本州・四国・九州では気温が真夏日を超え時に猛暑日などもあって盛夏とも言うべき気候が続いているようだが、札幌は依然として気温の低い日が多い。今週も曇天と雨天が続き今日の気温も22度程度と、窓を開けると肌寒さが忍び寄ってくる。
 それでも季節は夏である。この季節になると道々に葵の花が賑わいだしてくる。

 葵は背の丈1メートルから2メートルくらいの花である。この花を私は子供の頃、「コケコッコ花」と呼んでいた。コケコッコとはニワトリの鳴き声を指している。こうした呼び名はNHKのアナウンサーも話題にしていたから北海道特有の方言ではなく、ある程度全国に共通しているのかも知れない。

 葵という名の植物が別にあるのかも知れないけれど、タイトルの写真は「立葵(タチアオイ」と呼ばれている種類であり、私の知っている葵は色はともあれこの種類だけである。この花は5弁の花びらを持ち、その一つを根元を削ぐように横に1〜2センチほど開くとその裂け口が粘っこいのである。それをひたいだとか鼻すじなどに縦に貼り付けると、花びらの形がまるでニワトリのとさかのように見えるのである。それが「コケコッコ花」と呼ばれる由縁になっているのだろう。

 そうした呼び名が全国にあるということは日本中でそうした遊びが流行っていたということになるのだろうし、そしてそうした遊びが子供であった私にまで届いていたことに、幼い頃をふと懐かしく思い出す。

 さて表題の「葵の花の低ければ」だが、これは93歳で亡くなった俳人富安風生(トミヤスフウセイ、1985・明治18年〜1979・昭和54年)の有名な句の後段部分である。こんな句である。

    蝶低し 葵の花の低ければ

 この句をどうして私が記憶しているのか、その理由は良く分からない。俳句が好きで関連した本を読んだという記憶もないし、誰かから聞いたというような記憶もない。
 ただかなり昔から私の中にこの句が存在してたことだけは、なんとなくではあるけれど覚えている。

 その葵の花がいまちょうど盛りである。民家の庭先にも咲いているけれど、毎日歩いているJR沿いの街路樹の脇にも延々と続いているのである。色は真っ白からピンク・真紅まで様々だが、「あおい」の名とは裏腹に少なくとも青系統や紫系統の花は見当たらないようである。それが青空を背景にこれ見よがしと咲き誇っているのである。花の大きさと言い、背の高さと言い、まさに今が盛りと自慢しているかのようである。

 夏の花である。まさにこの花は、「今が夏だ」と人々に呼びかけている。直射日光を受け、まるで聳えるようにもすっくと延びているこの葵の花は、今の季節が真夏であることを誇示してでもいるかのようである。そしてなぜか私はこの花を見るたびにこの俳句を思い出すのである。

 残念なことに葵にまとわりつく蝶の姿を見ることは少なくなった。蝶の姿なぞ子供の頃はいたるところで見ることができたと思うのだが、畑や野原や林などの蝶の生育環境が乏しくなってきたからなのだろうか、最近はめっきりお目にかかる機会はなくなってきた。
 タンポポにもきゃべつ畑にも、青虫や毛虫やさなぎなども含めて蝶もバッタもそこいらじゅうに群れていた。そうした中で私たちは育ってきた。

 幼い頃のどうということのない記憶である。自然だとか環境だとかを考えることすらもなかった頃の小さな小さな記憶である。小川や沼ではドジョウやフナが当たり前に釣れていたし、場合によってはざるで掬うことさえできた。山の谷川でザリガニを採って夕食の天ぷらの材料にしたことすらあった。

 この葵に群がる蝶のいない風景は、そうした私の昔とはまるで違う世界のようである。コケコッコ花の記憶は、恐らく子供だった私の回りに葵の花が咲き乱れていたことを示しているのだろう。この俳句を知ることもない子供だったから、葵に群がる蝶の姿などまるで記憶がないけれど、それでもタンポポに飛び交うモンシロチョウの姿は記憶と言うまでいかないほどうっすらとしているけれど、どこか私の子供時代の茫漠を思い起こさせるのである。そしてその茫漠は、葵の花につながって出てくるのである。

 朝日がまぶしい。道端の花びらを一つむしってみる。まさかに鼻の頭に貼り付けて歩くには気恥ずかしさがあるけれど、代りに手の甲にそっと押し付けてみる。花びらは昔のままに粘り気を持っていてぴたりと張り付いてる。恐らく数歩で風に飛んでいってしまうだろうけれど、束の間にしろ子供時代を思い出すことのできる貴重な瞬間である。花びらを横目で感じながら少しゆっくりと歩いてみることにしようか・・・。



                            2008.6.18    佐々木利夫


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葵の花の低ければ