あれから63年目だと言われて、その時間が私には遠いものだと感じられながらも、未だに原爆投下を自身のものとして避けられない時間を過ごしている人々がまだまだ多くいることに原爆そのものの悲惨さを深く感じる。
 また今年も8月6日の広島、9日の長崎がやってきた。

 「非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が第二次世界大戦におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである」

 東京裁判を担当したインドのパール判事の言葉だと報道されている(07年、NHKスペシャル、「パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判、知られざる攻防」より。)
 パール判事については既に昨年の暮れにここで発表した(別稿「パール判事と東京裁判」参照)。彼は東京裁判で唯一戦犯として起訴された全員に無罪を主張した判事の一人であるが、同時に原子爆弾の投下という事実をもっとも端的に批判した裁判官でもあった。

 これだけ戦争が繰り返されていながら、戦争を批判すること以外に「戦争とは何か」の問に人は答を見つけようとしてきたのだろうか。
 日本は唯一の被爆国である。にもかかわらず日本は「核の保有や使用の反対」には熱心だったけれど、原子爆弾を投下されたその事実に対してどこまで追求してきただろうか。

 日本の戦犯を裁いた東京裁判における基本原則を示したものに裁判所憲章がある。マッカーサー司令官(当時)の名前で開廷の4ヶ月前に公布されたと言われている。この公布は事後法、つまり違法とされた行為の後に作られた法律の禁止という司法の鉄則に反するものとしてパール判事をはじめ多くの批判を浴びたが、結局はこの憲章は正当なものとして判決の基礎とされた。その憲章で新たに追加されたとする罪に、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」がある。

 私も税理士とは言いながら、同じ法律に身を置く者として事後法(遡及立法)禁止の意味が分からないではないけれど、この事後法がマッカーサー、つまりアメリカの意思によって公布されたことに、アメリカの傲慢を見るのである。原爆投下が「平和に対する罪」に当たらないのか、「人道に対する罪」にどうして該当しないのか、そのことがどうしても私には理解できないでいるのである。
 もちろんアメリカそのもの、もしくはアメリカの原爆投下そのものが、この憲章によって裁かれたことはない。そうした意味ではアメリカはこの憲章における被告人にはならなかった。憲章は日本の戦争犯罪人を裁くために戦勝国が用意した道具であると言ってしまえばそれまでかも知れないけれど、この憲章に限らず、どんな法令違反でもアメリカの原爆投下が犯罪として裁かれた例を私は知らない。そのことはアメリカが被告人にはならなかったことを示しているのであり、それは同時に訴えた者、つまり原告そのものがいなかったことをも示している。

 敗戦国日本にアメリカを訴えることなどできなかったのかも知れない。だがしかし、国際的な裁判としてではないにしても、外交、国連、安全保障なとなど、アメリカとかかわる多くの交渉の中で日本が広島・長崎への原爆投下を犯罪として非難するような声明、宣言、どんな形でもいいけれどそうした行動をアメリカに示したことがあっただろうか。

 私はアメリカの行った原爆投下という事実は、立証の必要もないほどにもはっきりした「平和に対する罪」、そして「人道に対する罪」だと思うのである。
 アメリカは1945年7月16日に世界で始めて原子爆弾の実験を行った。その情景は今では一般に公開されているけれど、残された映像を見る限りそれがどれほどの被害を与えるかについてアメリカは事前に知っていたはずである。そしてその実験から僅か20数日後が8月6日であり、8月9日であった。

 死者の数は広島長崎を合わせて即死者11万人、その年の12月末で21万人と伝えられている。それだけの命が消えた。軍人でも政治家でもない民間人と呼ぶことすら躊躇してしまうような当たり前の人の命、子供、赤ん坊、老人などなど、あらゆる階層の命が無差別に奪われたのである。たった二個の爆弾で想像を絶する数の人の命が消えたのである。
 命は数ではないと私はいつも思っている。思ってはいるけれど、それでも21万人という圧倒的な数字の前には絶句するしかない。

 原爆を繰り返すなとの主張が間違いだとは思わない。核の拡散を防止するための努力が無駄だとも思わない。人は未来に生きるのだから、過去にこだわるだけではダメだとの考えだって理解できないではない。
 でもその前に、どうして原爆投下を犯罪として責めると言う考えが世界に、いやいやその前に日本に、そしてアメリカ国民に広まらなかったのだろうかと思えて仕方がないのである。

 原爆は一瞬で多くを殺戮した。だが原爆の恐ろしさはそれだけではなかった。残留放射線、後遺症、そんな学術じみた用語で事実を隠蔽してはいけない。原爆は63年を経た今でも、毎日、毎日、繰り返し、繰り返し、投下され続けているのである。そのことは原爆被害者の名簿に毎年新たな死者の名が数千人も書き加えられて行く事実、そして死者の数が累計25万人(氏名不詳者を含めると40万人とも)にも達したとの報道が残酷なまでに表している。そしてそのこともまた原爆を投下したアメリカの犯罪なのだと責める声がどうして起きてこないのだろうか。

 確かに落とされた原爆は63年前のただ一つの事実だけかも知れない。だが原爆投下は現在も、そして将来も休むことなく人を殺し続けていくことに目を向けるべきである。
 確かに投下した事実をないものとすることはできないだろう。これまでの63年を遡ることなど誰にだって許されることではない。やってしまった結果を回避することができず、これからも続く被爆被害の後遺症による死者の拡大を避けることができないのならば、たったひとつその過ちを自ら糾す方法がある。それはまさに「核の廃絶」である。

 核を廃棄し廃絶することこそが核大国と呼ばれているアメリカそのものに、核を開発し使用したことへの贖いの手段として残されたたった一つの方法だと思うのである。
 「戦争とは何か」を私は知らないとこの文章の最初のほうに書いた。だから私は「戦争は犯罪ではない」とする理屈に対してもまともに反論できないでいるのかも知れない。

 戦争も核の開発も世界中に蔓延しようとしている。世界の核は広島型に換算して40万発も現存しているといわれている。当事者たる日本・アメリカだけでなく、世界中が事実として広島・長崎の惨事を目の当たりにしたはずである。それにもかかわらず世界が平和や共存と言った道へ進もうとしているとは私には思えない。毎日の報道を見ていると、世界はむしろ対立や憎しみの連鎖の中に人々を巻き込もうとさえしているような気さえしてくる。

   「私が一番きれいだった時」
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 私が一番きれいだった時
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で海で名もない島で
 私はおしゃれのきっかけを落とした
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 私が一番きれいだった時
 私の国は戦争で負けた
 そんなバカなことってあるものか
 私はうでをまくり卑屈な街をのしあるいた

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 茨木のり子のちっぽけな、ちっぽけな詩である。25万人なぞはるかに遠い、たった一人の孤独の詩である。今年もまたあの8月15日がやってきて、そして静かに通り過ぎていった。



                                     2008.8.17    佐々木利夫


                       
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アメリカと原爆投下