を決して純愛とは呼べないと思うけれど、それでも一つの愛の形、なんだか素直な分かりやすい愛の形であったことを、そしてそうした思いの裏側には余りにも殺伐とした現代が写っているのかも知れないことを心のどこかで感じている。



                                     2008.10.3    佐々木利夫


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阿部定を追いかけて